官軍 (かんぐん)
室町幕府第十代将軍、足利義材と、畠山政長、尚順親子は河内の正覚寺に籠城していた。
正覚寺は京でクーデターを起こした細川政元が派遣した上原元秀、安富元家らの軍に囲まれ、十数日持ちこたえたが、閏四月二十五日に陥落する。
畠山政長は跡継ぎの尚順を落ち延びさせた後に、自害して果てる。将軍義材は政元の軍に捕縛され、将軍の証である足利家伝来の宝刀と甲冑を奪われてしまう。
その後、義材は龍安寺に幽閉される。『めし』殿の件以来、何かというと龍安寺が登場する。あの石庭で有名な龍安寺が出てくるのには理由がある。
この寺は細川勝元が創建した、細川家の菩提寺なのである。いわば、京都内の細川家の拠点の一つでもあった。イギリス王家にとってのロンドン塔のようなところである。
小川殿の日野富子の邸。
「さて、と。この件は落着したが」伊勢貞宗が細川勝元に言う。
貞宗は五十歳、政元は二十六歳である。
「どうやって、落ち着きを取り戻すか、つまり事態を収拾するか、ということですね」政元が言う。
「そうだ」
「前将軍は、出家。畠山家は弾正少弼に継がせ、紀伊に逃れた尾張守は赤松の水軍で討伐する」と政元が言う。畠山の家は畠山義就の嫡男で高屋城に籠城していた義豊に継がせ、政長の子、尚順は赤松に討伐させる、ということを言っている。
「南山城の事も忘れてはなりませぬ」富子が言った。
「承知しております」
「国人が『自検』とか称しておるが、年貢が満足に入ってこないのでは、困るでのぉ」
南山城では、国人達が戦を続ける畠山義就・政長に対して国一揆をおこした。そして、二人を追い出してから八年程も自治を行っていた。
「それは、とりあえず七郎殿に続けてお願いしたい」政元が言った。伊勢貞宗の子、伊勢貞陸の事である。三月から山城国の守護になっている。
室町幕府の財源は、もともとは直轄地の年貢、地頭が納める賦課金、守護の分担金などであったが、これらが集まりにくくなっていた。
そこで幕府は山城国を直轄地として支配しようとした。それで、大名ではなく、幕府の政所執事である伊勢氏に守護をまかせた。
「そして、その後じゃが。例の片田商店の話に乗るのか」と、貞宗。
「それはもう、乗るべきだと考えます」政元が断言する。
「しかし、そうすると幕府の立場が危うくなるのではないか」
「片田は、日ノ本の土地には関心が無いといっています。和泉、淡路二国で充分だそうです。彼らは海外に行くことに関心があると言っていました」
「それを信じるのか。仮に信じられるとしても、彼の話に従えば皇室の力が増すことになる。国司の力が増してしまうと、守護や地頭が黙っていないのではないか」
「守護に国司を兼ねさせればよいのではないでしょうか。鎌倉幕府の執権は相模国の国司でした」
「そうすると、守護の任命権が皇室に移ることになるのではないか」
「守護の任命は、幕府の権限です。皇室に国司任命を追認させればよいでしょう」
「では、彼らが言う統帥権というのはなんだ」
「兵を動かす権限のことです。天皇に統帥権を置くといっているのです」
「勝手に兵を動かすことは出来ぬということか」
「そうです」
「それでは、戦が出来ぬではないか」
「そうですね。それが狙いのようです」
「それは、大名どもが承服しないであろう」こう言っている伊勢貞宗は幕府の執事であるため、他人事のように言う。
「まあ、最初は山城、大和、近江、摂津、河内あたりから始めることになるでしょう。これらの国は、京都まで日帰りできますので、参内して開戦の宣下を受けることが出来ます」
「なぜ、御門の判断が必要なのじゃ」
「それは、片田商店が幕府の配下に入らないからです。彼らは天皇の意向に従う、といっています。なので、彼等と共同して戦をするならば、統帥権に従わなければならないという仕組みです」
「なるほどのぉ」
「片田はそのような軍のことを『官軍』と呼んでいます。御門の意向により、御門から与えられた『錦の御旗』を立てて、反乱大名を賊軍として討伐する。これならば大義名分がある、と言っていました」
「それは、確かにそのとおりであるが、武家からみたら、鎌倉殿以来努力してせっかく手に入れた権力を失うことになるであろう」
「そうでしょうね。でも、いまのままだと、諸国に大名が乱立して、百年の戦乱の世になるだろう、それよりは、はるかにましだと言っていました。私もそう思います」
「戦乱の世になるというのか」貞宗が言った。確かに応仁以来幕府の権威は失墜した。このように会話している二人からして、クーデターをおこして、将軍を放逐した張本人である。
「なんでも、片田とかいう男は、日本人同士で戦うのはつまらん、といっておるそうじゃな」富子が言う。
「そのとおりです。外にいくらでも敵はいる。日本人同士戦っている場合ではないそうです」
「そなた、本当に片田とかが言うように百年の戦乱の世になると思うか」富子が政元を凝視して言った。
「おそらく、そうなるでしょう。我々とて、今回は勝ちましたが、いつ寝首をかかれるやもしれません」
史実では、実際にそうなった。十年後、政元は暗殺される。そして同年、彼らがまさに、建てようとしている将軍、清晃も足利義材を担いだ大内軍に攻められ、将軍職を廃されている。
「そう思うか。たしかに荒くれ者の武者に支配させていれば、そうなるかもしれぬの」
「ところで、この『議会を設けて立法させ、法に則って行政を行う』というのは、なんだ」
「知恵のあるものを集めて合議して、どのように政を行うか、文章をつくらせます。この文章を法と呼んでいるそうです。そして、法に沿って実際に政を行う行政府を作り、公務員にそれを行わせるということです」
「そんな知恵のある者が、おるのか」
「行政の方は可能でしょう。隣の明では古くからおこなわれていますから。しかし、それは当分先の話です。彼らの和泉、淡路でもまだ出来ていないそうです。それが出来るためには教育が必要だと言っていました。子供たちに教育を与えて、知恵のある次世代を作らねば実現できないそうです」
そういいながら、政元は淡路の飛行艇や、片田商店の伝心術を思い出す。確かに教育は必要だ。教育の重要性は、教育を受けた者でないとわからないところが、歯がゆい所だが。
「片田とやら、言っていることはまともなようじゃ」富子が言った。
「わらわは公家の出じゃが、今の武家は身内どうしで殺し合いばかりしておる。そんな有様であれば武家など虚しいばかりじゃ。民の暮らしを安んずるのが武家であったはずなのに」
「御台様」伊勢貞宗が言った。
「おぬしとわらわは見ておる。応仁の戦の最後を覚えておるであろう。片田衆が、瞬く間に和泉と淡路を奪い、京に出て来た」
「二条から船岡山に鵲の橋のような白い帯が伸びて船岡山を燃え上がらせた。あの力を覚えているであろう」
「はい、昨日のことのように覚えております。青空に白い煙が伸びていく様を」
片田たちの噴進砲(MLRS)の一斉射撃の事を言っている。二十五年前の記憶だ。
「あれだけの武力がありながら、その後はおとなしくしている。片田とやらの言は本音であろう」
「御台様、それでは片田衆の申し出を受け入れるというのですか」貞宗が言う。
「そうしてもよいのではないかの、のう、九郎」