文化の伝播 (ぶんか の でんぱん)
興福寺の宿坊、趣味の良さそうななりをした男達が十人程集まっている。中心にいるのは宗祇だった。尋尊さんがいる。志野宗信もいた。
志野宗信とは、香道の達人である。足利義政の命令で将軍家所蔵の名香を六十数種類に分類した男だ。
二人は将棋盤を挟んでいる。
「これは、面白い」宗信が言う。
「そうであろう、たったこれだけのことで、将棋が別の遊戯になる」尋尊さんが自賛する。
「よく、思いついたもんだな、尋尊殿」
「ふむ、王手じゃ、これで詰じゃな」
「負けた。しかし、盤から除いた駒を使えるようにするとは」
「捕虜のようなもんじゃな」
どうも、尋尊さんが『持ち駒』というルールを思いついたようだ。彼らがやっている将棋は、『小将棋』というものだ。
盤面は現代と同じ、九×九のマス目だが、現代には使われていない駒が一つだけあった。それは『醉象』という駒だった。王将の上に一つ置かれる。動きは『金将』に似ているが、斜め後ろにも動ける。真後ろにだけ動けない。
さらに、まだ『持ち駒』がなかった。盤面から除かれた駒は再利用できない。西洋のチェスと同じだった。
そこに、尋尊さんが、獲った駒を再利用できるようにした。
「この『遊び方』は、流行る。間違いない」宗祇が感心する。
「じゃろ」
「で、この大仰な将棋盤を思いついたのか」
「そうじゃ、これだけ立派であれば、諸国の大名が高く買うであろう」
彼らが向き合っている将棋盤は榧製で、高さが七寸もある。現代のタイトル戦に使用するような将棋盤だった。
「駒の方も、いくらでも凝りようがあるじゃろ。名筆に書かせたり、よい材料を使うなどすればな」尋尊が得意そうに言った。
「確かに、将棋ならば、どんな地方の武士でも嗜んでいるであろうから、いい思い付きかもしれない」と宗祇が感心する。
「そうじゃろ、そうじゃろ。で、松隠軒殿は、何を思いついた」尋尊が言う。松隠軒とは宗信の号だった。
「わしか、わしはこれじゃ」そういって紙を出す。
「わしは、香道が専門だ。じゃから香の遊びを考えた」
「香で遊ぶだと、またずいぶんと贅沢な遊びを考えたもんだな。六十一種をあてるのか」
「いやあ、そんな高価な香木は、使わん。諸国の武将が、一斉にそんなものを使いだしたら、幾ら銘香を輸入しても足らなくなる。国が滅んでしまう。それに六十一種を聞き当てる者は数える程しかいないので、遊びにならぬ」
「どうするんだ」
「安い香を使う。それを五種類集める」
「それで」
「それぞれ、五袋ずつに分けると二十五袋になる。袋には香名を書かない」
「そうだな」
「それを、混ぜて中身がわからないようにして、五つ選び出す」
「うむ」
「五つを順番に焚いて、どの香と、どの香が同じかあてる、という遊びだ」
「なるほど」
「例えば、全部異なることもあるだろう。その場合は別々の五本の縦棒になる、ほれ、これじゃ」
宗信が懐から出した紙の右上を指さす。
「棒が繋がっているところが、同じということか。では繋がっていなければ、全部別ということだな」
「そうだ。この場合を『帚木』と呼ぶことにする」源氏香である。
「全て同じ香の場合には、これか」尋尊さんが左下を見る。縦棒の上に横一線の横棒が引かれていて、すべてが繋がっていた。
「そうだ、それを『手習』と呼ぶことにする」
「というと、源氏五十四帖にあてているのだな」
「そのとおりじゃ。最初の『桐壺』と、最後の『夢の浮橋』を除いた五十二帖の名前をあてた」
「なんで五十二なんだ」
「香の組み合わせが五十二種類になるからだ」
「そうなのか」
「ああ、全部数えるのに、一苦労だった」
「まあ、安い香を使うんであれば、遊びにはなりそうだな」宗祇が言う。
「そうじゃ、それに正解かどうか見極める判者が必要になるであろう、そうなれば、わしの所に入門してくる者も増える。両得じゃ」
「なるほどのう」
「そっちは、どうじゃ」尋尊が尋ねる。言われたのは狩野政信と土佐光信だった。
「それがの、謄写版というものがある」
「謄写版というと、友禅を刷る、あの謄写版か」と、尋尊。
「そうだ、俺の姉の雅子が出入りしている鏡屋で作っている」
「『あや』とかいう女の鏡屋だな」
「うむ、俺の妹の重子も出入りしている」光信がうなずく。
「その謄写版をどうするんだ」
「あれで、大和絵を刷ったらどうだろう、と相談していた」
「同じものが、たくさん出来るではないか。それでは、ありがたみがなくなるのではないか」
「ところが、妹がいうのには、一枚の版で摺れるのは二百枚がいいところだそうだ」
「二百枚か」
「なので、二百枚限定で摺ることにして、落款の下に十二分の二百と書く」
「二百枚限定の内の十二枚目、ということか」
「そうだ」
「ならば、絵ほどではないが、一定の値段が付きそうだな。なにしろ、お前様がたが描いたものなのだからな」と宗祇が言った。政信も、光信も、当代を代表する絵師だった。
版画のようなものを考えているらしい。
彼らは、いったい何をしているのか。
先日の酒席が跳ねた後、片田と宗祇が話した。
「地方を豊かにしても、その銀が兵に流れてしまうのでは、元も子もないのでは」と、宗祇が言う。
「そうでしょうか。世間が少しずつ進歩して、今日より明日の方が豊かになる、そう思っている人々は、兵よりも投資に資金を振り向けるのではないでしょうか」
「なかなか、そのようにうまくいくでしょうか。彼らの土地に対する執着は強いですよ」
「それほどですか」
「このようにしてみたら、どうでしょう」
「と、いうと」
「うまくいくかどうか保証は出来ませんが、彼らが欲しがるものを作り出す、というのは、いかがでしょう」
「どういうことですか」
「地方の大名は、都の文化を求めています。大内氏の『山口』に行かれたことはありますか」
「いえ、ただ行ったことのある者から、様子を聞いたことはあります。まるで小さな京都のようだと」
「そうです。そして、京都の文化への憧れは、東国も同じです。なにしろ私のようなものが、はるばる東国まで招かれるのですから」
「なるほど」
「少し融通していただけるのであれば、私の知る者を集めて、なにかしてみようと思いますが」
「ぜひ、お願いします」片田がそういって、宗祇が想像していたよりもはるかに多くの資金を提供した。
高校の日本史の教科書には、これを『文化の地方伝播』としている。史実では『応仁の乱』をきっかけとして、文化人や公家が地方に下向したことが原因だ。この物語では、乱が早期に収まっている。この物語では、乱が早期に収まっているので、別途伝搬の原因が必要だ。
源氏香は、史実では江戸時代に始まっているらしいので、作者のフライングです。
『持ち駒』というルールが出来た時代は、諸説あり判然としません。ただ、宗祇の『児教訓』に、『手中の持ち駒を見せる、見せないで揉める』という話があるそうです。ルールが出来たばかりで、ローカルルールで揉めたのかもしれません。