表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
459/609

サヴォナローラ 1

「『加古かこ』が無事にピサに入ったか」片田が言った。

「ああ、ところがそのピサが、フィレンツェに対して独立戦争を始めた」安宅丸が言う。


 さすがに、ピサの独立戦争までは、片田は予習していなかった。彼はサヴォナローラについては、ある程度調べていた。彼が一四九八年五月二十三日に処刑されることも知っている。

 しかし、ピサの『第二共和政』までは手が回っていない。

 ピサとフィレンツェが戦争を始めたことにより、サヴォナローラと接触することが難しくなるかもしれない。


「とりあえず、現地のユダヤ人の『つて』で、情報を集める所からはじめよう」と、片田。

「どんな情報を集めればいい」安宅丸が尋ねる。

「そうだな、両者の戦力、経済力なんかだな。独立が維持されるためには、その二つが必要だ。あとは、周囲の国の動向かな」

「わかった、『加古かこ』の村上艦長に、そのように言っておく」


 安宅丸がそう言って通信を終えたが、諜報インテリジェンスなんて経験がない。どうしたもんだか。




 ジロラモ・サヴォナローラは、このあと片田の物語に関わって来る。なので、彼のことを話しておかなければならない。

 ジロラモは一四五二年にボローニャ近くのフェラーラという自治体で生まれる。統治者はエステ家だった。

 ジロラモの祖父、ミケーレは高名な医師だったそうだ。彼はその仕事を受け継ぐことを家族に期待されていた。祖父が学問の手ほどきをすると、きわめて聡明そうめいであることがわかったので、期待は高まる。


 二十一歳になった。来年には芸術学の学位を得られる。そうしたら、医学校に進むことになっていたが、それでいいのか、若者は悩んでいた。

 たまたま、ある教会に入ったら僧が説教していた。


「egredere de terra tua,(お前の土地を出よ)

  et de cognatione tua, (そして、お前の親族を捨てよ)

    et de domo patris tui,(お前の父の家も捨てよ)

      in terram quam monstrabo tibi(そして私が示す地に行きなさい)」


 旧約聖書、創世記ジェネシス十二章一節の言葉だった。

アブラハム(この時はまだ、アブラムと名乗っていた)、ロトの兄弟と父親が、カナンの地を目指していた。父の死でカランという土地に一時的に落ち着いていた時に、神がアブラハムに語った言葉だった。『約束の地』カナンに行け、と


 ジロラモは『雷の一撃コルポ・デ・フルミニ』に撃たれたような思いがした。私が行くべき道はこれだ、と。そして、翌年学位を得たところで、家出同然に家を飛び出し、ボローニャのサン・ドメニコ修道院に入った。なお、イタリア語で Colpo di fulmine は『一目ぼれ』という意味だが、ここでのそれは、もっと霊的な意味で使っている。


 当時、ジロラモが残された家族にてた手紙にはこう書かれている。

【私が出家の道を選んだのは、貧乏、暴力、姦通かんつう、盗み、傲慢ごうまん偶像崇拝ぐうぞうすうはい醜行しゅうこうなど、善という言葉の入る余地さえないこの世の地獄を見たからです。イタリアのこの無知な大衆の底知れぬ悪意に、どうして耐えられましょう】

 ジロラモは大衆の腐敗ふはいに耐えられず、修道院に入りキリストの導きに従おうとしたのだろう。しかし、やがてその宗教界も、いや宗教界の方が、より腐敗していることを知ることになる。


 ボローニャで八年修行をした。そして一四八二年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に転任した。

 同年には、ローマ教会では教皇の代替わりがあった。新しく教皇になったのはインノケンティウス八世である。ジロラモは、今度こそは清廉せいれんな男が教皇になるのではないか、と期待するが、裏切られる。キリスト教の僧侶は結婚しないの決まりだった。しかし、インノケンティウスが即位したとき、少なくとも七人の婚外子がいた。

 フィレンツェのロレンツォ・ド・メディチは自分の娘をインノケンティウスの息子に嫁がせる。そして、インノケンティウスはロレンツォの息子、弱冠十六歳の若造わかぞう枢機卿すうききょうに任命した。のちのレオ十世である。

 レオ十世といえば、贖宥状しょくゆうじょう免罪符めんざいふのこと)を乱発して、マルティン・ルターに『宗教改革』をらわされる教皇である。


 今回も駄目だったか。そう思ったジロラモが教会堂で友人の僧を待っていた時だった。教会の腐敗に悩む彼の頭に、ふいに雷に打たれたように、神から三つの至上命令が授けられる。よく雷に打たれる男だ。まるで避雷針ひらいしん男だ。

 その至上命令とは、

一、教会は鞭打むちうたれなければならない

二、教会は刷新されなければならない

三、それは、速やかになされなければならない

 だった。


 この時から、彼の説教は、がらりと変わることになる。いわく、

【見よ、神の剣はすみやかに地上に振りおろされるであろう】

【わたしはひょうとなって、無防備な人間どもの頭を粉々にくだくだろう】

【まずはじめに言いたいのは、神がイタリアという壺を粉々に砕く日が来るということです、イタリアの中でも、こっぱ微塵みじんに砕かれるのは、今わたしたちがいる、このフィレンツェです。あなたがたが悔い改めなければ】

【こんにち教会でげられる儀式は、神のためではなく金のためなのです。司祭になりたい者は、みんな神に仕えようとします。教会に入れば、やれ領地りょうち俸給ほうきゅうだと、経済的な特典が得られます】

【『坊主を出した家こそ幸いかな』です。でもいつかきっと、そういう家こそわざわいかな、という時が来るでしょう。なぜなら彼らに剣が振りおろされるからです】

【中には、そろそろ一周忌いっしゅうきではないかねときながら、後家ごけさんに手を出すものまでいます】

【いつかきっと、フィレンツェがフィレンツェとは呼ばれずに、恥知らずとか吸血鬼とか、盗賊の巣とか呼ばれる時がくるでしょう。そうれなれば、この街には幸せものは一人もいなくなるでしょう】

(ルビは筆者が追加、また読みやすくするため一部句読点等変更)

 等々、である。ジロラモの説教場せっきょうじょうは満員の盛況になった。


ジロラモは、一四九一年にはサン・マルコ修道院の院長になる。地位が上がるにつれ、教会上層部の腐敗が、より鮮明に、より具体的に見えてくる。


本文中で【】で囲まれたところは、以下の書籍からの引用です。引用が少し長くなるので、サヴォナローラの書いた手紙と発言のみを引用し、著者の文章は引用しませんでした。


「サヴォナローラ」エンツォ・グアラッツィ著、秋本典子訳、中央公論社

  昭和62年4月25日初版発行


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ジロラモさん、終末論で民衆の不安を煽る新興宗教の教祖様みたいになっておられる。。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ