ラビの家
七十人のユダヤ人達とともに、ユダヤ教のラビの家に着いた。船から来た者達は、一時的に宿泊する家に散っていった。
ラビだからといって、他の家と変わったところはない。ユダヤ教のラビは妻帯することもできるそうだ。
ラビの名前は、エフゲニー・ランダウという。妻の名はコーラ。子供は男の子ばかり五人で、上からアブラハム、ベンヤミン、サイラス、ダヴィド、イマニュエルだそうだ。
「お父さん、お客さん」末っ子のイマニュエルが、帰宅した父親に尋ねる。五歳くらいだ。
「ああ、お客さんだ。多くのユダヤ人を助けてくれた恩人だ」父が言う。
「言葉、通じるの」
「いや、通じないな。なので、通訳を連れておる。それでも礼儀を欠かしちゃあいかん。イマニュエル、ご挨拶をしなさい」
「いらっしゃいませ。多くの人を助けてくれてありがとう」
「ようし、よくできた」父親のエフゲニーが褒めた。
「いまから、夕食の準備をさせるが、支度にしばらくかかる。それまでの間、しばらく待ってくれ、部屋は奥に用意する。裏口があるので、そこから外を歩いてくれてもいい。ナツメヤシの畑につながっている」
「では、少し外を歩いてみます」そういって村上雅房は、通訳達と外に出た。イマニュエルがついてくる。ものおじしない子のようだ。
「まず、井戸に連れて行ってくれないか、イマニュエル。喉が渇いた」雅房がイマニュエルに言った。水質を確かめておきたかった。
「こっちだよ」右手の方を指す。井戸があり、十三歳くらいの男の子がいた。
「サイラス兄さん、この人が水を飲みたいって」
「水かい、いいが知らない人だな」
「お父さんのお客さんだよ。七十人もの人を助けたんだって」
「ああ、その話は聞いている。この人達か、どうもありがとう。水だね、ちょっと待って」
サイラスがそう言って桶を井戸の底に降ろす。車井戸だったので、井戸の上に定滑車が固定されている。
反対側の綱を押し下げると、水の入った桶が上がってきた。
「どうぞ」
雅房が水を一口含む。硬いが、塩辛くはないようだ。これならば、蒸気機関の水としてつかえるかもしれない。後で機関長に聞いてみよう。そう思った。
「君たちは、ナツメヤシの畑で仕事をしているのかい」雅房が尋ねる。
「そうだよ。今は受粉の季節だから忙しい。兄さん達もみな畑に出ている」
ナツメヤシの畑には雄株が数本で、あとは皆雌株だった。実がなるのは雌株だけだからだ。そして、雄株から雄蕊を抜き、雌蕊に付けて人工授粉をさせる。このようにすると夏の終わりには、ほとんどの雌蕊が実になる。
人工授粉させないと、実の成りかたが少ないのだそうだ。
サイラスに礼を言って、畑の端まで歩いてみる。見事に整然とナツメヤシの木が植わっていた。しかも、高さが同じだ。同じ年に苗を植えたのだろう。少し離れた所には、また異なった高さの一群が見える。
しばらく行くと、ヤシとは違う葉を持つ木が生えていた。
「これは、何」
「オリーブだよ。油が採れるし、実を食べてもおいしい」イマニュエルが言った。
「これがオリーブか」
そういって、イマニュエルの方を見ると、暑そうだった。雅房達についてきたので、ヤシの葉の帽子をかぶっていなかった。
「もどるか」そう言って、来た道を引き返す。
夜になって、夕食に招かれた。
「あなたは誉むべき方、世界の王なるわれらの神、すべてを御言葉によって存在させる方です」ユダヤ教の『食前の祈り』が唱えられる。
「まず、最初にこのコスキをお食べなさい」ラビが薦める。クスクスのことをそう呼ぶ。小麦を粗挽きにした粉を小さな団子にして蒸す。
それを魚のスープの中に入れて食べる料理だ。バターの香りがする。
「これは、おいしいですね」雅房が言う。
「そうか、そうか」とラビが満足そうな顔をする。小麦は輸入しなければならない、と言っていたので、高級な料理になるのだろう。
長男のアブラハムは、長男らしく、おっとりとした表情で食べていた。次男のベンヤミンは豪快に食べる。
三男のサイラスが、これ高かったんじゃないの、といって、母親のコーラに睨まれた。
四男のダヴィドが、魚の骨を慎重に取り出して、テーブルに並べる。
五男のイマニュエルがしきりに雅房に話しかけてくる。外の世界の事が知りたいらしい。
「イカとか、タコとか食べたことあるか」ベンヤミンがサイラスに言う。
「もちろん、食べたことあるぞ、ムスリムの家で」
「ありゃあ、魚とは違う歯ごたえがあって、うまいもんだよな」
「まあな、他に食べるもんがなければ、食べてもいいかな、くらいかな」
英語の分かるユダヤ人が途中まで翻訳して、困惑する。どこまで翻訳していいものやら。
父親のエフゲニーが難しい顔をして言った。
「家のなかではかまわぬが、外に行ってそんな話をするではないぞ」
「すまない、お客人。ユダヤ教徒は海で採れるものは、鱗のある物以外は食べてはいけないことになっている。聞かなかったことにしてくれ」
「それは、承知しました。が、鱗の無い物を食べてはいけないとは、どういうことでしょう」
「さてな、理由はわからぬ。大昔に、この定が作られたときには、なにかの理由があったのであろう。しかし、それは失われてしまった。もしかしたら、鱗の無い物を食べて毒にあたったのかもしれん。しかし、我々は教えに従って、こうして無事に生きている」
食事の後は、歓談の時間になった。特にラビの五人の息子が、外の世界の事を知りたがった。