サヴォナローラ 1
「『加古』が無事にピサに入ったか」片田が言った。
「ああ、ところがそのピサが、フィレンツェに対して独立戦争を始めた」安宅丸が言う。
さすがに、ピサの独立戦争までは、片田は予習していなかった。彼はサヴォナローラについては、ある程度調べていた。彼が一四九八年五月二十三日に処刑されることも知っている。
しかし、ピサの『第二共和政』までは手が回っていない。
ピサとフィレンツェが戦争を始めたことにより、サヴォナローラと接触することが難しくなるかもしれない。
「とりあえず、現地のユダヤ人の『つて』で、情報を集める所からはじめよう」と、片田。
「どんな情報を集めればいい」安宅丸が尋ねる。
「そうだな、両者の戦力、経済力なんかだな。独立が維持されるためには、その二つが必要だ。あとは、周囲の国の動向かな」
「わかった、『加古』の村上艦長に、そのように言っておく」
安宅丸がそう言って通信を終えたが、諜報なんて経験がない。どうしたもんだか。
ジロラモ・サヴォナローラは、このあと片田の物語に関わって来る。なので、彼のことを話しておかなければならない。
ジロラモは一四五二年にボローニャ近くのフェラーラという自治体で生まれる。統治者はエステ家だった。
ジロラモの祖父、ミケーレは高名な医師だったそうだ。彼はその仕事を受け継ぐことを家族に期待されていた。祖父が学問の手ほどきをすると、きわめて聡明であることがわかったので、期待は高まる。
二十一歳になった。来年には芸術学の学位を得られる。そうしたら、医学校に進むことになっていたが、それでいいのか、若者は悩んでいた。
たまたま、ある教会に入ったら僧が説教していた。
「egredere de terra tua,(お前の土地を出よ)
et de cognatione tua, (そして、お前の親族を捨てよ)
et de domo patris tui,(お前の父の家も捨てよ)
in terram quam monstrabo tibi(そして私が示す地に行きなさい)」
旧約聖書、創世記十二章一節の言葉だった。
アブラハム(この時はまだ、アブラムと名乗っていた)、ロトの兄弟と父親が、カナンの地を目指していた。父の死でカランという土地に一時的に落ち着いていた時に、神がアブラハムに語った言葉だった。『約束の地』カナンに行け、と
ジロラモは『雷の一撃』に撃たれたような思いがした。私が行くべき道はこれだ、と。そして、翌年学位を得たところで、家出同然に家を飛び出し、ボローニャのサン・ドメニコ修道院に入った。なお、イタリア語で Colpo di fulmine は『一目ぼれ』という意味だが、ここでのそれは、もっと霊的な意味で使っている。
当時、ジロラモが残された家族に宛てた手紙にはこう書かれている。
【私が出家の道を選んだのは、貧乏、暴力、姦通、盗み、傲慢、偶像崇拝、醜行など、善という言葉の入る余地さえないこの世の地獄を見たからです。イタリアのこの無知な大衆の底知れぬ悪意に、どうして耐えられましょう】
ジロラモは大衆の腐敗に耐えられず、修道院に入りキリストの導きに従おうとしたのだろう。しかし、やがてその宗教界も、いや宗教界の方が、より腐敗していることを知ることになる。
ボローニャで八年修行をした。そして一四八二年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に転任した。
同年には、ローマ教会では教皇の代替わりがあった。新しく教皇になったのはインノケンティウス八世である。ジロラモは、今度こそは清廉な男が教皇になるのではないか、と期待するが、裏切られる。キリスト教の僧侶は結婚しないの決まりだった。しかし、インノケンティウスが即位したとき、少なくとも七人の婚外子がいた。
フィレンツェのロレンツォ・ド・メディチは自分の娘をインノケンティウスの息子に嫁がせる。そして、インノケンティウスはロレンツォの息子、弱冠十六歳の若造を枢機卿に任命した。のちのレオ十世である。
レオ十世といえば、贖宥状(免罪符のこと)を乱発して、マルティン・ルターに『宗教改革』を喰らわされる教皇である。
今回も駄目だったか。そう思ったジロラモが教会堂で友人の僧を待っていた時だった。教会の腐敗に悩む彼の頭に、ふいに雷に打たれたように、神から三つの至上命令が授けられる。よく雷に打たれる男だ。まるで避雷針男だ。
その至上命令とは、
一、教会は鞭打たれなければならない
二、教会は刷新されなければならない
三、それは、速やかになされなければならない
だった。
この時から、彼の説教は、がらりと変わることになる。曰く、
【見よ、神の剣はすみやかに地上に振りおろされるであろう】
【わたしは雹となって、無防備な人間どもの頭を粉々に砕くだろう】
【まずはじめに言いたいのは、神がイタリアという壺を粉々に砕く日が来るということです、イタリアの中でも、こっぱ微塵に砕かれるのは、今わたしたちがいる、このフィレンツェです。あなたがたが悔い改めなければ】
【こんにち教会で挙げられる儀式は、神のためではなく金のためなのです。司祭になりたい者は、みんな神に仕えようとします。教会に入れば、やれ領地だ俸給だと、経済的な特典が得られます】
【『坊主を出した家こそ幸いかな』です。でもいつかきっと、そういう家こそ災いかな、という時が来るでしょう。なぜなら彼らに剣が振りおろされるからです】
【中には、そろそろ一周忌ではないかねと訊きながら、後家さんに手を出すものまでいます】
【いつかきっと、フィレンツェがフィレンツェとは呼ばれずに、恥知らずとか吸血鬼とか、盗賊の巣とか呼ばれる時がくるでしょう。そうれなれば、この街には幸せものは一人もいなくなるでしょう】
(ルビは筆者が追加、また読みやすくするため一部句読点等変更)
等々、である。ジロラモの説教場は満員の盛況になった。
ジロラモは、一四九一年にはサン・マルコ修道院の院長になる。地位が上がるにつれ、教会上層部の腐敗が、より鮮明に、より具体的に見えてくる。
本文中で【】で囲まれたところは、以下の書籍からの引用です。引用が少し長くなるので、サヴォナローラの書いた手紙と発言のみを引用し、著者の文章は引用しませんでした。
「サヴォナローラ」エンツォ・グアラッツィ著、秋本典子訳、中央公論社
昭和62年4月25日初版発行