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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
446/609

ウィリアム・フォーシャグ

 南北アメリカをつな地峡ちきょうに、北東に向けて親指を突き出したような半島がある。ユカタン半島という。

 マヤ文明が栄えている。


 このあたりまでくると、北米大陸より、よほど文明が進んでいるらしい。住民が身に着けている衣装で分かる。

北米では腰帯こしおび程度だったが、このあたりでは、さらに腰に巻く物を身に着け、いくつかの装飾や上着を着る者もいた。

猫科の毛皮や、鳥の羽根などの装飾品があった。


 美しいサンゴ礁群の間を通って、ユカタン半島の南の付け根に着くと、一つの河口がある。川は後にモタグア川と呼ばれるようになる。河口に村があった。


「ここの村はどうかな」米十こめじゅうが熊五郎に言う。

「前回来た時、ずいぶんと顔料で喜んでいたから、ここも大丈夫だろう」


 海から村に近づいてみると、住民の多くが目の下に『翡翠の顔料』を付けていた。大丈夫だ上陸しよう、ということになる。


ここでの交易品は多様だった。トウモロコシが一番多い。涙滴型るいてきがたの実、これはヒマワリの種だ。カカオ、バニラもある。もちろん三人が初めて見るもので、名前や使い道も分からない。わからないものは、堺に送られて、茸丸たけまるの実験農場で栽培さいばいされる。


なにやら、赤い実を乾燥したものがある。熊五郎が、これは何だと尋ねると、住民が食べる真似をする。試しに一口ひとくち食べてみると、恐ろしく辛い。熊五郎の目尻めじりから涙が出そうになった。

それを見た住民達が、大笑いする。トウガラシだった。

「これを、食べるのか」

 熊五郎が住民を指さして、トウガラシを差し出すと、皆うなずく。


 ここでも、熊五郎のイカサマサイコロは喜ばれた。


 一人の子供が熊五郎の前にあらわれ、にぎこぶしを突き出す。そして、手を開くと緑色の綺麗きれいな小石だった。

 周囲の大人がホウッと叫ぶ。そして子供になにかたずねる。子供が川の方を指さした。河原かわらひろった、と言っているのだろうか。


「金太郎、今の見たか。あれはヒスイか」熊五郎が、金太郎に言った。

「ああ、間違いなかろう、きれいな翡翠ひすいだ」金太郎が同意する。

「ここにも、ヒスイがあるのか」

「どうも、そのようだな」


 周囲の大人達が、子供になにか言っている。翡翠を売るな、といっているように見える。子供が抗議する。『翡翠の顔料』がどうしても欲しいらしい。


 一人の男が、子供の代わりにトウモロコシを十本さしだした。

 熊五郎が子供の手を取り、顔料の缶を一つ置いた。子供が石をさしだそうとすると、彼の前で手を左右に振る。


「それは、大事な物のようだ。いらない。トウモロコシだけでいい」熊五郎が言ってトウモロコシを受け取る。


 三人には、何が起きているのか、よくわからなかったが、子供が大喜びで叫びながら走り去った。




 このあたりに住んでいたのはマヤ人だった。マヤ文明は八世紀頃が全盛期で、片田達の時代には衰退すいたいが進んでいたらしい。

 彼らは翡翠を金や銀よりも好んでいたという。翡翠は宗教に結びついていたらしく、死者に生命をあたえて、魂の復活させる能力があると、信じられていたようだ。

 なので、翡翠色の羽根を持つ、米十のケツァーリーにも、彼等は深い関心を示した。


 マヤ文明では、翡翠で仮面を作ったり、前歯に翡翠のビーズを埋め込んだりと、さまざまなところで使われた。しかし、彼らを征服したスペイン人は翡翠に関心が無かった。そのため、マヤ文明の滅亡と共に、翡翠の産地がどこだったのか、忘れ去られてしまう。

 なんだか、糸魚川の翡翠の再発見の話に、似ている。




 中米の翡翠の産地が再発見されたのは、四百年後の二十世紀になってからだった。アメリカ人の地質学者、ウィリアム・フォーシャグによる。

 モタグア川中流域のキリグアで、トマト農家が川で翡翠を見つけ、役所に報告した。一九四九年、グアテマラ政府が地質学の権威であるウィリアムに調査を依頼した。

 そして、ウィリアムが現地に入り、四百年の時を経て翡翠の鉱脈を再発見することになる。


 ウィリアム・フォーシャグは、日本と多少の縁がある。太平洋戦争後の一九四六年にアメリカ軍の依頼で来日している。軍が日本で押収した宝石を鑑定かんていするためだった。宝石の鑑定には四カ月を要し、その当時の価格で総額二千五百万ドルという莫大な鑑定額になったという。

 また、ウィリアムは日本滞在中に真珠しんじゅ王の御木本幸吉みきもとこうきちと会っており、アメリカの宝石専門誌に御木本と真珠の紹介記事を書いている。


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