右三つ巴 (みぎ みつどもえ)
本丸が炎上し、二の丸が白旗を上げた。それを見た三の丸も白旗を上げる。
「やれやれ、戦わんですみそうだ」上陸した第一、第二大隊の兵達が言った。
しばらく城外で待機する。皇軍側が強襲したため、古河城とその周辺には足利公方直属の兵しかいなかった。近場の結城、小山の援軍すら来ていない。その時間が無かったのだ。
「普通だったら、向こうから降伏の使者が出てくるはずなんだが、遅いな」
「本丸があのありさまだ、降伏の算段どころじゃあ、あるまい。しばらく待ってやるしかないんだろ」
合戦はなさそうだ、と安堵した兵達が、思い思いに雑談を始める。
大隊長が食事を命じる。『食事ラッパ』が響いた。少し早いが食べられるうちに、食事をさせておこうというのだろう。上陸用舟艇が順番に岸に着き、糧食が入った木箱と水樽を陸揚げする。
戦闘中ではないので、付属のコンロで火を焚き、缶詰を温める。
川下の方から上陸用舟艇が三隻やってきた。師団付舟艇の旗が立っている。小山朝基と参謀、それに師団付通信艇だ。
小山朝基が『錦の御旗』とともに上陸する。
「降伏の使者は来たか」
「まだであります。まだ城内の始末に追われているのでしょう」
「そうか、それでは仕方ない、待つことにしよう」そう言った朝基が従者に命じて、桐箱から旗を出させ、一本の旗印を立てた。
紋は『右三つ巴』だった。
ようやく城門が開き、古河城の使者が騎馬に白旗を立ててやって来る。
「ご苦労であった」朝基が使者と、そして古河城の兵を労わった。
使者は無念そうに錦旗を睨み、次いでその斜め後ろの旗印を見て、目を見開いた。が、何も言わなかった。
使者が、古河城は降伏する意向だということを伝える。彼に任されたのはそこまでだ。降伏条件等はこれからである。
「わかった。では、その方はしばしここに留まり、当方から公方殿に使者を出すことにしよう、それでいいな」
使者が了承する。人質のようなものである。
朝基に付き従ってきた参謀が、こんどは古河城に乗り込むことになる。単騎であった。敗戦直後の戦場は人心が荒れている。単騎で乗り込むのは、よほど勇気が必要である。
さながら、日本海海戦で、受降の使者として、秋山真之参謀が通訳を除けば単身で、敵旗艦『ニコライ一世』に乗り込むようなものだ。
ロシア側旗艦は当初は『スワロフ』であったが、この艦は開戦早々に沈没している。
参謀が古河公方足利政氏と、その父成氏の生存を確認し、両者の降伏の意向も確かめた。成氏の方は、かなりの傷を負っていたが、意識ははっきりしていて、床几に腰かけていた。
「では、当方の軍を入城させ、城内の兵を武装解除させますが、よろしいですな」参謀が言う。二人が同意した。
参謀が持参してきた火箭を地面に刺し、打ち上げた。
火箭が青い煙を吐きながら、空に上って行った。
食事を終えた皇軍の第一大隊、第二大隊が整然と進軍し、古河城に入城する。両大隊の間に小山朝基さんが馬を進める。
武装解除が始まった。この作業が戦闘の『詰め』なのである。歩兵が必須である理由だ。いくら噴進法や軽迫撃砲があっても、最後には歩兵による敵拠点の制圧と無力化が必要である。これはいつの時代の戦闘においても変わらない。
小山朝基さんが足利政氏と成氏に面した。
「ご苦労なことでございました。戦の上のことですので止む無きに至りましたが、亡くなった方のご冥福を祈ります」そう声をかけた。
「うむ、空阿弥の話から、飛び道具で本丸を攻める、こんなことになるのではないか、と思っていたが。まさか、ここまで酷いことになるとは思わなんだ」
成氏がそう言いながら、朝基の背後の旗印を見た。
「おい、あの紋はなんじゃ。みっ、『右三つ巴』ではないのか。その方、結城氏なのか。それとも何かを騙っているのか」
成氏が旗印から朝基の方に視線を移す。
「はい。私は御幼少の頃の公にお会いしたことがあります」
「なんじゃと、貴様は誰じゃ」
「お子様の頃、公は私の事を右馬頭と呼んでいらっしゃいました。五歳頃のことです」
「なんと、それでは、お主は……」
「結城の持朝です」
「生きておったのか。父君もか」
「はい、父の氏朝もあの合戦を生き延びました。以来ずっと片田商店、そして皇軍に所属しておりました」小山七郎さんのことだ。
「なんとまあ、そんなことがあったのか」
結城氏朝、持朝というのは『結城合戦』の一方であった。鎌倉公方足利持氏の遺児を担いで足利幕府に反旗を翻した。
結城合戦は結城方の敗北となり、この時担いだ遺児の多くは幕府により殺されてしまう。
遺児のなかで生き残ったのが成氏だった。
なお、結城氏朝と持朝は、結城城の落城時に討死、または自害したとされているが、彼等の遺体あるいは首級を見た者はいなかった。
「父君は、どうした」
「はい、齢八十四まで生き、安らかに最後を迎えました。十年程前のことです」
「その、結城親子が、なぜ幕府側に付き、わしに刃を向ける」
「いえ、幕府側には付いておりませぬ。皇軍です。御門に従っておるのです」
「どこか、違うのか。主上は将軍に守られておるのではないか」
「幕府の力は衰え始めています。今帝をお守りしているのは皇軍と片田商店です」
「そうか」
「国内の争いごとを止めよ。それよりも国内を一つにして、海外に雄飛せよ、御門は、そのようにおっしゃっています。私もそうだと考えています。父もそうでした」
「うーむ」
「なので、同じ国の者同士で殺し合いたくはありません。この度もなるべく人が死なぬように考えて戦ったつもりです」
「それは……そのとおりであろうな」
成氏が思った。
“この男がその気になれば、古河城すべてを丸焼きにできたであろう。なのに、あらかじめ軍使を立てて白旗を揚げろなどと言わせている”。
“決して、臣下の前で口に出しては言わぬが、俺の方も、自分も含め、死んでも惜しくないような年寄りばかり集めて本丸を守らせた”。
「これは、管領の上杉氏にも同じように対します。彼らが公を攻撃すれば、今日と同じことになるでしょう」
「わかった。その話に乗ろう。もう幕府との戦はやめじゃ。爵位や年金で結構だ。そして、その海外に出ていくという話に乗ってみようではないか」成氏が言った。
「ところで右馬頭、こちらの結城をどうするんじゃ」成氏が尋ねた。結城の総領を奪うのか、という質問だろう。関東の結城氏は氏朝の曾孫、結城政朝が家を継いでいた。
「いえ、私はこれでも京都に帰れば従四位下近衛中将を拝命いたしておる身です。関東のことは、こちらの結城に任せます」