皇軍 (こうぐん)
「あんた、若いのに、そんなことしてて、いいのかい」酒屋の女将が若者に言った。
言われた若者は、十六、七だろうか。石出の藤次郎という。根来寺のある紀伊国の石出の出身なのだろう。
「そりゃあ、そうだが。とりあえず食っていけるからなぁ」藤次郎が言った。
「まぁ、うちにとっちゃあ、お客だから、余計な事だけどさ」
藤次郎は立派な体をしていた。男振りも悪くない。酒屋の女将がお節介を焼くのも、無理もなかった。
この藤次郎、二年前の『明応の政変』のときに紀伊から出てきていた。
河内国正覚寺で、畠山政長が逆包囲されかかっていた。その政長を支援するために、彼の領地、紀伊の武将が河内に進出して、堺で阻止されたことは、すでに書いている。
その武将に従ってきた。戦場で一旗あげよう、そう考えた。
しかし、彼らが正覚寺に到着する前に、畠山政長が敗れる。いまさら故郷に帰りたくはない。野良仕事が嫌いだった。
紀伊の軍が解散した後に、堺に居ついた。針や糸、墨や筆などの行商をして、糊口をしのいでいた。
行商先は、堺の南、狭山のあたりだった。灌漑用の溜池を縫うようにして歩き、そのあたりの農家に針や墨を売り歩く。
水運の発達していない場所だったので、よく売れた。
小さくて、軽い物ばかりを扱うことにして、背中の笈に納めた。たまに、荷車を引いてくることもある。行商先に頼まれた物が大物の時に使った。
この、注文を受けるという商売も評判だった。
当座の生活に困らなかったので、あっという間に一年半が過ぎた。堺に居る時には、たいがい、この酒屋に居て酒を飲み、酔った後には、木賃宿に寝にいく。
「一生、ボテ振りをするつもりなのかい」女将が言う。
「いや、そういうわけじゃないが、何をしたらいいのか」
「そうだろうね。まともに世間に出たことが無いんだから、わからないのも、しかたないわね」
「女将さん、なんかいい仕事があるかい」
「さてねぇ。そうだ、そういえば、こないだ片田商店の使用人が来て、そこにチラシを張っていったわね。見てごらん」
藤次郎がチラシを見る。『皇軍兵士、募集』と書いてあった。
「『皇軍』って、なんだ」
「さあ、なんでも片田商店の軍隊が、やんごとなき君の直属の軍隊になった、とか言っていたけど。藤次郎さん、もともと、兵になりたかったんだろう」
「足軽になりたかったわけじゃない。一旗あげたかったんだ」
「希望すれば、将になるための、学校に行くこともできる、と言っていたけど」
「将になる道があるのか」
「さあ、わからないけど。堺に紹介所があるっていうから、行ってみたら」
「そうだなぁ、これから冬になると、行商はきついからな」
翌朝、藤次郎が皇軍紹介所に行く。
「ここが、皇軍の紹介所でしょうか」
正面にこちらを向いた机が置かれていて、若い女性が座っていた。
「お若い修験者さんですか。加持祈祷の御用は、間に合ってますけど」
「修験者って、ああ、この笈ですか。いや、これは商売道具が入っているだけです」
「では、入隊をご希望されているのですか」
「まだ、そこまでは、決めていないのですけれども。いろいろ、教えてくれれば、と思ってきました」
「どのようなことでしょう」そういって娘が微笑む。
「まず、皇軍とは何ですか」
「天皇陛下直属の軍隊です。陛下の御命じになった時に、朝敵を征伐することを目的としております」
「ということは、大名のような非道なことはしない、ということですか」
「そのとおりです」
「元は、片田商店の私兵だったそうですが」
「そのとおりです。応仁の乱の時に商店の私兵として、二万を組織しましたが、乱の終結とともに、商店主が陛下の元に参じ、皇軍となりました」
「どれくらいの兵がいるのですか」これは重要だった。寡兵だと負け戦になる。
「はい、乱の終結とともに兵数は五千まで減りましたが、その後諸国の戦乱で主を無くした兵などが集まり、いまでは四万人の兵を持つまでになりました」
「四万ですか。そんなに多いのですか」
「はい、一般の大名より、はるかに強い勢力となっています」娘が、また微笑む。若い男の扱いに慣れているようである。
「将になる道がある、と聞いたのですが」
「はい、あります。能力が認められれば、兵として手当をいただきながら、兵学校に通うことが出来ます。そこでの成績が優秀であれば、次に士官学校に進み、士官や将への道もあります。あなたは、文字の読み書きや、算術はできますか」
「できます。今は行商の仕事をしているので、ほら」そういって、腰の大福帳を見せた。
「では、入隊のあと、数か月の新兵訓練を優秀な成績で終えれば、兵学校に進むことが出来ます」
小山七郎さんが言っていた通りだ。兵はいつでも集められるが、将校の育成には時間がかかる。軍は常に将校の候補者を求めていた。
「お仕事は、行商さんですか。生まれはどちらでしょう。籍はありますか」
「紀伊国、石出です。荘園で生まれ育ちましたので、ちゃんとした籍があります」
「では、入隊できます。私たちは、あなたを歓迎しますわ」
「今日、決めなければいけませんか」
「そんなことはありません。紹介所はいつも開いていますので、決心がついてからでけっこうです。ただ」
「ただ」
「もし、よろしければ、この書類にお名前と在籍地を記入していただければ、在籍地の戸籍を、当方であらかじめ確認できます。そうしておけば、次にいらっしゃった時に、すぐに入隊できますが、いかがですか」
藤次郎が、その書類に必要事項を記入して、紹介所を出た。