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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
483/609

アルノ川の船旅

 日が少し高くなり、海からの風が吹き始めた。晴れている。ヤコブが雇った船は十メートル程の長さで一枚の三角帆を備えていた。

 その船に香辛料や薬草、香料などの高価なものを積む。片田商店と取引するようになって、商品の取扱量と単価が飛躍的に伸びた。


 潮風の匂いがする風を帆に受けて、アルノ川が蛇行だこうするピサ平野を、フィレンツェに向けて進む。

 街を出ると、すぐに田園地帯になり、遠くに教会の尖塔せんとうが見える。フィレンツェまでは六十キロメートル程だった。

「この風ならば、明日には着くじゃろう」ヤコブが言う。

 アゴスティーノ・ニフォがシンガに、フィレンツェで紹介しようと言った二人について話す。

「マルシリオ・フィチーノは、六十三歳になる学者で、プラトン・アカデミーの中心人物だ」

「プラトン・アカデミーってなんですか」シンガが尋ねる。

「プラトンとは、人の名前で、古代の哲学者だ」

「古代って、どれくらい昔の人なんですか」

「今年は西暦一四九六年だから、今から二千年くらい前の人だ」

「そんな前の人なんですか、それでその人の言ったことが残っているのですか」

「ああ、こちら側では失われていたが、アラビアやビザンチンに残っていた。それがまた、入って来て、知られるようになったんだ」

「そんな昔だとすると、キリスト教が始まる前のことですよね」シンガが言う。

「それが問題なんだ。彼らの哲学とキリスト教のスコラ学の間に矛盾があってはならない」

「どうしてですか」

「キリスト教の教えは、絶対の真理だからだ」

「そうですか」このあたりが、シンガにはよくわからない。

「なので、マルシリオは、プラトンの残した物をラテン語に翻訳し、プラトンとキリスト教の教えの融合をめざしてプラトン・アカデミーを始めた」

「じゃあ、偉い人ですね」

「そうだ。アカデミーはメディチ家のカレッジにある別荘に置かれている。向こうに行ったらシンガも連れて行ってやろう」

 シンガはプラトンに興味はないが、彼等の目的の役にたつかもしれない、と思う。


「そして、クリストフォロ・ランディーノは博学で、ダンテの『神曲しんきょく』の注釈を書いている。二人とも老いているが知識欲は旺盛おうせいだ。君のアジアの話を聞きたがるだろう」


 最初の日にはエンボリの街の岸まで着いた。ここで一泊する。翌朝は低い丘を越える。取水用のせきが現れるようになった。

 堰の一方の端に『船通ふねどおし』という傾斜がある。魚道ぎょどうのようなものだ。船通しのあるところには、馬を数匹繋いだ地元の男が待っている。


 ヤコブが銀貨を三枚(三ソルド)渡すと、船に馬をつなぎ、川上に引っ張ってくれ、船通しを越えることができる。

 未熟練労働者の一日の稼ぎが七ソルド、親方の稼ぎが二十ソルド程なので、一日に十隻も渡せば、いい稼ぎになる。


 両側に丘が迫るなか、何度か堰を越えると、フィレンツェのある盆地にはいる。

「フィレンツェに入るまで、あと堰は一つだけじゃ」と、ヤコブ。


 シンガとアゴスティーノはマラリアの治療薬について話していた。

「えっ、マラリアに治療薬があるのかぃ」アゴスティーノが驚く。

「最近みつかったんだけど、ヨモギ液の薬があるんだ」シンガがアルテミシニンの話をした。

「このあたりでも、水辺に住む人々はマラリアで苦しむことがある。その薬があれば、助かるだろう」

「そうか、こっちには薬がないのか。じゃあ、次の船便で持って来るように言っておくよ」

 当時、このあたりでは『悪い空気』がマラリアの原因だと考えられていた。『悪い空気』をイタリア語で言うと『mal aria』だ。すなわちマラリアの語源になっている。




 シンガがフィレンツェのある盆地を見回す。遠くの山際に細長いイトスギが見える。丘の斜面に銀色のオリーブ畑が広がる。アルノ川に沿う道にプラタナスの並木が延びる。川岸には柳が揺れていた。

 早春の日差しが、川面かわもで砕けて反射する。


 現在のフィレンツェにはニセアカシアも多いが、これはアメリカ原産の帰化植物で、シンガの時代には、まだ生えていない。


 川の向こうの山が大きくなってくると、両側に住居が増えてきた。ヤコブが、最後の堰だといっていた段差が見えてくる。二段になっていて、右側に『船通し』があった。『カッシーネの堰』という名前が付いている。


 カッシーネを過ぎると、左側の土手上は道になっているらしく人通りがある。そして、土手を固めるためだろう、土手の上に並木が植えられている。

まず、川の左手にフィレンツェの城壁が見えてくる。それをやり過ごすと、右手の城壁が迫る。城壁には塔が建っている。『サンタ・ローザの塔』だ。

 この塔のたもとに船を付ける。


 ここより上流は、すこしの間急流になる。現在は『サンタ・ローザの堰』があるが、当時はまだない。その向こうにはフィレンツェ市内なので四つの橋が架かっていた。

 こちらからみて三番目がヴェッキオ橋になる。


 ヤコブが船を付けて上陸したあたりをサンフレディアーノ地区という。職人やユダヤ人が多い。上陸場所から少し入ったところに、ヤコブの商店兼倉庫があった。そこに持ってきた商品を運び込み、その日は商店に泊まる。


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