関東の情勢 2
「古河公方足利成氏、山内上杉氏、扇谷上杉氏、そして、堀越公方足利政知。役者は、この四人だ」
「先生、なんで上杉氏は当主の名前で呼ばないんですか」
「よく気が付いたな。両上杉氏については、当主が、というよりも家宰などの臣下も含めた集団として動くので、ただ上杉氏と呼んだ」
「そうなんですか」
「カサイ(家宰)って、なんですか」
「家宰とは、家長に代わって家の政務をとりしきる職のことだ。山内上杉では長尾氏、扇谷上杉では太田氏がこの職を務めた。ちなみに、この時の山内上杉の当主は上杉房顕公、扇谷上杉の当主は持朝公である」
「この扇谷の持朝公は優れた当主であり、家宰の太田道灌と協力して扇谷上杉の勢力を伸ばした。河越、岩付(岩槻)、そして江戸に城を築き、これを古河公方に対する前線とする」
「太田道灌とは、あの道灌のことですか」
「そうだ。幼名を鶴千代といった。子供の頃の鶴千代が聡明すぎるのを心配した父の太田資清、ある時鶴千代に言った」
「鶴千代よ『知恵が過ぎれば大偽に走り、知恵が足らなければ災いを招く。例えれば障子は直立してこそ役に立ち、曲がっておれば役に立たない』と訓戒する」
「すると、可愛げのない鶴千代は屏風を持ち出し『父上、屏風は直立しては倒れてしまい、曲がっていてこそ役に立ちます』と口答えする」
「また、あるとき父が筆を執って『驕者不久』(驕れる者は久しからず)と書いた、すると鶴千代がこれに二字書き足し『不驕者又不久』(驕らざる者も又、久しからず)とする。小癪な小僧だ」
なお、太田道灌と言えば江戸城を築いたこととともに、山吹の歌の故事が有名だが、あれはどうも後世の創作らしい。
『七重八重 花は咲けども 山吹の 実の(蓑)一つだに 無きぞ悲しき』
「しかし、この太田道灌の活躍で、成氏は幕府に和睦を求めるまで弱体化した。これが文明の十四年(一四八二年)のことだ。これを『都鄙和睦』という」
太田道灌は、上杉持朝公とはうまくいったが、その才が立ちすぎたのか、持朝の子、上杉定正とは反りが合わず定正に謀殺されてしまう。
背後に、勢力を伸ばしすぎた扇谷上杉を面白く思わない山内上杉の陰謀があったのではないか、とも言われている。
「この道灌暗殺は、定正一生の不覚となる。道灌に従っていた優秀な国人達はみな山内上杉に流れていく。弱体化した扇谷上杉は、背に腹は代えられず、古河公方に接近する。そして、上杉同士で干戈を交えることになった。これが、今の東国だ」
「堀越公方はどうなりましたか」
「うむ、『都鄙和睦』で、上杉の守護国伊豆を堀越公方に与えることになった。政知は伊豆守護になったということになる。『錦の御旗』を与えられ、関東十か国の警察権を任された身としては、どうもしょぼいことになって不満だったが、やむを得なかった」
「京都に帰ることはできなかったのでしょうか」
「室町幕府側としては、戻って来こられるのは迷惑だった。すでに将軍の代替わり後だったのでな」
「そうなのですか」
「まぁ、いずれにしても堀越公方政知は数年前に亡くなっている」
「子はいなかったのでしょうか」
「子は、いた。これについては痛ましい話がある」
「もし、よろしければお話しいただけますでしょうか」
「政知には三人の男子がいた。長男を茶々丸、次男は今の将軍様(義材のあとに将軍となった足利義澄のこと)、最後が潤童子だ」
「また、まちまちな名前ですね。上と下は元服しなかったのですか」
「そうではない。茶々丸は元服させてもらえなかったんだ」
「どういうことですか」
「素行不良だったと伝えられているが、末子潤童子の母、円満院が我が子を後継ぎとするために、讒言したともいう」
「それは」
「政知の亡きあと、茶々丸が円満院と潤童子を殺害しているので、それが真相かもしれぬ」
「ひどい話ですね。兄は元服もさせてもらえず、弟は室町将軍で、末っ子は長兄に殺されたということですね。一つ兄弟なのに、すごい運命の差だ」
「そういうことだ。茶々丸は自らが政知の後継で、伊豆の守護である、と主張するが国内は混乱する」
「それは、大混乱でしょうね」
「その混乱に乗じたのが、隣国駿河の興国寺城主、伊勢某だ」
教師が『伊勢某』と言った男が、後の北条早雲である。この物語の時点では、まだ茶々丸を倒し、堀越を得てから間もない。なので、あまり素性を知られていなかった。
歴史上、早雲が相模を従え、やがて後北条氏が関八州を占める戦国大名となる礎を築くことになるのは、もっと後の話である。
「そして、今まさに、この混沌たる東国を鎮めるため、諸君の先輩達が出征している。彼我の戦力差から見ると、勝敗は短期に決するであろう。東国諸将が主上の御稜威に従わんとすることは間違いない……」
第一師団の敷地に『食事ラッパ』が鳴り響く。
「お、食事ラッパか、では、今日の授業はここまでだ」教師が言った。生徒たちが歓声を上げて食堂に向けて走り去る。
師団の敷地の外の道。片田順が散歩していた。待っている便りがある。そのために落ち着かないので、商店から出て少し外を歩くことにした。
「おっ、『食事ラッパ』か」陸軍の『起床ラッパ』、『食事ラッパ』、『消灯ラッパ』など、六十程もある号音ラッパは片田が日本軍から持ち込んだ物だ。いちいち考えていられないので、覚えている限り、すべて流用した。
「カッキ込メ、カキ込メ、ソーラメシダヨー」片田が食事ラッパの替え歌を口ずさみ、微笑む。




