安住の地 (あんじゅう の ち)
村上雅房、英語の少し出来る日本人通訳、英語の出来るユダヤ人通訳の三人がラビの家の奥の一部屋で目覚める。
「昨夜は、酒が出なかったな」酒好きの雅房が言った。
「ユダヤ人は酒を飲みませんから、しかたありません。十分歓待されたではないですか」日本人通訳が言う。
「不満を言っているわけではない。ただ夕食に酒が無いのは物足りないだけだ」
裏口から出て、井戸で顔を洗い、口をゆすいだ。イマニュエルがやってきて、朝食の準備が出来た、と言った。
一日二食の習慣なので、朝からたっぷりとした朝食が出る。その食事が終わり、ユダヤ教の『食後の祈り』も済んだ。
ラビのエフゲニー・ランダウがベンヤミンとサイラスの方を見て、軽く頷く。二人が大きく頷いた。
「ところでな、日本人のお客」そう、エフゲニーが切り出す。
「なんでしょう」
「船は常に船員が不足していると聞く」
「まあ、そうです。船員のなり手は少ないです。時に命の危険がありますので、無理もないでしょう」
「船員の中には子供もいる、そう船で来た同朋が言っていたのだが、本当なのか」
「はい、残念ながらおります。船の中は狭いので、体の小さい子供が重宝する場合もあるのです。多くは孤児ですが、しかし、船内であっても、読み書きなどの教育は行っています」
村上雅房が言っているのは、パウダーモンキーのことだ。ここでパウダーとは火薬の事を言う。砲甲板は、発砲時に火の粉が舞う。なので、多くの火薬を砲甲板に置くことは危険だった。一回の発射に使用する分だけ、小分けにして缶に入れ、装填時にのみ砲甲板に持ち込む。
火薬倉庫がある船底から、砲甲板まで、二階から三階を駆けあがって持って来る要員が必要だった。体の大きな大人は、この狭い階段を素早く上り下りすることが難しい。
そこで、帆船時代の軍艦には、火薬を輸送する役割に子供をあてることが多かった。
体が小さいので、パウダーモンキーと呼ばれた。
現代から見ると、ずいぶんとひどい話だが、帆船に乗っていれば、三食の食事に困ることはなかった。肉やチーズ、バターなども支給された。すべて人力に頼る帆船では、船員の健康に注意するのが、艦長の務めだった。
そして、なにより病気になった時、すぐに医師の手当を受けられる。これは重要だった。
陸では、同世代の子供が三食食べられないこともあり、貧しければ医者にかかることなど、ほとんど考えられない時代のことである。
「そこでなんだが、わしの息子二人を村上殿の艦に乗せてくれぬか」
「船員としてですか」
「もちろんじゃ。ベンヤミンとサイラスの二人じゃ。十五歳と十三歳になる」
「しかし、船では安息日など取れませんよ。一日中仕事しないわけにはいきません」
「この二人はユダヤ教をまじめに信じていない。平気じゃろう」二人が何度もうなずく。
「なぜ、大事な息子を船乗りにさせようとするのですか」
「一番の理由は、広い世界を見せたい、ということになる」
「なるほど、それはわかります」
「スペインが、ユダヤ人を国から排斥した。再来年にはポルトガルも同じようにするという」
「そのように聞いています」
「フランスもユダヤ人を追放するかもしれぬ。いまに行き場がなくなるだろう」
「この島も、それほどたくさんのユダヤ人を受け入れることは出来ない、ということですか」
「この島は小さい、いくらも受け入れることはできない。おそらく東方、ポーランド、リトアニア、モスコワ大公国に行くユダヤ人が多いだろう」
「それは、大変ですね」
「寒い土地だという、苦労するだろう。しかも、今は自国民が少ないので受け入れてくれるであろうが、いずれ豊かになり人が増えてくれば、そこでもユダヤ人が邪魔にされる」
「そうなんですか、どうしてそうなってしまうんですか」
「ユダヤ人の国が無いからじゃ」
「国が無いのですか」
「我々が住んでいた国には、今はムスリムが住んでおる。我々はそこを神に与えられた『約束の地』と呼んでおる」
「話が逸れてしまいましたが、どうして大事な息子さん達に世界を見せてやりたいのでしたっけ」
「『約束の地』でなくともよい、ユダヤ人が安心して住むことのできる土地を探させたい。世界のどこかにあるかもしれぬ。それに、ユダヤ人の船員というものも、出来るならば作りたい。船による貿易がきわめて儲かることは明らかだ」
「わかりました。そういうことでしたら、二人をお預かりしましょう。しかし、私が航海したかぎりでは、世界中のどこにでも、誰かしら人間がすんでいるようです。もちろん世界中を回ったわけではありませんので、人がまだ住んでいない土地もあるかもしれませんが」
「なので、他所の土地に暮らす時、現地の人々と仲良く暮らしていただけるのであれば、協力しましょう」
「それは、わかっている」