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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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プレスター・ジョンの国

 安宅丸あたかまる達のイングランドでの仕事が一段落した。そこで、この時代の前後に行われた大冒険を一つ紹介したい。数回続く長さになる。




 中世ヨーロッパにプレスター・ジョン伝説というものがあった。東方、アジアのどこかにプレスター・ジョンというキリスト教を奉じた国王がいる。ヨーロッパの人間が彼の国を訪れ、西方キリスト教国の窮状きゅうじょうを話せば、きっとイスラム教国を背後から挟撃きょうげきしてくれる。

 そんな話だ。


 この伝説が発生したのは十二世紀頃だという。まだ、キリスト教国家群が、イスラム教国に比べて、圧倒的に不利な時代だった。十字軍が始まった頃でもあった。


 その後、マルコ・ポーロなど、東方に旅するヨーロッパ人があらわれ、おぼろげながら、イスラムの向こう側がヨーロッパにも知られるようになる。アジアやインドにはプレスター・ジョンの国はなさそうだ、ということになった。


 十五世紀末、片田達がいる時代には、中世の幻想的なあこがれが薄れてきていた。当時のヨーロッパ人はアフリカのエチオピアにキリスト教徒の国がある、とだけ思っていたようだ。


 これは事実である。


 なんとか、このエチオピアに使者を送って、キリスト教国の同盟を結成し、共にイスラムに立ち向かおう。そんな現実的な発想をするようになったのが、十五世紀末だった。




 当時のポルトガル王国の国王はジョアン二世だった。父王の摂政せっしょうを務めた後に、一四八一年に即位して、一四九五年まで統治した。エンリケ航海王子のアフリカ西岸開拓事業を継承する。

 一四八五年にコンゴ河口、一四八八年にはバーソロミュー・ディアスが希望峰きぼうほうに到達している。彼が次にねらうのは、アフリカ最南端を周回して、インドに到達することだった。


 当時のヨーロッパから見てシナやインドなどのアジアは夢の国々と言ってもよかった。

 胡椒をはじめとした、様々な香辛料こうしんりょう、乳香、香木などの香料、絹、陶器、宝石など、無数の豪華な品々が、アジアからイスラムを通じてヨーロッパにやってくる。

 マルコ・ポーロも『東方見聞録とうほうけんぶんろく』で話をふくらまし放題に膨らました。イタリア人は驚くべき話をすることで、相手を喜ばせたい、というサービス精神が旺盛おうせいすぎるのかもしれない。小説家に向いている。


 ジョアン二世が次に目指すのはインド到達だが、「ヴァスコ・ダ・ガマ、いっちょう行ってインド見つけてこいや」といって闇雲やみくもに送り出したのではなかった。王はもっと慎重だった。


 ジョアン二世は、ディアスをアフリカ最南端に送り出す一方で、陸路でイスラムの背後に何があるのか、アフリカの南を回ればインド洋に出られるのか、その調査を命じている。


 ディアスが出航する三か月前のことだった。


 ポルトガルの王都リスボンから、テージョ川を少し上ると、川を見下ろす崖の上にサンタレン城がある。そこに数人の男達が集まった。


 一四八七年のことだ。

 ジョアン二世王、三十二歳。従兄弟いとこのマヌエル十八歳、後にジョアン二世の後を継いでポルトガル王マヌエル一世になる。

 三人の学者もいた。

 タンジールの司教であり、天文や地理に秀でた男、モイセス。

 天文学者で、王の医師でもあるロドリゴ。

 ユダヤ人数学者ジョゼフ・ヴィシニョ。

 この三名は、王が臨時に命じたプロジェクトメンバだった。彼らの役目は、どのようにしたら、イスラム帝国に潜入して、その向こう側のアジアやプレスター・ジョンの国に到達できるか、ということだった。

 彼らは知られている限りの地図や、旅行記、地誌などを分析した。


 そして、二名の男がいた。イスラム潜入の実行者達だ。


 一人目の男の名はパロ・デ・コヴィリャン。ポルトガル生まれの三十七歳だ。剣とアラビア語を得意としている。アフリカに渡ったこともある。

 二人目は、アフォンソ・デエ・パイヴァ、これもポルトガル生まれの四十四歳だった。彼もアラビア語が出来る。


 三人の学者が、潜入計画を二人に説明した。


「……と、いうことだ。なにか質問はあるかな」タンジールの司教が言う。

 彼らが派遣される、その目的は二つだった。


・アフリカの南端を回って、インドに行けるのか、アフリカ東海岸を南に下って調べる

・エチオピアのプレスター・ジョンの王国に行き、対イスラム同盟を打診する


 そして、それら調べたことをポルトガルに報告する。


「質問はありません。しかし、私にこれを遂行する能力があるとは思えないのですが」パロが言う。

「大丈夫だ、君はいつも幸運に恵まれて来たではないか」ジョアン二世がはげます。

「それに、髭を伸ばすように心がければ、やがてイスラム教徒と見分けがつかなくなるであろう。ただし、体は清潔に保つように。イスラムは我々よりも清潔だ。」医師ロドリゴが言葉を添える。


 二人に学者たちが作成した地図と四百クルサードの金が入った袋が渡された。地図には学者たちが考案した潜入経路が描かれている、

『黄金の十字軍』とも呼ばれたクルサードはポルトガルの金貨で、ヴェネツィアのドゥカートと同一の価値があるとされている。もし、同一だとすると、金が三.五グラム入っている。仮に金一グラムを一万五千円だとすると、一枚五万円程だ。四百クルサードなら、二千万円ということになる。

 もちろん、金の価値も、物価も、時代によって異なるので、目安だが。




 大枚たいまいを受け取ったのはいいが、どうみても『ミッション・インポッシブル』である。


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>プレスター・ジョン ああ、大公開時代Ⅱのシナリオに有った記憶が なお、エルネストの妻は14歳?
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