コッド・ボトル
「アイルランドにウォーターフォードという港がある、カタダ商店の船でも港に着けるはずだ。そこにクリスタル・ガラスのハウスを置きたい。名前は、『クリスタル・ハウス』としよう」イングランド王、ヘンリー七世が言った。
「そりゃあ、あっしらは王様の兵が守ってくれるのであれば、どこにでも工場を作れますがね」ガラス職人の頭の保谷惣兵衛が言った。
「クリスタル・ガラスを作るには、鉛が必要だと言っていたな。それと、カットするのには金剛砂とかいうものも必要だと」
「はい、酸化鉛と金剛砂は、どっちもわしらが販売することができます。わしらに足りないのは、職人なんです。なので、職人を育ててくれると、ありがてぇ」
「よかろう。それでは、ウォーターフォードの土地を貸し与えることにする」
そういって、ヘンリーがテーブルの上に置かれた小さな樽から、ラムネ瓶を取る。
「みなも飲むが良い」そういって、木製の『玉押し』を瓶に押し付け、勢いの良い音をたてる。
安宅丸以下、みな意外だったが、イングランドでラムネがたいそう好評だった。この土地では生水を飲むことができない。なので、朝からエールというビールのような液体を飲んで喉を潤す。年中酔っぱらっているようなものだ。
そこにラムネが持ち込まれたものだから、評判になった。
「ギブ・ミー・『ラムネ』」だった。
瓶詰として日本から持って来るのが間に合わない。なので、鍛冶丸の原液を持ち込み、ブラック・ウォールで蒸留水を作り、瓶に原液とクエン酸、重曹を入れて作った。ガラスはいくらでもある。この頃にはゴムが使えるようになっていた。犬丸がアマゾンのゴムをシンガプラに持ち込み、『えのき』が現地で栽培を奨励した。
まだ産業革命前なので、蒸留水を作る石炭はタダみたいなものだ。
クエン酸と重曹に、上から蒸留水を注ぎ二酸化炭素(炭酸)を発生させる。そこでラムネ瓶を逆さにすると、中のビー玉が、ガスで押し付けられて密閉される。
それがラムネ瓶の仕組みだが、史上これを発明したのはイギリス人だった。筆者はこれを知らなかった。本稿を書くときに調べて初めて知る。
ラムネ瓶のことを『コッドボトル』というのだそうだ。発明者の名前、ハイラム・コッドから来ている。
コッド氏はイギリス人で、コッドボトルを発明したのは、一八七三年だったそうだ。明治維新の五年後になる。
もともとは、コルク会社に勤めていた。ワインボトルの栓に使われる、あのコルクだ。コルクはコルクガシの皮を剥いで作られる。これはポルトガルやスペイン、イタリアなどに分布していて、イギリスでは採れない。
そこで、コッド氏はコルク以外のもので瓶に栓が出来ないか、考えた。ヴィクトリア女王の時代だったので、イギリスはゴムのプランテーションを持っている。そこで、あのコッドボトルが考案され、特許を取得した。
彼が瓶の利用方法として考えていたのは、おそらく鉱水、それも炭酸水だったと思われる。ミネラルウォーターの一種である。ワインなどより安く販売されるものなので、より安価な栓が必要だったのだろう。
現在でも瓶ビールに使われている『王冠栓』が発明されるのは一八九二年なので、二十年程のあいだコッドボトルは瓶詰炭酸飲料の覇権を握る。
日本に持ち込まれたのは、一八八四年だそうだ。発明から十年もたっていない。神戸の外国人居留地に住んでいた、アレキサンダー・キャメロン・シムというイギリス人薬剤師がラムネを販売した。
クエン酸や重曹は薬剤師が扱うものなのである。いまでも薬局に行けば、めだたないところに置かれている。シムの商館が居留地の十八番にあったので、『十八番』という名前を付けてラムネを売り出す。日本人の感性ではない。日本人だったら、歌舞伎役者か町中華を想像するだろう。
当時は日本を含むアジア各地でコレラが流行していた。それに対して新聞社が『炭酸瓦斯を含有した飲料水を飲むと、コレラ病にかかること無し』と書いたものだから、『十八番』が爆発的に売れた。
シムはボランティア活動にも取り組んだので、神戸市民に感謝されたのだろう。神戸市役所の隣にある東遊園地の南西隅には彼の顕彰碑が建てられている。
コッドボトルは、日本のラムネとして、またインドの『バンタ』という炭酸飲料として、生き残った。いまではイギリス人からは珍しい物と見られているだろう。
また、脱線しちまった。
ヘンリー王が応接室から退出し、シンガ達も、その後に従う。一面のガラスで採光された階段を降りていると、下からグリニッジ宮殿の侍女が登ってきた。
まず目についたのは、角ばった白いヘッドドレスだった。深い赤のガウンを着ている。ガウンの下は、黒の、胴を締め付けるようなケル(Kirtle)を着ているようだ。そしてやはり赤の袖。金の刺繍で飾られていた。見覚えがある。
上を向いた娘の顔がヘッドドレスから現れる。
「あれ、マーガレットじゃないか」シンガが言った。
「シンガね」そういって、マーガレットが笑う。
「どうして、こんなところにいるんだ」
「どうしてって、私、グリニッジの侍女になったのよ。手紙に書かなかったかしら」
シンガが口をあんぐり、と開ける。
「私、忙しいの」そういって、マーガレットはシンガの前を通り過ぎていった。さりげなくよそおっていたが、マーガレットの心臓はドキドキと鳴っていた。