入隊 (にゅうたい)
数日考えたうえで、皇軍に入隊してみることにした。紹介所の受付嬢は入隊したら原則一年は除隊できないといっていたが、どんなところでも、一年ぐらいは我慢できるだろう、そう思った。
堺の紹介所に行くと、先日の娘がいた。
「あ、石出の藤次郎さんですね。お待ちしておりました」娘は藤次郎の名前を憶えていた。
「あぁ、試しに一年入隊してみようと思う」
「そうですか、それは、歓迎いたします」娘がそういって、幾つかの書類を出す。
「『入隊契約書』、『安全保障調査質問票』に記入をお願いします。『出生証明』は、在籍地確認が済んでいますので不要です」
「それと、念のためお尋ねいたしますが、結婚なさっていますか、またはお子様がいらっしゃいますか」
藤次郎が否定する。
「では『結婚証明書』と『扶養家族の出生証明書』は、不要です。ご両親は在籍地にお住まいですね」
そうだ、と答える。
「きまりですので、お伺いします。気を悪くなさらないでください。犯罪歴がありますか」
もちろん、無い。
「では、『法的記録』の提出も不要です」
いくつも、名前と住所を書いた。こんなに一度に自分の名前を何回も書いたのは、初めてだった。
「足軽になるのに、こんなにたくさんの書類をかかなければいけないのか」藤次郎が呆れる。畠山政長の軍に参加した時には、書類なぞ、書く必要はなかった。
「私も、最初は驚きました。でも、法治国家なので、しかたがないそうです」
「ほうち、なんだ」
「すべて、法を定めて、それに沿って国の仕事をしていくのだそうです」
「そうなのか」
「すべての書類が整いました。では、少々お待ちくださいね」娘がそういって、奥の部屋に入っていく。
藤次郎が、改めて部屋のなかを眺める。こざっぱりとした部屋だった。
娘が戻って来る。
「所長の決裁をいただきました。これが『入隊許可証』です。これを持って、堺の北木戸の外にある第一師団に行ってください」そういって、赤い印が押された書類を一枚渡す。
「第一師団ですか」
「はい、師団の門衛にこの書類を見せれば、中に入れてくれます。新兵は最初に教育隊に配属されます」
「わかりました」
「では、これで終わりです。どうか、幸運に恵まれますように」娘がそういって、とびきりの笑顔を返した。
「北の木戸って、言っていたな」藤次郎が言った。
紹介所は菅原神社の隣にあった。藤次郎が西に進み、大道筋を右に折れる。大道筋とは、紀州街道のことで、堺の街中の部分をこう呼んでいる。
北の木戸を抜ける。その先は、紀州街道以外は、ほとんど一面の草原と湿地だった。街道の右側に鉄条網が張られた柵があり、中に平屋の兵営が並んでいた。
柵の一部が開いていて、門がある。あれか。
銃を担いだ門衛が二人、その周りに藤次郎と同じような紙を持った若者が四、五人立っていた。
門衛が藤次郎を見る。
「お前も、入隊志願か」
「そうです」
「よし、ここで待て、もうすぐ教育隊から迎えがくる」
教育隊の引率に導かれて大部屋に入った。長机がコの字型に並んでいて、幾つもの受付があった。みていると、紙を挟んだ板を持った新兵が、並んだ受付で次々に手続きを行い、終わったら、右手の扉から出ていく。
まず、面接を受ける。変な質問を幾つもされるが、とりあえず思う通りに答える。これは精神鑑定を含む面接だった。次は口を大きく開けて、虫歯がないか、確認された。歯科医が、藤次郎が持つ板を受け取り、留められた紙の、歯科検診のところにチェックを入れる。
身長と体重を計る。天秤式の体重計に乗ったのは、初めてだった。
靴、作業服、軍嚢を渡される。先ほどの身体測定から、自分の身長体重に合ったものが選ばれている。隣の受付では洗面道具が渡される。
こんなものまで、支給してくれるのか。
そのあと、隣の浴場に送られる。壁の身長より少し高い所にハスノミのようなものがあって、そこから暖かい湯が出てくる。こりゃあ驚いた。
支給された洗面道具の石鹸と手拭で体を洗う。
洗い終えると、渡された作業服と靴に着替える。いままで着ていた服などの私物は、ひと纏まりにまとめて、風呂敷に包む。
小さな冊子を受け取る。教育隊内での決まり事が書かれているらしい。
次の受付では、私物を送り返す。少し考えて、石出村の両親の所に送ってもらうことにした。
最後の受付では、服と靴の大きさを確認された。
「よし、服も靴もあっているようだな」
「そのようです」
「軍隊では、上官から訪ねられたら、まず、ハイかイイエで答えろ」
「ハイ、だいじょうぶのようです」
「よし」
一四九四年十一月、石出の藤次郎が、新兵として第一師団に入隊した。




