河内運河構想
「矢木を田舎市にしたいのか」畠山義就が言った。
「そうです。筒井に新設した田舎市のように賑わせたい」越智家栄が答える。矢木の市は家栄が経営していた。
「しかし、あそこには興福寺の油座がある。興福寺が黙っていないだろう」
「筒井、片岡、箸尾を追放したので、興福寺側につくのは直属の僧兵と十市だけでしょう」
「十市だな。問題は」義就は先の十市城の戦いで、自慢の騎兵二百騎を一瞬で失っていた。
「十市が興福寺側につかなければ、よいのではないでしょうか」
「そのようなことができるのか」
「できるかもしれません。矢木の市は十市領と接しています。あそこが田舎市になれば十市も豊かになると考えるでしょう」
「十市といくさにならない、というのであれば、やってみるがいいだろう」
大砲や、火薬というものは、この時期には知られていた。しかし火薬の原料の一つ、硝石が日本では手に入りにくかったので、砲は普及していなかった。そこに、あれだけ大量の火薬を湯水のごとく使って戦う十市は、義就にとって脅威だった。
野戦ではともかく、もう一度十市の城を攻めたいとは、とうてい思わなかった。
片田は、越智に呼び出されて、矢木の市の国分寺にいた。
「博多まで、行ってきたそうだな」会ったとたん越智はそう言った。
「その話ですか。はい、行ってきましたが」
「どんなところだ」
「ずいぶんとにぎわっていました。それから外国の人々がたくさんいました。外国の変わった食べ物も食べました。おいしいですよ」
国性爺合戦の和藤内が中国人の父と日本人の母の間に生まれた、くらいのことは片田も知っていたが、あれだけ外国人がたくさんいれば、そんなこともあるだろう。
「そうか、行ってみたいものだ。家督を継いでいると、そんな気ままなことはできない。不自由なもんだ」
「伊賀守様(家栄)は十分自由になさっていると思いますが」
家栄は本題に入った。
「河内で田舎市を見て、どう思った」
「いい市だと思います。あれで百姓に蓄えができるのなら、飢饉に備えられます」
「そう思うか。実は、矢木の市を田舎市にしようと思っているんだが、どうだろう」
「よろしいと思いますが、大和で出来るでしょうか。興福寺が何かいってくるでしょう」
「そうなんだ。興福寺がどうしてくると思う」
「僧兵を出してくるでしょう。それと、播磨守様(十市遠清)にも、あ、そういうことですか」
「そうだ。やつは出てくるだろうか」
「さあ、どうでしょうか。うかがってみなければわかりません」
「聞いてみてくれないか。そして、必要ならば説得してくれないだろうか。もし兵を出さないでいてくれるのであれば、矢木の田舎市を十市領の民にも開放する」
武力で大和を領有しようとして失敗したので、経済的に興福寺を骨抜きにしようということか、と片田は考えた。
「田舎市というのは、よいものなのか」十市遠清が片田に尋ねる。
「はい、もともとは、地元の民がそれぞれ作ったものを、座を通さずに直接売り買いするという地域市です。座を通さないので安く買うことが出来ますし、売る方も座に売るより高値で売れるというものです。河内では蓄えを増やす百姓が増えているといいます。民にとっては良いものでしょう」
「しかし、抜け荷もあるのだろう」
「あります。伊予守様(畠山義就)は公然とやっていますね」
「ふうむ」
十市遠清は考え込んだ。ややしばらくして、遠清は片田に問いかけた。
「将来は、どうなると思う」
片田は、座のような不自然なものは、いずれなくなるでしょう、と答えた。
「十市は兵を出さない、というのだな。相違ないな」畠山義就が言った。想像していたより若いな、と片田は思った。十市の書状を差し出す。
「田舎市が、その趣旨どおりのものであれば、民のためになるので、これを懲らすものではない、か」
「で、抜け荷については、そのような場合には、これは越智の問題であって、十市の知るところではない。なるほどな。興福寺への言い訳はたつということか」
「よかろう。越智、田舎市をひらくがいい。僧兵だけならば、わしが河内から兵を出してやる」
越智が義就に感謝した。
「ところで、片田。お前は硝石を作る方法を知っているのではないか」
「いえ、そのようなことはありません」
「伊賀守(越智家栄)が、お前はいろいろ不思議なものをつくる、と言っていたぞ。そういえば、堺の田舎市の搾油器は、わしも見た。感謝するぞ」
「十市の古家や寺を回って硝石を集めました」
「誰が信じるか、そんな話。作れるのであれば、わしに売れ。金はいくらでも出す」
「仮に私が硝石を持っているとして、それをどうなさいますか」
「砲を作って、石清水や、木津の関にぶちこんでやるわ」
「なぜ、そのようになさいますか」
「あいつら、そこで抜け荷を取り締まったり、関税を巻き上げたりしているからだ。おかげで物価が高くなり、みな苦しんでおる」
「それでしたら、そのような物騒な方法ではなく、堺から大和まで直接荷を運ぶものを作って差し上げます。それでよろしいのでは」
「なに、そんなことが出来るのか」
片田は、彼の構想している運河を説明した。
「亀の瀬から、大和川を下り、石川に入って石川、大乗川と遡上します」
このあたりは、義就が現在の高屋城建設に使っている水運だ。
「高屋城の普請場あたりから、北に堀を作り、古代の陵に至ります。陵の周囲に堤を作り、ここに水を溜め高度を稼ぎます。陵からは、このあたりまで、水道橋を作ります。八百間(千五百メートル)ほどになりますから、ここが一番の大工事になります」そう言って、現在の藤井寺駅のあたりを指さす。
「水道橋の出口からは堺までは下りますので、傾斜が一様になるように注意して堀を作るだけで大丈夫です」
「幅はどの程度のものを作ろうしているのか」
「三間(五.四メートル)です。それだけあれば、現在大和を行き来している魚梁舟がすれ違えるでしょう」
「水路の水量は確保できるのか」
「言い忘れておりましたが、そのために、石川の上流のこのあたりに堰を設け、石川から大乗川の上流に水を回します」片田は、現在の石川河川公園のあたりを指さした。
「水道橋というのはどうやって作るのか」
「亀の瀬の運河と同じです、切り石をコンクリートで固めて作ります。間隔を開けた柱で支えますので、水路の下を通り抜けることが出来ます」
「このようなものができれば、高屋城の城下が、さぞや栄えるであろうな」義就が言った。
「金はわしが出すとしたら。何年ぐらいで作れる」
「さあ、人手の集まり具合にもよります。五年から十年の間でしょうか」
片田は、来るであろう飢饉の避難者を労働力として想定していた。
「よし、これを作ることにする。片田、おまえが出来るというのであれば、信じてやろう。南河内の城は全部わしが押さえることにする。運河の土地の確保もわしがやってやろう」
魚梁舟とは、全長十五メートル、全幅一.五メートル、排水量一トン程度の平底の小さな帆掛け船である。昔、大和平野でよく使われていたということだ。




