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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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サッカー場

 パラゴムノキが温室に来て、一年以上っている。

 茸丸たけまるは、これまでの栽培経験で、パラゴムノキの特性をだいたい把握はあくしていた。栽培適温は二十六度前後、日光を好み、降水量も多い方がいい。

土壌は弱酸性がよく、有機物を含んだローム質が最適だった。犬丸が送ってきた苗木に付いていた土が参考になった。


片田商店の船が、各地の土壌を運んできていた。一番の適地はマラッカ王国の後背こうはいにある台地だろう。対岸のスマトラ島も適地だった。

現地の国王に交渉して土地を借り、栽培を始めようとしていた。


 パラゴムノキの種や苗木は、アマゾン河口付近で片田商店が持って来る商品と交換出来た。漁網ぎょもう、槍、ナイフ、なた、釣針、縫い針などだ。


 アマゾン川の河口は赤道直下にある。赤道無風帯といわれているあたりなので、風が弱い。そして、南北どちらの方向に航海しても、東から西に風が吹く貿易風帯が拡がる。

 加えて、河口の左右、南米大陸の最東端、セイシャス岬から、小アンティル諸島に至るあたりの海岸沿いには『北赤道海流』という強い海流が、これも東から西に向けて流れている。

 この海流の強さは黒潮に匹敵する。時速で三キロメートルを超える。

 船乗り風に言うと、二ノット近くの速度だ。風も海流も逆向きなので、並みの帆船、そして機帆船でも逆らうのは困難だ。

 安宅丸あたかまるが最初の航海でアマゾン河口にたどり着けたのは、採算を無視できる航海だったからだ。


 なので、パナマからアマゾン川に直行するのは、経済的には難しい。片田商店の大西洋貿易は、時計回りの三角貿易になった。


 日本から偏西風に乗って太平洋を渡り、肥料やガラス材料をパナマに運ぶ。パナマから大西洋岸までは鉄道で行く。そこから船で北をめざし、偏西風に乗ってイングランドのオルダニー島に肥料、ガラス材料を持ち込む。代金の金銀とウェールズの無煙炭を積んだらヨーロッパ西岸を南下してカーボ・ベルデに至る。ここで日本からの漁網や槍、インド洋からもたらされる胡椒などの高価な品と金銀を交換する。

 カーボ・ベルデは絶海の孤島なので、ここに無煙炭を蓄えると、蒸気船にとっては便利だった。イングランドの無煙炭は上質なので、評判が良い。

 そして貿易風に乗ってアマゾン川河口に至り、ゴムの種を積む。そしてまっしぐらにパナマの大西洋岸をめざす。

 ゴムの種、残った金銀などは、列車で太平洋側に渡りゴムの種はマレー半島に、金銀は日本に持ち込まれる。

 胡椒など、西洋人が好む商品は、さらにイングランドまで運ぶ。


 これとは別に、カーボ・ベルデから北西に進み、偏西風帯で北東に針路を変えると、パナマまで行かなくとも、直接アジアの商品をイングランドに持ち込むことも出来た。


 パラゴムノキは種を植えてから、ラテックスが採取できるようになるまで、五年程かかる。なので、船に載せられる程度の、樹齢の若い苗木も運ばれた。




 パナマの港は、栄えた。

 荷物の積み下ろしに使われるだけではなかった。まず、船を修理するドックが作られた。商品を保存する倉庫群が海岸に並ぶ。

商船や軍艦向けの缶詰工場というものも出来た。パナマ周辺で採れる魚やトウモロコシ、トマトなどの農産物の水煮を作る。

魚は熱帯産なので、あまりうまいものではなかったが、醤油と化学調味料を入れれば、食べられるものになった。

いちが立ち、商館が建てられる。サッカー場まで出来た。


中米では、犬丸達が来る前から、サッカーに似た球技があった。広場の両端にゴールを設け、二手にわかれて、ボールをゴールに入れることを競う。

現地の言葉、ナワトル語で『オッラマリストリ』というそうだ。


ボールはゴムを固めたもので、二十から三十センチほどの大きさだった。中空ではないので、重さは二~三キロもある重いものだ。なので、競技者は腰や膝を守るための防具をつけていた。

いろいろな遊び方のルールがあったといわれているが、もっとも一般的なルールでは、手や足を使わない、という。

使えるのは、腰、尻、もも、肩だそうだ。どうやって、遊ぶのか、首をかしげたくなる。

なので、ここでは足は使えることにしておく。また、ボールも、日本から加硫ゴムを空気で膨らませた軽いボールを持ち込むことにして、防具の着用は不要にしている。



 サッカー場の広さに決まりはない。パナマに出来たのは幅五十、長さ百メートル程の広場だ。


 満月の日には、日本とパナマの親善試合が行われることになった。両方から十一名ずつ選手と、賞品を出す。

 勝った方が、相手の出した商品を手に入れる。


 日本側が出すのは、『翡翠ひすい顔料がんりょう』百缶だ。それに対してパナマ人が出してくるのは、相場で同価格の銀であることが多かった。

 パナマ人にとって、翡翠顔料はいい交易品になるので、幾つあってもよかった。


 はじめのうちは、一方的にパナマの方が強かった。日本は十回に一回も勝てなかった。しかし、慣れてくるにしたがって、四回に一回程勝てるようになる。

こうなると、当然の成り行きで、当事者以外の観客を相手にした『賭け屋』が登場する。

 このようなことは、世界どこでも同じなのだろう。


「こんなの四回に三回はパナマが勝つんだから、パナマにければ、儲かるに決まっているんだ」金太郎が言った。

「お前、そんなことでいいのか。日本人じゃねぇのか」熊五郎が食って掛かる。

 金太郎は黄色のパナマ側の投票券、熊五郎は日本側の赤の投票券を握っている。


 二人は西側の斜面になっている観客席に座っていた。隣には玉座のようなものがあり、そこには米十こめじゅうが着座している。手に持った杖にはケツァーリーが止まっている。

 米十は日本側の代表のようにパナマ人に扱われていた。

 向かい側のパナマ側にも同様の席が設けられており、地元の酋長しゅうちょうが座を占め、周囲にパナマ人観客がひしめく。

 この二人の眼下がんかで試合が行われる。


 パナマ側の観客席は、いつも満員だった。土器にかわを張った太鼓をたたく、拍子木ひょうしぎを打つ、一つの音しか出ない指穴の無い笛、などが鳴らされる。

「ハー。アー、アー、アー」と歌のようなものを大声で叫ぶ。完全にアウェーだ。

 日本人側の観客席には、当日パナマに居る日本人が全て動員されるが、たいがい劣勢である。


 今日の試合は、いまのところ二対一だった。終了は日本船から持ち込まれた三十分の砂時計で決められる。日本側が一点得点した。


「お、同点になったぞ、いけるかもしれん」熊五郎が喜ぶ。

「まだ、十分くらい残っているだろう。まず、無理だな」と、金太郎。

「たしかに、儲けるんだったら、お前がいうとおりだろうさ、でもな、日本に賭けて買った時の爽快感はたまらん」熊五郎が握る投票券が汗で濡れる。


「好きにするがいいさ」金太郎が鼻を鳴らす。


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― 新着の感想 ―
>この海流の強さは黒潮に匹敵する。時速で三十キロメートルを超える。 >船乗り風に言うと、二十ノット近くの速度だ。 流石に何か桁間違っていませんかね…? 黒潮は2ノットくらいですし、速吸の瀬戸や明石海…
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