白髯と橘 (はくぜん と たちばな)
「手元の冊子を一枚めくっていただきたい。そこに描かれているのが日本の周囲の地図だ。マラッカとシンガプラが一番下、南にある」
「ほうっ」
「『日の本』の周りは、こうなっていたのか」
「シナとは、大きなもんじゃのぅ」
御所の春興殿だった。片田が諸国の大名や、その代理を集めてマラッカ交易船団の説明をしていた。
「大内殿が二隻、細川氏が二隻、赤松氏が一隻の船を出してマラッカと交易を行う。そして、それに片田商店の砲艦二隻が護衛として同行する」
「それが、わしらと関係あるのか」
「ある。片田商店は、砲艦とは別に、十隻の輸送船をだす。そのうちの半分、五隻で諸国から依頼された船荷を運ぶことにする」
「わしらにも外国と交易ができる、というのか」
「そうだ。量の多寡は問わない」
「しかし、なにを売ればいいんだ」
「地図の次を見て欲しい。これはマラッカの市での各種商品の相場が書いてある。最近の価格だ」
「ほむっ、これを見ると刀剣や硫黄、矢羽根が高くなっているな。刀剣は堺の十五倍だ」
「そうだ、最近は西の方で戦が増えている」
「そんなところでも、戦をやっているのか」
「まあ、そうだ」
「香辛料や香木は、堺で売ってるのより、ずいぶんと安いのだな」
「航海の危険があるからな。高額になるのはしかたないだろう。戻り船で持って来れば、これも、高く売れる」
「航海の危険、と言えば、難破したらどうなるんだ。商品は海の底にいっちまうだろう」
「そういうときのために、海上保険というものがある。航海に先立って、保険に入ることが出来る。時によるが、商品価格の十分の一程の額だ。この保険に入っておけば、万が一の時には商品価格の全額が戻って来る。銀で払われる」
「無事に帰ってきたら、保険料は返してくれるのか」
「保険料は戻ってこない。掛け捨てだ。しかし、諸国の商人はこの仕組みを使っている。年貢なども、この仕組みで京都に運ばれている」
「そうなのか」武士は、このようなことには疎い。
「つまり、うまく行けば、何倍にもなるし、失敗しても、一割を失うだけということだな」
「そうだ。そして、これまで片田商店の船は、めったに沈んでいない。船がまるごと失われたのは、百航海に一回以下だ」
「それならば、試してみてもいいかもしれないな」
「向こうでの取引なども、片田商店がやってくれるのか」
「まかせてくれるのであれば、商店が代理で取引するが。しかし、身内の者が同行することを強くすすめる。二、三男坊あたりを商人にすればよい。いつか、自分たちの船が持てた時に、自ら商売できるだろう」
「自分たちの船が持てるのか」
「そうだな、投資額にもよるが、数倍にもなるのであれば、やがて船が持てることになるな」
「で、商店の船倉を貸すかわりに、将軍を従四位として、律令に組み入れろ、そういうことか」
「そうです」
「従四位かぁ、ずいぶんとしょぼいな」
「今の左馬頭様は正五位下ですが」
「そりゃそうだが、しかしなぁ、箔ってものがあるよな」
「ああ、そうだ」
「みなさんは、いまの将軍様のことを、どのように思われますか。この中には将軍様に守護と指名されていない方もいらっしゃるのではないですか」
「それは……そうだが」
「ともあれ、皆で相談しようではないか。兵部卿殿、しばしお時間をいただきたい」細川政元がそう言い、片田が退席する。
片田が回廊に出る。右手を見ると紫宸殿の階が見える。手前に『左近桜』、階を挟んで向こう側に『右近橘』が立っていた。
「さて、どっちの目が出るか」
否決された場合の方策も幾つか考えてはあるが、荒っぽい事はしたくない。
目の前の桜の木をぼんやりと眺めていると、小鳥が数羽飛んできて、舞い踊る。ちょうど同じころ、片田の視線のはるか先の周防(山口県南部)では、大内政弘が死の床に伏していた。中風が悪化していた。
今日の集まりには息子の大内義興が参加している。
二年前の『明応の政変』の時に、摂津国の兵庫で日和見を決め込んだ若者だ。
“あれから、まだ二年しかたっていないのか。なのに、この国はずいぶんと変わってしまった”。そう、片田が思う。
正面の月華門が開き、衛士が一人の老僧を庭内に導いた。
みごとな白髯を蓄えている。橘の木の側に立ち止まると、それを見上げ、なにごとか考えているようだった。
春興殿の板戸が空き、細川政元が片田を呼ぶ。
片田が席に戻る。
「片田兵部卿殿の提案を受けることにした。全員がそう決めた」政元が言った。片田がホッとする。その後は酒宴になった。
政元が大内義興と、さきほどの僧を連れてくる。
「このあいだ言った、おもしろい男というのが、左京太夫(義興)の家に居る、というので連れてきた。先代が好んでいる男だそうだ」
「宗祇といいます」白髯の僧が名乗る。連歌師だそうだ。




