イングランドの旅 2
朝になった、シンガが眼を覚ます。窓の所に行き、ガラスの代わりの板戸を開けると、外は明るくなっていた。城館の中庭の花壇が見えた。
昨夜のワインで少し頭が痛かったが、庭に出てみることにする。夕食の時に水か何かワイン以外の飲み物はないか、と尋ねたのだけれども、水を飲むのはあぶない、病になるといわれた。
この時代のイングランド人は生水を飲まない。喉が乾いたら、エールというビールに近い飲み物か、ワインを飲む。
この時代のエールは、ホップの入っていないビールのようなものだ。当然アルコールが含まれている。
エール製造の工程に加熱処理があるので、水中の細菌が殺菌されて安全に飲めるようになる。
シンガは煮沸消毒という言葉を知っていた。夕食にはスープも出た。生水でも沸騰すれば飲めるはずだ。
それぐらい、気付きそうなもんだ。そうシンガが思う。
確かにイングランド人にも知恵者はいるだろうから、煮沸すれば水が飲めると気付いた人はいたに違いない。
しかし、だ。
朝から酒が飲めるんだから、それでいいじゃないか。そう考えたのかもしれない。
庭の花壇には、秋の花がたくさん咲いていた。これは見事なもんだ、普段は花に関心を持たないシンガでもそう思うほどだった。家人のなかに園芸を好む人がいるに違いない。
花壇の奥に、家庭菜園があった。そこに青い服を着た女性が向こうを向いてしゃがんでいる。背中に長い金髪が拡がっている。
「おはよう」シンガが声をかける。女性が驚いたように振り向く。緑の目をした少女だった。
なんて、きれいな人だ。シンガが思った。
少女が立ち上がり、シンガに向けて話しかけるが、シンガには理解できなかった。英語ではない。少女がそれに気づいて、再び話しかけて来た。今度は英語だった。
「お父様のお客様」
「ああ、そうだよ。ポーツマスの港湾長官に連れられてきた。これからロンドンに行くところだ」
「わたしは、マーガレット。あなたは」
「僕は、シンガだ。草を採っていたのか」
「朝食用にね」
マーガレットは明るい青のチュニック(筒型の衣装)の上に濃い青のマントル(外套)を身に着けていた。マントルの縁には白い毛皮が縫い付けられていて、両袖口からは、藤色のシェーンズという麻製の下着が見える。縁に金糸が縫われていた。
しかし、シンガも一般の男子と同じだ。女性が何を着ているのか、など気づきもしない。
「ロンドンで、王様に拝謁するって、本当なの」
「そうだよ。僕たちは西の海からやってきた。イングランドと商売をしたいんだ。その許しを得るために王様に会いに行く」
「シンガは偉い人なの」
「いや、僕は通訳だよ、英語を話すことが出来るし、安宅丸達が使う日本語も話せるから」
「通訳なの。頭いいのね」
「頭は関係ないと思うな。誰でも自分の国の言葉はしゃべれるだろう。僕は色んな国に行っているから、自然に話せるようになった」
「そんなに、色々な国にいったことがあるの」
「そう、地球を半分以上回っているかもしれない」
城館の方から声が聞こえる。マーガレットを呼んでいるようだ。
「かえりましょ。朝食に間にあわなくなっちゃう」
マーガレットがそう言った。シンガは、どうも一発でノックアウトされたようだった。
朝食が出る。丸いパンにマルメロのジャム、それにオムレツのようなタマゴ料理、これにもたっぷり砂糖と香辛料が入っていて、上にマーガレットの摘んだミントが添えられている。昨夜のクジラ料理もそうだった。
この時代、砂糖も香辛料も高級品だった。なので、客人が来ると、それらを大量に使った料理を出す。
見栄を張るようなものだ。
そして、朝からエール(ビール)である。城館の主人も港湾長官も、二パイント(一リットル強)も入りそうなジョッキで豪快に飲む。安宅丸とシンガは半分程いただいた。
出発、ということになり、上機嫌な長官が馬に乗る。安宅丸とシンガは馬車だ。騎士夫妻が見送る。二人の隣にはマーガレットもいた。夫妻の娘だそうだ。
シンガが振り返って、マーガレットに手を振る。青いドレスを着た娘も大きく手を振っていた。
「シンガ、いつの間にあの娘と知り合いになった」安宅丸が尋ねる。
「朝、庭を散歩したら、出会ったんだ」
「ふ~ん」なかなか隅に置けないな、と安宅丸が思った。