ピサ
「俺が、向こうにいっている間に、そんなことになっていたのか」貿易商人のマルコが、ピサのユダヤ商人ヤコブに言った。
中世を通じて、イタリアでは組織的ユダヤ人排除を行われなかった。シャイロックのようなユダヤ人の金融業者や、商人などが多数いた。
一四九四年の十二月のことだ。ここは『ピサの斜塔』で有名なピサ、アルノ川に沿ったヤコブの商館に二人はいた。
ピサの全盛期は十一世紀だった。この時、ピサは、ジェノヴァ、アマルフィ、ヴェネツィアと並ぶ、イタリア半島の四大海洋国家だった。
ピサはジェノヴァと協力したり、反目したりしながら、サルデーニャ島、そしてコルシカ島からイスラム教徒を追い出すことに成功する。
しかし、その後は、ジェノヴァとピサは反目するだけになった。どちらも地中海貿易が本業なのだから、しかたない。
『ピサの斜塔』は十二世紀に建設が始まり、十四世紀に完成している。工期が長かったのは、建設開始直後より傾斜が始まったためと言われている。
傾きがひどくなったため、最上階のみ、少し傾けて、軸が鉛直になっている。
なぜ、傾いたのか。それは、斜塔の立つ地盤が軟弱だったからだ。ピサはアルノ川の河口の堆積地にある町だった。
中世のピサの地図を見ると、網の目のように川が流れ、周囲に多くの沼がある。そんな豆腐のようなところに、あの高い塔を建てたので、傾いてしまったのだろう。
斜塔は聖堂に付属した鐘楼だということだが、神の奇跡はおきなかった。
鐘楼なのだが、うかつに鐘を衝くと、倒壊してしまうかもしれない、とのことで現代ではスピーカーで鐘の音を鳴らしているらしい。
『ピサの斜塔』が傾くにつれて、ピサの繁栄も傾いていった。そして、十五世紀初頭にフィレンツェに併合されてしまう。
フィレンツェは、アルノ川の上流に栄えた町である。だから、フィレンツェにしてみれば、ピサを獲得した、ということは海にでる道が開けた、ということができる。
しかし、この頃、ピサの町は港としての機能を失いつつあった。アルノ川の河口の堆積が進行して、十五世紀半ばには、ピサの港にガレー船を着けることが出来なくなっていた。
なので、沖に船を泊め、艀で商品を陸揚げするしかなかった。貿易港としては不利である。この頃のピサはフィレンツェに運ぶ商品の陸揚げ港として機能するしかない港になっていた。
冒頭の二人の話に戻る。
「俺が九月に出発したときには、シャルルはまだ、アスティにいた。いつの間に、そんなに進んだんだ。ミラノやフィレンツェは何をしていたんだ」シャルルとはフランス国王、シャルル八世のことだ。『第一次イタリア戦争』のため、国境を越えてフランス軍を進めていた。アスティはトリノ近くの町の名前である。
「ミラノのイル・モーロが裏切った。『ローディの和』に背き、シャルルの軍がミラノを通過することを許したんだ」
「ひでぇ話だな」
「ああ」
『ローディの和』とは、一四五四年にイタリアの五大国がむすんだ平和協定だった。前年の東ローマの滅亡で、オスマン帝国に脅威を感じたイタリア諸国が結んだ。これにより四十年間の平和が訪れ、ルネサンスの繁栄がもたらされる。
イル・モーロの違約をきっかけにして『イタリアの平和』は破られ、以後は『イタリア戦争』の時代になっていく。
イル・モーロとは『あだ名』で、本名はルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァという。ミラノ公で、レオナルドダ・ヴィンチに『最後の晩餐』の作成を依頼したことで歴史に名を遺した。
「と、いうことは、ミラノは素通りか」
「そうだ、シャルルはジェノヴァを迂回してサルザナで海に出た」
サルザナはジェノヴァとピサの間にある町だ。ラ・スペツィアのすぐ東にある。近くの丘に、サルツァネッロ要塞という深い堀が印象的な要塞が鎮座している。現代のサルツァネッロは星形要塞であるが、シャルルが最初に攻めてきたときには、たぶん中世的な城壁を持った要塞だったろう。
サルザナからピサの間は、海岸沿いに軍隊が移動できる平地が続いている。
「サルザナまで来てしまえば、あとは海岸沿いに進むだけで、ピサに出られるな」
「そのとおりだ」
「で、フィレンツェのピエロはどうしたんだ」ピエロとは、ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチという長い名前の男だ。名前が長すぎると、ろくなことはない。古典落語の『寿限無』を読めば、明らかだ。
「当初、フィレンツェは抵抗しようとした」
「うんピエロは、あのロレンツォの息子だ、気概があるところを見せただろう」
「ところが、フィレンツェの町はピエロに協力しなかった。ジロラモが市民を洗脳しておったからな」
ジロラモと言っているのは、世界史の教科書にも出てくる、ジロラモ・サヴォナローラのことだ。この時期、フィレンツェ市民から熱狂的な支持を得ていた。
「で、ピエロはどうした」
「市民が支持しないのでは、しかたがない。独断でシャルルと会見して、フィレンツェのすべての要塞、ピサ、リヴォルノの町をシャルルに明け渡す、と申し出た」
「やっちまったのか」
「ああ、フィレンツェは激怒した。町に戻ったピエロは、身の危険を感じてヴェネツィアに亡命した。彼のヴェッキオ宮殿は、散々に荒らされたようだ」
「で、ピエロがいなくなったフィレンツェはどうなる」
「ジロラモが実質的な支配者だと言っていいだろう」
メディチ家によるフィレンツェ支配が一時中断した。
以後、サヴォナローラがカトリック教会に処刑されるまで、フィレンツェは、彼の狂信的ともいえる神権政治の支配下に置かれる。
「ということで、フィレンツェは自分のことで手一杯になっている」
「大変なことになっちまったなぁ」
「それだけではない。わしには関係ない事だが、この機にピサがフィレンツェから独立しよう、という動きもある」
「そんなことまで、おきているのか」
歴史上、ピサはこのとき、たしかに一時的にフィレンツェから独立している。
「話し込んでしまったな、ところで、ポルポラは持ってきているか」
ポルポラとは貝紫のことだ。ある種の巻貝から採れる紫色の染料である。上品な紫色で古代から珍重されていて高価なものだった。
カエサルの紫のマント、絶世の美女、エジプトの女王クレオパトラの旗艦の帆、などがこの貝紫で染められていたという。
カエサルのマントやクレオパトラの帆は残っていない。しかし、イタリアのラヴェンナにあるサン・ヴィターレ聖堂のモザイク画に貝紫の服を着た皇帝と皇后のモザイク画がある。
東ローマ皇帝ユスティニアヌス一世と、彼の皇后テオドラのモザイクだ。
ポルポラ、ないしは英語のパープルの語源は、この貝の名前からだそうだ。
「ああ、今度も向こうにあるだけ買ってきた」
「それは、助かる。向こうの同胞に麦をたくさん送れるだろう。最近は逃げてきた同朋で人口が増えているというからな」ユダヤ人商人が言った。
マルコが持ってきた貝紫の産地は、ジェルバ島だった。古来、この島の名産品として知られている。
「そういえば、向こうで伝言があった」
「なんじゃ」
「カタダとかいう組合だか、商人だかがイタリアで商売をしたいそうだ」
「カタダか」
「なんでもポルトガル沖でユダヤ人を救助して、ジェルバ島まで連れ来てくれたそうだ」
「ユダヤの味方、ということか」
「さあ、それはわからない。向こうのラビ、エフゲニー・ランダウは随分とカタダの事を評価しているようだ」
「評価、とは」
「なんでも、自分の息子二人を、カタダの船に預けたそうだ」
「息子を預けたのか、それはよくよく信用したものじゃな」
「そうだろう」
「カタダの船はどんな商品を扱っているのじゃ」
「インド、シナの産物、香辛料、他に見たことも無いような物も扱っているらしい」
「よかろう、もしカタダの船が来るのであれば、わしは商売をしてもよい。次に島に行ったとき、そうエフゲニーに伝えてくれ」




