キスケヤ島
「料理長、最近の食事、美味しいね。なにか料理の仕方を変えたの」米十が尋ねる。
一四九四年夏、アメリカ沿岸を周回して顔料を配る、三回目の航海が始まったばかりだった。当時の住民がザイマカと呼び、後にジャマイカと呼ばれる島の南岸に上陸した。そして、米十が住民と取引した野菜や穀物を料理長に届けた。
ザイマカに上陸したのは初めてだったが、去ろうとする米十達の連絡艇に対して、住民が、どうしても、持っていけというそぶりで、浜辺に残したものだった。
カリブ海には島が多い。しかし島にワクチンを配布するより、大陸に配る方が、波及効果が大きいだろう、犬丸がそう考えた。なので、まず大陸沿岸に『翡翠の顔料』を配布し、それがひととおり済んだところでカリブ海の島々に取り掛かることにしていた。
この夏、コロンブスはイスパニョーラ島の植民地イザベラから出発して西に航海し、キューバ島の南岸を探検している。キューバの西端から、ほんの数十マイルのところまで到達したが、その時点でキューバは大陸の一部と判断して、九月にイザベラに帰っている。
「ああ、堺から『調味料』とかいうものが届いてな、新製品なんだそうだ。たいがいな料理は、これを少し入れると、旨くなる。ほれ、そこの棚にあるガラス瓶だ」料理長が指を指す。
船内の炉は、防火のため、煉瓦で囲われている。煉瓦壁の一部が窪んでいて、いろいろな調味料が置かれている。米十が見ると、赤い紙ラベルが貼られている小さな瓶が置かれていた。初めて見るものだ。
「これかい」米十が手を延ばして小瓶を取る。
「ああ、そうだ。俺たちは『あじ』って呼んでるがな。少し舐めてみろ。ほんの少しだぞ、三粒か四粒くらいで充分だ」料理長がそう言って笑う。
米十が白い結晶を少し掌に出して、嘗める。
「うぇ、なんだこれ。まずいぞ」
「ああ、そうだろう。ところがだ、こうやって漬物なんかに少し振りかけると旨くなる」そういって、モヤシの漬物に『あじ』を振りかける。漬物といっても、モヤシを軽く茹でて、塩を振っているだけのものだ。
「ほんとだ。旨い。なんでだろ」
「そうだろう。いいものを作ってくれたもんだ」
「そうだね」
料理長というのは、割に合わない仕事だった。船では食事が重要だった。単調な船内生活の中で、食事は唯一に近い楽しみだったからだ。
なので、まずい料理を作る料理長は、全船員から恨まれる。航海が長期化して、利用できる食材が減れば、なおさらだ。評判の悪い料理長は、食材を購入する金をネコババしているのではないか、と罵られることもある。
最近次々と艦船が竣工していて、人材が不足していた。『夕張』の料理長は、船医も兼ねているので、船員達から一定の敬意を受けているのは幸いだった。
自分がケガをしたり、病気になったときに、ぞんざいに扱われたくはない。
「これがあれば、料理長の株があがるね」
「まあ、そうだといいがな。おい、猪丸、夕食用の真水樽を二つ、炉の前に持ってこい」
料理長が、司厨見習の少年に言いつけた。
米十と料理長が、そんな話をしている頃、『夕張』の無線室に、キスケヤ島に向かった『ころんびあ丸』から、無線が入っていた。
キスケヤとは、コロンブスが植民地を拓いたイスパニョーラ島の現地名だ。
「キスケヤ島の言葉はわからないんだが、どうも島の北岸に、乱暴者の集団が上陸した、と言っているようだ」
「乱暴者って、片田殿が言っていたスペイン人のことだろうか」
「さあ、それはわからない」
「あと、病気が流行っている、とも言っているようだ」
「病気って、もしかしたら、天然痘か」
「患者を診たわけではないから、わからん。『ころんびあ丸』は商船だ。キスケヤの北側に回るのは危険だ。『夕張』に行ってもらえないだろうか」
『夕張』はカリブ海で唯一の砲艦だった。
「わかった、パナマの指示を仰ごう」
パナマの犬丸が、『夕張』に、キスケヤ島北岸の偵察を命じる。『夕張』が左に旋回して、イスパニョーラ島とプエルトリコの間のモナ海峡を目指した。
パナマは艦長に代わって、船医を呼び出した。そして、キスケヤ島で伝染病が流行しているのか否か、調査すること。流行していた場合に、それが天然痘であるか否かについて見極めること。そして、天然痘だった場合に行うことを詳細に指示した。
「俺は、船医といっても病の方は、とんとわからないんだが」船底の竈前から登ってきた料理長がぼやく。彼は外科が専門だと言っている。骨折や脱臼の手当をしたり、傷口を縫合するのが彼の得意分野だった。
料理長への指示は一時間以上続いた。




