一斉砲撃 (いっせい ほうげき)
フランス北西部、ノルマンディー地方にコタンタン半島がある。シェルブールという港町がある半島だ。その先端からわずか十数キロの海を挟んで、イングランド国王の私有地、オルダニー島があった。
島の東四分の一程が、片田商店に貸し出された。
借地料は一年あたり、銀五十五貫だった。現在価格に換算すると、銀の価格を一グラム百七十円として三千五百万円くらいである。
これが毎年、ヘンリー七世に支払われる。
銀五十五貫というのは、オランダが毎年江戸幕府に支払った借地料と同額である。
同島の南、ロンギス・ビーチに建てられた古代ローマの要塞から、北岸のオルダニー要塞までの間に石垣が設けられ、その東側が片田商店の借地になる。
敷地内には幾つもの要塞の廃墟があった。その基礎の上に新たに建屋を建て、倉庫にした。
石垣の長さは九百メートル程だった。その真ん中あたりに桝形の関所が設けられている。枡にあたる広場には市が設けられ、毎日取引が行われていた。
旗竿が二本立てられ、白地に赤十字のイングランドの旗と、白地に赤丸の『日の丸』が掲揚されている。
市の周囲の壁には幾つもの板が掲げられており、日英対訳の商品名や、数字が書かれている。
「一、Iti、one。二、ni、two。三、san、three。……」
「百、hyaku、hundred。千、sen、thousand。万、man、ten thousand。……」
「金、kin、gold。銀、gin、shilver。尿素、nyouso、urea。椎茸、siitake、mushroom。……」
などである。シンガが掲示した。シンガ本人は、通常は市の番屋にいた。イングランド本土に仕事で行く時を除いては、たいがいここにいる。市でなにか揉め事がおきると、シンガが呼ばれる。
シンガがリスのマーガレットから送られてきた手紙を読んでいると、『川内』の士官がやってきた。
「シンガ、三日後に出港するそうだ。準備をしておけ」
「え、急だね。なにかあったの」
「ああ、カリブ海に行くことになる」
「カリブ海って、パナマに行くのかい」
「いや、向こうの島にスペインが入植したらしい、それを追い出しに行く。今回は合戦になるかもしれん」
「そうなのか、でもスペイン語は話せないよ」
「向こうの偉いやつは、ラテン語が話せるだろう」
「ラテン語、ああ、そうか。それで僕も行くんだね」
「そういうことだ」
三日後、『古鷹』がオルダニー島を出港する。安宅丸が『川内』を降り、『古鷹』の艦長になっていた。
イスパニョーラ島では、南岸で『こすたりか丸』と『ころんびあ丸』が津々浦々(つつうらうら)の村に『翡翠の顔料』を配っていた。天然痘の伝染速度との競争だった。
砲艦『夕張』は北岸のラ・イザベラ沖で、スペイン船隊の出入りを監視している。
九月二十九日に西の方角より、三隻からなる船団がやって来て、ラ・イザベラに入港した。それ以外には船舶の出入りはなかった。
この船団は四角帆の中型船一隻と、三角帆の小型船二隻からなっていた。それぞれ、ニーニャ号、サン・ホアン号、カルデラ号という。コロンブスのキューバ探検船団が帰港したのだった。ニーニャ号は、第一回航海の当初は三角帆だったが、航海途中で四角帆に変更されている。
このとき、ニーニャ号にはコロンブス自身が乗船していた。
十月になり、東方から『古鷹』が現れ、『夕張』と合流する。二艦の艦長が作戦を相談し、翌日の朝、ラ・イザベラの港に侵入することにした。
翌朝、『古鷹』と『夕張』が縦列でラ・イザベラに接近した。入植地は低い岬の上にあった。海面からの高さは二メートルくらいで、波打ち際は岩場になっている。
左側に小さな浜があり、そこにスペインの船団が停泊していた。
右手に、ひときわ大きな二階建ての建物があり、ヤシの葉で葺かれている。屋根の上に見張り台があり、小さな人影が、なにか叫んでいる。
おそらく、『古鷹』、『夕張』二艦の接近を植民地の住人に警告しているのだろう。
「集落前の海面に対して威嚇射撃を行う。左舷各砲、発砲用意」安宅丸が『古鷹』の掌砲長に命令する。左舷の二段八門の砲門が開かれるゴトゴトという音がした。
各砲が、仰角を水平射撃に合わせる。
「発砲」安宅丸が叫ぶ。ドオゥンッ、という砲声が響き、植民地のすぐ目の前の海面に十六の水柱があがる。
見た目の派手さを狙って、榴弾が発射されていた。水柱の中で赤い炎が燃え、砲弾の破片が一つか二つ、ラ・イザベラまで飛んだ。
次いで、『夕張』も発砲した。二艦が旋回し、植民地左翼の浜で投錨する。
スペインの植民地では、大騒ぎになっていた。国籍不明の二艦、一隻は大型だった、が船腹全体に空いた穴から一斉に大砲を発射してきた。
この頃の西洋帆船には、まだ舷側砲はない。舷側砲はヘンリー八世からである。砲門があっても上甲板か艦尾楼に一つか二つ程度であった。サンタマリアに載せられている大砲も、せいぜい数門だったろう。あとはハンドキャノンぐらいだ。
そこに片舷十六門もの大砲の一斉砲撃を見せられたのである。圧倒的だった。
国籍不明の艦から連絡艇が降ろされ、浜に寄って来る。白旗を持った少年が叫ぶ。
「Estne rex?(王はいるか?)」
「Estne praefectus ?(提督はいるか?)」
何度も繰り返し叫んでいる。シンガの声だった。
浜に立つスペイン兵の一人が、船上で叫ぶ若者に対して、銃を発砲した。シンガが首をすくめる。
外国船から一発の銃声がした。浜で発砲した男が倒れた。なんという命中精度だ、あの距離なのに一発で倒したぞ。スペイン人達が魂消る。施条の有無が命中精度の大きな差になっていることを、スペイン人達は知らなかった。