兵部卿 片田順 (ひょうぶきょう かただ じゅん)
「兵部卿に詔を下す。
下総国、海上郡、及び
陸奥国、宮城郡に
津を開き、府を設け、これを鎮めよ」
正装の片田順が、頭を下げ、天皇の詔を受ける。
「松島で、良き歌が出来たら、披露せよ」珍しく御門が直々に声をかけた。
「はっ」
天皇の命令は、現在の千葉県銚子市の利根川河口と、宮城県仙台市の松島湾あたりに港を建設し、これを防衛する拠点を設けよ、ということだ。
ただし、室町時代の銚子は鬼怒川の河口だ。当時の利根川は東京湾に流れている。
ひとつにはアメリカ行き航路の最後の補給拠点を設けるという意味があった。もうひとつは、いつまでも止まぬ東国の紛争を背後から牽制せよ、というものだった。
西国は、ほぼ天皇の統帥権を認めるところまで来ていた。最後の一人が、このあと、天皇に拝謁し、その統帥権下に入る儀式を行うことになっている。
片田が御門の正面から退く、ここは土御門東洞院殿、平たく言えば、現在の京都御所だ。
天皇が政務を行う紫宸殿に彼らはいた。
片田が退くと、御門からは正面の南廂、木階の先に『南庭』が見える。左に桜、右に橘の木が立っている。二本の木を背にして、一人の男が南廂の間で平伏していた。
「面をあげよ」
男が頭をあげ、正面を向いた。大内政弘だった。片田と細川政元が主張する『天皇による統帥権』構想に、政弘も同意したのだ。
政弘も国内で戦闘を繰り返してわずかな土地を獲りあうよりも、外国と交易して豊かになる方がよいことはわかっていた。
片田が、スクリュー推進の貿易船五隻を贈呈する、と言ったら政弘がのってきた。
朝議が滞りなくまとまる。退廷した武家達が紫宸殿の東にある春興殿に流れ、宴が始まる。
片田は武家ではないが、兵部卿という立場から、参加する。
。
片田は上洛して「応仁の乱」を鎮めたことにより、正五位下、近衛少将となっている、その後、この土御門の御所の整備、内裏への年歳の貢納などで、従四位下、近衛中将にのぼった。
現在は正四位下、兵部卿である。兵部卿というのは、兵部省の長官、と言う意味で、戦前の陸軍大臣や海軍大臣のような地位になる。
要するに、皇室の軍隊のトップであり、統帥権が天皇に集中されれば、それを運用する立場になる。これは御門に諮ったうえでのことだ。
ただ、この時点での天皇軍は大名の寄り合い所帯なので、人事権はない。
「左京太夫殿、加わってくれてうれしいぞ。どうだ、もうかっているか」細川政元が大内政弘にいう。
「いや、まあ、ぼちぼちかな」大名というより、商人のようなことを言う。
「朝鮮との交易はどうですか」片田が尋ねる。
「やつら、最近は彼らの商品の代金に銀を要求するようになってきた」
「銀貨ですか」
朝鮮では銀が不足し始めたのかもしれない、片田がそう思った。最近もっとも輸出されるのは肥料だ。尿素や草木灰のことだ。
肥料を使用するだけで、耕地が二倍になるのと同じ量の作物が出来る。これはやめられない。
干しシイタケ以来、片田商店は対外輸出の代金として金、銀のみを要求していた。日本の諸大名もそれを真似た。
“あまり銀が不足すると、朝鮮が不安定になる。なにか方法を考えた方がいいかもしれない”
「明との交易ではどうですか」
「明の方は心配ない。やつらは無尽蔵に金銀を持っているようだ」
“そうだろうな、西洋やイスラム圏からいくらでも金銀が流れ込んでくるのだろう”
「兵部卿殿こそ、どうなのだ。最近はずいぶんと遠い所に交易にいっていると聞いておるぞ」
「はい。いずれ航路を、お教えしますので、稼いでください」
「それでこそ、兵部卿殿じゃ」
「ところで、そのような遠い地でも、軍船を持つ大名や、海賊がいるのか」
「いますよ。海賊も、水軍も」
「もし、手に余るようであれば、手伝うぞ、巡洋艦を売ってくれれば」
「まあ、いまのところ、手に余るということはないので、ご心配なく」