積木 (つみき)
ヘンリー七世と安宅丸の謁見が終わると、すぐに駅馬がグリニッジ宮殿を出発してポーツマスに向かう。翌朝、ヘンリーの使者がポーツマスに停泊している『川内』の航海士に安宅丸の日本語で書かれた文書を渡した。
「・ポーツマスで補給を受けることが出来る。補給後にただちに出航して、以下の航海をせよ。
・出港後、海岸線に沿って東に向かえ。百八十キロメートル進むとドーバーの港がある。
・ドーバーから海岸線に沿って北上し三十キロメートル進むと、海岸線が西に向かう。
・海岸線に沿って西に五十キロメートル進むと大きな河口がある。この川をテムズ川という
・テムズ川を六十キロメートル遡上すると、南岸に宮殿があらわれる。
・この宮殿をグリニッジ宮殿という、航海の目的地だ。
・グリニッジ宮殿の尖塔に赤と白の旗を掲揚して目印とする。
・添付した書類はイングランド国王署名の通行証である。イングランドの官憲に誰何されたときに、提示せよ
・テムズ河口及び目的地の緯度は北緯五十一度三十分である」
「艦長、うまくやったみたいだが、それにしてもそんなに内陸に入って大丈夫なのかな」残された機帆船『川内』の幹部達が不安そうに言っていたが、心配してもしかたがない。
安宅丸の指示に従って航海することにした。
「おそらく、十日以内にはグリニッジ・リーチに到着するでしょう」安宅丸は、そう言っていた。その十日間、安宅丸とシンガは宮殿に宿泊することになる。
彼らが滞在するグリニッジ宮殿は、現在グリニッジ・パークとなっている。テムズ川に沿った宮殿跡地には病院が建っていて、南に広い庭園がある。庭園のなかにグリニッジ天文台が建っている。一九八〇年代までは経度〇度の基準点だった。いまの経度〇は百メートル程東に移動しているとのことだ。
数日後、安宅丸とシンガが暇を持て余していると、ヘンリー国王が二人を招いた。広い宮殿の、王の私的な領域だろう。ある部屋に入ると、女性や子供達がいた。
「これが、私の妃だ。ヨークのエリザベスという」ヘンリーが色白の女性を紹介する。赤いブリオー(上着)の縁に施された金糸の刺繍が見事だった。
「安宅丸と申します。よろしくおねがいいたします」
「よろしくね。こちらの若者は」
「シンガといいます」
「あなたも、よろしく」
「これが私の娘、マーガレットだ。四歳になる」そういって、丸顔のかわいらしい娘を紹介した。
「こいつが、ヘンリー、二歳だ。私の次男だ」こちらは、まだ海の物とも、山の物ともしれぬ年齢であったが、後のヘンリー八世だ。
「そして、最後に、彼女がエリザベス・デントンだ。妃の侍女をしとるが、今はワンパク小僧達の養育係をさせられておる」
「よろこんで、やらせていただいていますわ。お見知りおきを」紹介された女性が答える。
「アー、アー、アオ、アオ」ヘンリーがそういいながら、青い積木を握ってシンガに近寄って来る。どうも積木遊びの途中に安宅丸達が入ってきたので、遊びを中断させられたらしい。
「アオか」
「ン、ン」そう言ったあとで、左の方を指さした。床に積木の城が出来ていた。ヘンリーがシンガに、ついてこい、という仕草をする。
「まあ、お客様に失礼です」エリザベスがたしなめる。
「ナンデ」洋の東西にかかわらず、子供はすぐに『ナンデ』を覚える。今のところ、AIにはこれが出来ない。
「なんででもです」
ヘンリーは気にしていないようだ。
「ヤネ」手に持った積木をシンガの方に付き出して言う。
「ヤネか、そういえば、そんな色だな」
「ウン、ウン」といい、積木の城の上に載せた。
「おっ、上手に出来たな」シンガが褒めると、ヘンリーが喜ぶ。こいつとはウマが合いそうだと思ったのかもしれない。
「少し、外の庭に出よう」
王様の方のヘンリーが、安宅丸とシンガに言う。赤子の方のヘンリーが抗議する。せっかく遊び相手を見つけたのに拉致されるのか。
南側一面に張られた窓ガラスの一角に、ガラス扉があった。そこから宮殿の内庭に出る。
「臣下がいないところで話してみたかったのじゃ。王の立場としては、臣下の前であれこれと詮索するのは憚れるのでな」
「そうですか」
「そちの船は何で風上に向かって走れるのか」
「帆を使わずに、水車を回転させて、水を後ろに押し出しているからです」
「ガレーのような方法だな」地中海のガレー船のことだ。
「仕組みは同じです。ただし人の力ではなく、『蒸気(steam)』を使います」
「『蒸気』だと、鍋の上に白く立ち上る、あの蒸気か」
「そうです」
「あんなものに、大きな船を動かす力があるのか」
「あります。閉じ込めれば、ものすごい力を出します」
「そうであったのか。それは気付きもしなかった」
「私共の船の中には、大きな炉があり、そこで石炭を燃やします」
「うむ」
「そして、炉の上に鍋にあたる釜があって、真水が入っています」
「それで」
「釜からは大量の蒸気が出てきます。それを閉じ込めて、鋼のシリンダーの中に入れてやりますと、反対側を強く押します。押す力を回転運動に変えてやれば、水車を回すことが出来ます」
「そういう仕組みか」
「それと、大砲を載せておると港湾長官が言っていた、本当なのか」
「はい、片舷ごとに二段六列、両舷で二十四門の砲を備えています」外輪水車がある分だけ、二列ほどスクリュー船より少ない。
「口径は、どれほどじゃ」
「これくらいです」そういって指で十五センチ程の大きさを示す。
「砲弾は」
「十四キログラムですから、三十一ポンドくらいになります」
「なんと、三十一ポンドの砲弾を打ち出すのか。それで船が壊れたりしないのか」
「大丈夫です」
史実ではヘンリー七世は四隻の船を建造している。その内で大きい船、『リージェント』と『ソブリン』には、それぞれ一四一門、二二五門のハンドカノンを搭載した。
この当時であるから、せいぜい口径は数センチ程度までであろう。火薬量も少なかったはずだ。太めの散弾銃に矢や散弾を詰めて、対人兵器とするようなものだったらしい。
王様の方のヘンリーは従来の衝角と白兵戦による戦いではなく、砲による船舶同士の戦闘を構想していたと思われる。そして、赤子の方のヘンリーがそれを実現する。
積木遊びのヘンリーは、その治世を通じて、排水量五百トン、大砲八十門の『メアリ・ローズ』のような軍艦を数十隻も建造し、合わせて百隻を超える艦隊を整備することに成功したのである。これには対岸のスペインやフランスも黙るしかなかった。
ヘンリー八世の三代後のエリザベス女王の時代、スペインはイングランドに海戦をしかけるのだが、コテンパンにやられている。