万人の万人に対する……
『社会学』という学問分野がある。『社会科学』ではない。人間は集団をなしていて、個々人はその集団の中で一定の役割を持って生活している。
その集団を社会と呼び、社会がどのようにして出来て来たのか、どのような仕組みなのか、あるいはどのように変化や進歩をするのか、ということを研究するのが『社会学』なのだそうだ。
『社会学』という言葉を使い始めたのは十九世紀のフランス人、オーギュスト・コントという学者だというが、それ以前にも社会を研究した人はいた。
『社会学』の萌芽として挙げられるのが十七世紀のイングランド人、トマス・ホッブスという哲学者だ。『万人の万人に対する闘争』という物騒な言葉で有名な爺さんである。
英語で言うと、 a war of all against all である。
爺さんが何でこんな事を言いだしたのかというと、それが人間社会の成り立ちに関係してくるのだという。
人間は、都市国家なり、王国なり、帝国なり、何らかの社会を作っている。何故そうしているのか、というのがホッブズ爺さんの問だった。
では、国が無く、地縁関係も血縁関係もない昔を考えてみよう。もちろん貴族、平民などの階級も無ければ、神も宗教も無い。
これを『自然状態』と政治哲学では呼ぶ。
この時、人間が本来的に持っている最小限の権利は何か、爺さん考えた。
そして、
『自然状態において、すべての人間は平等に自己保存の権利を持つ』
という、一点のみだ、と思いつく。たしかに、これならば神も都市国家も前提にしなくてすむ。
しかし、これだけだと、例えば食料などの生きるための資源は時に有限なので、全ての人間は生きるためには自分以外の全ての人間と闘わなければならない。
そこで、a war of all against all という状態に陥る。これは不便である。
しかたがないので、自分の持つ自然権を、王や皇帝など、なんらかの権威(他者を服従させる威力)にゆだねてしまえば、少し不自由にはなるが、万人の脅威におびえなくともすむ。
人間は、そう思いついて国家を作ったのである。爺さんはそう考えた。そして、その権威を旧約聖書のヨブ記に登場する怪物リヴァイアサンのようなものだと言った。
なんで、こんなことを長々と書いたかというと、細川政元、日野富子、伊勢貞宗、そして、全国の守護や守護代の置かれた立場を明らかにしたいからだ。
政元が征夷大将軍というリヴァイアサンを倒してしまったらどうなるか。代わりの将軍を建てることは建てるだろうが、もはや権威がない。なぜなら倒せるものだからだ。権威には継続性がなければならない。
権威が無いとなると、自分の土地所有権を守ってくれる者がいなくなってしまう、ということになる。強い者勝ち、土地を獲った者勝ち、という状態だということだ。それは、守護や守護代、地頭達などにとっては『万人の万人に対する闘争』ということだ。
現に、越前では朝倉孝景が守護の斯波氏をないがしろにして、実質的な支配を進めている。あのようなことが、全国で始まるのではないか。
『さすがに、それはまずい』
謀反を考えていた政元は、そんな時に堺で片田に出会った。そして、天皇を権威として復帰させるという片田の考えに乗ることにした。
そうすれば、片田衆の強力な軍事力を味方にすることも出来る。
「と、いうことで、片田商店との共同戦線は、まずは紀伊に逃れた尾張守の討伐から始めようと思います。片田商店の砲艦に援護してもらい、赤松の水軍を『紀の川』河口付近の浜に上陸させます」
「あの土地は奥が深いぞ、川に沿って上流に逃げたらどうする」
「上流側には、越智、古市など大和勢を送ります」と、政元。
「それで、紀伊が収まったら、次はどうするつもりじゃ」
「まずは、越前でしょう。これも片田商店の砲艦、輸送船を使い、九頭竜川の河口あたりに上陸させます。片田衆の『ウツロギ峠越え』をおぼえていらっしゃるでしょう。彼らがいれば、遠隔地での戦も自由におこなえます」
政元は、伝心術のことは黙っていた。
「籠城されたら、いかにする」
「その時こそ、片田衆の噴進砲の出番です。籠城などできません。速やかに戦が終わるので、諸大名もあまり苦しまずに済むでしょう。紀伊の戦を短期で終わらせることが出来れば、彼等はついてきます」