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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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飢饉

 七月。

 安宅丸あたかまるは、堺の砂浜で拡大器を作っていた。これは四枚の細い板から出来ている。板を二枚ずつ、V字型と逆V字型にして接点を鉄の棒でつなぐ。二つのVの交差する所も同様につなぐ。接点は回転できるようにしてある。

 これを床に置き、一番左手前の端を固定する。このようにして手前真ん中の端で、形をなぞると、手前右側の端は、その二倍の大きさを描く。V字型の交差するところをつないでいる接点を移動させると、五倍程度まで拡大させることができる。

 

 船の船腹を構成する条板ストレーキは一枚一枚異なる曲線になる。この条板の形を決めるのは非常に難しい。

 安宅丸の最初の舟は五トンくらいだったが、これから作る船は二百トン(千石)程度になる。船体の大きさで言うと、沿海航行するフェリーくらいの大きさだ。長さが四十メートル、幅十メートル、喫水が四メートルくらいで。それぞれ最初の舟の四倍の大きさだ。安宅丸が持ってきた最初の舟の型紙を四倍にしてやることで、一から条板の形を決める作業を省くことが出来る。

 なぞるところは、型紙をそのままつかうのではなく、板に型紙の形の溝を掘ったほうが、なぞりやすいな、と安宅丸は思った。


 片田がとびの村から来た文を読んでいた。石英丸せきえいまると『ふう』が結婚したという報告しらせだ。一月にふうが村に帰ってから、半年以上かかったが、落ち着くところに落ち着いたようだ。『あや』が暗躍したのだろう、と思った。商店の二階、片田の部屋から港が見える。港では、造船所を置く島の建設が始まっていた。




 片田の心配をよそに、今年も飢饉にはなりそうもない。奈良では、今年も盛大な踊り念仏が開かれたという。現在のねぶた祭のような、大きな造り物の富士山や鶴亀などを担いで行列をする。相撲、猿楽が催されるなど、ずいぶん華やかなことになったという。京都では御霊会ごりょうえが今年も盛大に行われたという。祇園祭である。

 それ以外にも、寺社や国人などが個人的に風呂風流というものを行うのが流行っている。この年の文化は最後の爛熟を謳歌おうかしていた。




 年が明けて長禄三年になった。ふうは誉田ほむたの水道橋建設現場に戻ってきた。

 濠の岸にはたくさんの切り石、シラス、石灰石が積み上げられていた。

亀の瀬付近で方形に切り出した石を、舟に乗せて、応神天皇陵の濠まで運ぶ。

 丸木と綱、動滑車を使った簡易クレーンを使い、舟から石材を持ち上げ、堤の反対側に降ろす。反対側の方が低いため、大きなクレーンは不要だった。背の低い石の柱が二列十本組み上げられる。間にはシラスと石灰でつくったコンクリートが詰められた。

列の間に逆U字型の木枠が作られる。

「その石じゃない、そっちの楔型くさびがたの石だ」土木丸が言う。

 アーチのところは、楔形の石を使っていた。




 三月、田植えの時期なのだが、雨が降らない。濠には大乗川からふんだんに水が流れ込んできていた。義就の依頼で周囲の田に水を分けたが、水の届かない田に撒いた籾は発芽しなかった。

 おかしな噂が流れてくる。太陽が二つに分かれて見えた、妖しい星が月にかかった、などである。


「ふう、具合が悪いのか」犬丸が言った。

 ふうが平板測量器に突っ伏していた。

「なんでもない」

「でも、顔が青いぞ」

「……お腹に赤子ややがいる」

「え、」「え、」土木丸どぼくまると犬丸が前後して言った。

「だいじょうぶ、まだ、しばらく、だいじょうぶなはず」

 そういって、ふうはまた測量器に向かった。


 二人は石之垣太夫いしのがきだゆうに相談した。

「そうか。しかし、外から見てわからないし、ふうがいうように、まだ大丈夫だろう」三人の子を持つ太夫が言った。

「土木丸、ふうの仕事を覚えるんだ。いまはまだ平気でも、夏には子を産むために村に帰らなければならないだろう」

「周辺の百姓が仕事を求めて来ている。今のうちに一気に工事を進めたい。ふうがいないあいだ土木丸が代わりを務めるんだ」


 今年の収穫が見込めないと知った百姓たちが、水道橋の工事現場に集まってきていた。太夫は来たものをすべて雇った。




 梅雨の頃、ふうが村に帰った。ふうの仕事は土木丸が代わった。水道橋の傾度を一定にして工事を進める役だ。


 九月、京都と奈良のある山城、大和に暴風雨が来た。賀茂川が大氾濫をおこし、多数の溺死者がでた。暴風は川を荒らし、京都への水運に支障がでた。京都は米不足になった。




 翌長禄四年も春は日照りであった。この四年で三度目の不作の年になるのはまちがいなかった。百姓の中に、持ちこたえられないものが出てきた。水争いがあちらこちらで起きた、という噂がとんだ。

 このころから京都の餓死者が急に増えてきたという。


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