サイコロ
『夕張』の航海は無事に進んだ。メキシコ湾(アメリカ湾)を左回りに一周しながら、各地の砂浜で、いつものように商品を拡げて離れ、これを贈る、を繰り返した。
今回は、米十とケツァーリーにも注目が集まる。一部の住民は、彼の事を神だと思ったようだった。
フロリダ北部にはティムクアという人々が住んでいた。現在ミシシッピと呼ばれている大河の河口にはナチェズ族が大きな村を作っていた。ルイジアナにはアタカパ族がいた。テキサスはカランカワ族だ。本当にその名前なのかは、わからない。それぞれが自分たちを指さして、そう呼んでいたのを記録しただけだ。
アタカパとカランカワは、現代のアメリカ合衆国では絶滅されているとされている。
さらに南に下ってメキシコのあたりまでくると、文明的な様子が見られた。恐らく奥地に発達した住民がいるのであろう。
ユカタン半島を回り、パナマに帰ってきたころには秋になっていた。『翡翠の顔料』の四分の一を各地に配っていた。
『ころんびあ丸』は、向かい風と海流に悩まされ、早々に帰港していた。小アンティル諸島まで行ったそうだ。『こすたりか丸』はフロリダ半島から、アメリカ大陸西岸を現在のニューヨークあたりまで北上し、サルガッソ海を避けて大回りして帰ってくることになっていたが、パナマに到着していない。
無線交信によると、まだ大西洋にいるようだったが、貿易風の緯度まで南下はしているらしい。風に乗ってパナマに向けて快走している。
『夕張』が再びフロリダ半島を目指した。八月になっていた。
ティムクア族の浜に近寄ると、彼等は『翡翠の顔料』を目の下に着けていなかった。再度浜に贈物を置く。今度は前回とは異なる商品を置いた。
ここは、まだ上陸できない、次に行こう、米十が艦長に伝えた。
ミシシッピ川の河口に着いた。『夕張』を見つけたナチェズ族の住人が浜に出てくる。米十と金太郎、熊五郎を乗せた連絡艇が近づいてみると、彼等の目の下には『翡翠の顔料』が塗られていた。
「やったぞ、ここは上陸できる」米十が言った。
「おっかない部族じゃないだろうな」金太郎が不安そうに言う。
「そんなの、上陸してみなければ、わからんだろ」熊五郎が腹のすわったようなことを言った。
浜に連絡艇を付けると、最初に船を見つけた者達が寄ってきた。彼らは手ぶらである。陸の方を見ると、籠を持った者が何人も来る。商品と交換する物を抱えているのだろう。
熊五郎が箱を一つ抱えて上陸する。米十は船の上で杖を持って立つ役だ。杖にはケチャーリーが止まっている。
寄ってきた住民が米十と華麗な鳥をみて、ホウッ、ホウッと感嘆の声が上がる。
「やっぱり、やりにくいな」
「まあ、そういうな」金太郎がなだめる。
体格の良い熊五郎が砂浜に箱を置き、中から『翡翠の顔料』の缶を取り出す。蓋を開け、中身を周りの住人に見せたうえで、人差指で顔料を掬い、自分の目の下に付けた。
皆が大喜びする。言葉が分からないが、恐らく売ってくれ、と言っているのだろう。
籠を抱えた者達が寄ってきたので、熊五郎が浜を丸く指さす。少し下がって、取引の場所を作ろう、というつもりだ。通じた。
熊五郎が浜に座り、顔料の缶を一つ、砂の上に置いてから、住民の方を指さす。
住民の一人が、砂の上に胡坐をかき、籠から商品を出して並べる。彼が出したのはトウモロコシが十本だった。
もう一人が座り、自分の商品を並べる。イネ科の草の実が入った袋だった。米ではない。ワイルド・ライスと呼ばれる野生の草の実だった。量は二リットル程だろう。
熊五郎は、ワイルド・ライスと顔料二缶を交換することにした。ひさしぶりに缶詰ではなく、炊いた米を食ってみたかった。
現地の住民が何人も熊五郎の前に胡坐をかき、それぞれの商品を並べる。金太郎が熊五郎の脇に顔料以外の商品を並べた。ガラス玉や砂糖だった。
お互いに、等価交換の数量を探る。
籠一杯の果物のような物を並べた住人がいた。熊五郎が一粒食べてみる。甘酸っぱくて、旨かった。
「これはいい。みんな新鮮な食べ物に飢えているからな」
そういって、缶を三つ渡した。住民が喜ぶ。これはブラックベリーの実だった。
果物では、他にも野ブドウがあった。これは住民が望んだガラス玉五つと交換した。
豆やキノコがある。見たこともないような物を持参してきている住民もいた。
野菜なのか、なにかの大きな実のようなものがある。カボチャだ。食べ方がわからないので、熊五郎はこれを買わなかった。
枯れ葉を揉んだような物を一握り並べる老人がいた。これも売り物なのか。
「これはなんだ」通じないのは、わかっているが、熊五郎が聞いた。
「tabaco, tabaco (タバコだ)」
タバコというらしいが、何に使うのかわからなかった。熊五郎はこれも取引に応じなかった。
老人が残念そうな顔をする。
缶を手に入れた住民は去っていく。手に入れそこなった住民が残り、熊五郎の気が変わらないか、と期待して待つ。
そこで、熊五郎が懐からサイコロを二つ取り出した。皆が覗き込む。熊五郎が砂を叩いて平らにし、サイコロを投げる。二と一の目が出た。
じつは、イカサマサイコロである。熊五郎達の目的は、食料の取引ではない。ワクチンの普及だった。なので、わざと少ない目が出るように投げた。
熊五郎が砂浜に指で、二本と一本の筋を描く。あわせて三だ、と三本の指を立てて、住民の一人にサイコロを渡す。そして、放ってみろ、と手真似する。
住民が投げる。三と四、合わせて七の目が出た。イカサマの方法を知らなければ、普通のサイコロと同じだ。
熊五郎が大袈裟に笑い、手を叩き、サイコロを振った住民に缶を一つ渡す。住民が豆をよこした。
次の男は、六を二つ出した。十二だ。熊五郎が、驚いたような声をだし、まいった、まいったと言いながら、缶とカボチャを交換する。『夕張』の料理長が、何か食べ方を考えるだろう。
「じいさんもやるかい」そういって、熊五郎が老人にサイコロを渡す。三と五だった。老人も缶を一つ手に入れた。嬉しそうにヒィヒィヒィと笑う。熊五郎が使い道の無い『枯れ葉』を対価として受け取った。
「熊五郎のやつ、物は知らないが、こういうことだけは、うまいな。きっと地頭はいいんだろうな」金太郎が言う。
「そうだね」米十が同意した。
「クルルゥ」ケツァーリーも同意するように囀る。




