入隊初日
入隊初日は制服の確認から始まった。対象は昨日入隊した新兵だ。
正しく着用出来ているか、の点検だった。現代の自衛隊には『制服』と『戦闘服』があるが、皇軍の新兵には両者兼用の軍服があるだけだ。片田が旧日本軍しか知らない。
襟のところに、階級章が付いている。藤次郎の階級章は、赤い長方形に黄色い星が一つだけある。二等兵というやつだ。
昨夜、裁縫道具を使って、自分で縫い付けた。
「今晩、やり直しておけ」と軍曹が睨みつける。
曲がって取り付けて、やりなおしを命じられた。下着がズボンからはみ出している男もいた。洋装など、生まれて初めてだ。
服装が、まあよかろう、ということになると、初めて兵舎から外に出ることが許された。練兵場の隅に連れていかれ、一列に並ばされる。
教官は軍曹と呼ばれている男と、伍長という男の二人だった。どうも軍曹の方が、偉いらしい。
「まず、貴様らのとるべき、『姿勢』について教える。目の前で伍長がやってみせるので、真似をしてみろ。では『気を付け』」
伍長が『気を付け』の姿勢をとる。両足の踵を付け、姿勢よく直立する。
「『休め』」
片足を少し開き、肩の力を抜く。
「気を付け、休め、気を付け、休め……」
「次は『敬礼』だ。『敬礼』!」
右腕を横に延ばして折り、掌を目じりあたりに近づける。左手を挙げてどやされる男がいた。
「敬礼、なおれ、敬礼、……」
それなりに様になるまで、訓練させられる。兵舎内や練兵場で、新兵が上官に会うこともある。その時に、姿勢や敬礼がなっていないと、新兵教育係が叱られることになる。
「だいたい、よかろう」軍曹が言った。
「ここまでは、簡単だ。次は少し難しくなるぞ。各自、背後の壁に立て掛けてある木銃を持て」
新兵達が背後を見ると、なるほど、木で出来た銃のようなものがあった。各自それを持って、向き直る。
「これから、銃を執っている時の姿勢について教える」
執銃時の姿勢は幾つもある。『不動姿勢』、『控え銃』『つれ銃』、『になえ銃』、『立て銃』、『下げ銃』などだ。
そして、それぞれについて、敬意を表す敬礼がある。とても、一度で覚えられるようなものではない。なので、訓練が始まると、ほとんどボケ防止体操のような有様になる。
午前中は、それだけで終わってしまった。
昼食になる。軍隊の食事は、白米がでる。地方から出てきた新兵は、これに感動する。
「藤次郎殿、白米とは旨いもんだな」吉野の奥から出てきた権太が言った。
「ああ、俺も堺に出てきたとき、驚いた」隣の藤次郎が返す。
「これ、お替りできるのかな」
「できるんじゃないか、当番兵が釜の前で待機しているから」
午後は、格闘術だった。
「いいか、お前ら、格闘は、最後の手段だ。通常は銃や銃剣などで戦うが、手元に武器がなくなることもある。そのような万が一の時に、生き残るのが目的だ」
「格闘というと、拳で殴ることを考えるだろうが、それは止めておけ、なんでだかわかるか」
皆、黙っている。軍曹が満足そうにうなずく。
「拳で殴ると、当たりどころによっては、指を骨折するからだ。骨折したら、そのあと銃が撃てなくなるだろう」
なるほど。彼らも銃というものがあるのは、知っている。練兵場を見回せば、射撃の訓練もしていた。
「なので、皇軍で格闘と言った場合、肘や掌、膝、踵などを使う」
「本気で格闘を始めると、怪我人が大量に出る。従って、型を学ぶに止める。本気で殴るんじゃないぞ。わかったか」
「ハイ」と皆が答える。
藤次郎も、ハイと答えたが、本当にそんなもので戦えるんだろうか。子供の頃の喧嘩といえば、たいがい石投げか拳だった。
「まず、膝を使った戦い方を教えよう。そこのお前、伍長の前に立って、右手で殴る真似をしてみろ、本当に当てるんじゃないぞ」
指名された男が、伍長に向かって右手で殴ろうとする。そのとたんだった、伍長が殴りかかって来る腕の外側に回り、左手で相手の男の後頭部を押し下げる。前のめりになった男の顔に伍長の右膝があたる。打撃を与える前に寸止めした。
「次のお前、こんどは伍長を蹴ってみろ」権太が指名された。
「いいのか」
「かまわんから、やってみろ」
「よーし」そういって権太が右足を蹴り上げる。伍長がすばやくその足を手で握り、左足でスキの出来た権太の股間を踵で襲う。これも寸止めしたが、ちょっと当たったらしい。
権太が仰向きに転倒する。
「この場合には、もういちど股間を蹴り、とどめを刺す」軍曹が説明した。
権太が立ち上がるが、目に涙を浮かべていた。
「少しあたったか、すまなかった」伍長が言った。
「次だ。お前。拳で伍長を殴れ」こんどは藤次郎が指名された。
「ハイ」そういって、伍長に向かって、右の拳を繰り出そうとする。
“掌は使えるって、言っていたよな”藤次郎が思う。
伍長が先ほどと同じように藤次郎の右外に回ろうとする。藤次郎が右腕を繰り出すのを止め、左足を蹴って、上体を前にだす。そして、左手の掌を押し出し、伍長の顎に向かって突き出した。
藤次郎はシロウトだったので、寸止めなどできない。まともにあたって、伍長があおむけに倒れる。一瞬だけ気を失ったようだ。
「あっ」藤次郎が言った。
「アッ」皆が言った。
「……」軍曹が息を呑んだ。
掌の付け根の部分で突いたのだが、本当に効き目があるんだな。と思うと同時に、まずいことになった、とも思う。
伍長が頭を振りながら立ち上がる。
「気にしなくともいい。さあ、手を出せ」伍長が言った。
藤次郎がおそるおそる開いた手を前に出す。
「格闘術の訓練では、このようなこともある。今のは無かったことにしよう」伍長が藤次郎の手を握る。
と、そのとたんだった。藤次郎の天地がひっくりかえる。伍長が藤次郎を『背負い投げ』したのだ。伍長はそのようなことにも手練れのようだった。背中から地面に落とされたが、ちっとも痛くなかった。
「敵を前にしたときに、油断するな。わかったか」伍長がいった。
「はい、わかりました」
「よろしい、それがお前を生かす」