瀬戸内海の旅
「船を買いたいのか。うーん。出来ないことはないが」村上義顕が言う。
片田がうなずく。彼は堺に戻っていた。
「それよりも前に、一度船に乗ってみたらどうだ。船乗りと陸の人間とは、考え方が異なる。それは船に乗って見なければ解らない」
「そんなものか」
「そんなものだ。だから、自分の船で商売しているつもりになって、一度船に乗ってみるといい」
「そうかもしれんな」
「よし。俺の船は、五日後に出航する。それに乗せてやる。船は博多まで眼鏡と干しシイタケを運んで、金銀や薬なんかを積んで、堺に戻ってくる。それならいいだろう。うまくいけば一か月くらいで帰ってこれる」
「わかった。世話になることにする」
「お前の分の商品も用意しておけよ。一石くらい、開けておいてやる」
船で博多に行くことになったので、また一か月程商店の管理をお願いしたい、と番頭の大黒屋惣兵衛に懇願する。
「西忍さんの紹介じゃなければ、店を乗っ取るところです。脇が甘すぎます」惣兵衛はそう言った。
出発の朝は晴れていた。自分の荷物、シイタケ五斗と眼鏡箱五箱は、昨日のうちに積んであった。
義顕の船、能島丸が岸から離れる。浅瀬を示す澪標をたどりながら、慎重に沖に向かう。
水先案内の小舟が去っていく。能島丸は、南東の風に、本帆(主帆)と弥帆(前帆)をすべて拡げ、力強く帆走を始める。
大型帆船に乗るのは初めてだった。二つのことを感じた。まず、思いのほか静かだった。風が変わるとき、木の軋みなどが聞こえてくるが、それ以外は静かである。次に風が穏やかだということだ。風に乗って帆走しているのであるから当然だが、地上にいるよりも風が柔らかい。
これは素敵だ。片田は帆船が好きになった。
「どうだ、片田」義顕が言う。
「これは、いい。帆船が好きになった」
「そうだろう。いい風にのった船は最高だ」
船員が、船首のところから、長い紐で結ばれた瓢箪を放り投げ、船の速度を測る。十ノット(時速十八キロメートル)くらい出ているだろうか、片田は思った。
良い風が続き、能島丸は四日で博多に到着した。
当時の博多は国際都市であった。明、李氏朝鮮、琉球から来た人々がたくさんいた。彼らはそれぞれの街を作っていた。それ以外にも、東南アジアから来た人々がいた。
西洋人が来る前のこの時期、アジアは平和と繁栄の時代であった。明も朝鮮も、この時期は安定していた。
義顕が朝鮮の商人を船に連れてきて積み荷を見せた。商人は朝鮮人参や薬と交換できると言ったが、義顕は、金か銀でなければ交換できないという。では、綿布か銭と交換しないか、と商人が言う。金か銀、そうでないと次の仕入れができないのだと義顕が繰り返し主張し、やっと商人が貴金属との交換を承諾する。
片田は、琉球の商人と交渉してみた。シイタケは朝鮮の商人と同程度の価格で取引してもよいが、眼鏡は安くしてほしいと言う。なぜだ、とたずねると、明の国内で、眼鏡が作れるようになってきているからだ、と答えた。
なるほど。
片田は琉球の商人にシイタケを売り、残った眼鏡は、義顕と取引していた朝鮮商人に売った。
「明人の街に飯を食いに行こう。うまいぞ」義顕が片田を誘う。
街の一角に屋台や店が集中している場所があった。強烈な肉と香辛料のにおいがする。二人は店に入る。
「饅頭、包子、春巻、なにが違うんだ」
「包子は、なかに肉の餡が入っている。春巻は生地に味がある。肉包子四つ、とりあえず持ってきてくれ」義顕が店員に叫んだ。
店員が蒸籠の蓋をあけ、肉包子を皿にのせ、持ってくる。
「うまい。これはうまい」片田が声をあげた。
「そうだろう。明の連中の食べ物は、この国のものとは、どこかちがう」
店員が豚肉と搾菜を炒めたものを持ってくる。
「これな、なにか味噌のようなもので炒めたものなんだが、この味噌がうまい。これさえあれば、なんでも料理になってしまうようだ」義顕が説明する。
片田は中国料理を知っていた。
「この味噌、売ってるのかな」
「ああ、明人の店で売っている醤とかいうものだ。実は俺も一度買ってかえったことがある。臭いで嫌われたがな」
「そうか」
大陸も半島も平和な時代だったので、硫黄が安くなっていた。これは収穫だった。この時代、硫黄の使い道はあまりなかったので、堺では硫黄の相場がわかりにくかった。そういえば西忍さんが、遣明船で硫黄が売れ残った、と言っていたな。
帰りは義顕の能島に寄った。小さな島だった。島というより、城が海の上に建っているといったほうが適切だろう。ここは瀬戸内の要衝だ。本州と四国の距離が近いうえに、あいだに多くの島があり、船の通ることが出来るところが限られている。このあたりにいくつか拠点を持てば、なるほど瀬戸内海の交通をおさえることができるだろう。義顕が言っていた、船乗りの考え方というのは、こういうものをいうのだろうか。
片田は能島で歓待され、堺に帰っていった。




