高麗鉄(こまてつ)
「だいたい、うまく経営できているようだ。たいしたものだ」片田がいくつかの帳面を見ながら、石英丸を褒めた。
「あえて言えば、商売が弱いかもしれない。仕入れ値が高めだ」片田は元軍人らしからぬ評を入れた。
「たしかに、商売は苦手です。人を相手にするのは、正解がありません」石英丸が言った。
片田が堺に出てから、全体の物価は安定しはじめていた。相場板のおかげだろう。
「銑鉄と漆が高いな」
鉄と漆が高いというのは、世の中が物騒になりそうだということだ。
「銑鉄は本当に高いです。高いだけではなく、入ってくる量も減ってきました」
「なんとかしないといけないほどか」
「そうですね。堺の方でなんとかなるようであれば、お願いしたいです」
「わかった。なんとかしよう」片田は帳面に目を落とす。
「そういえば、ふうの水路はどうなった」片田が尋ねる。『ふうの水路』とは大和川から、とびの村に直接水を引き入れる水路で、慈観寺の対岸に作っている。
数年前、揚水機三号を置いたあたりだ。
「もうほとんど出来ています。あれが完成すれば、とびから十市まで、揚水機は必要なくなるでしょう。ふうは、次は倉橋溜池から、片田村までの水道を作りたいって言っています」
「大きい仕事になるな。予算や、通す場所、どういった技術を使うのか、ふうにまとめるように言ってくれ。あと、そうだ、ふうに手伝いをつけよう。この先、大きな工事をしようと思っている。犬丸は算数が得意だから、ふうの手伝いをさせよう。それと、もう一人出来そうなやついるか」
「土木丸なら、使えるでしょう。どっちも長男ではありませんから、片田村専属にできます」石英丸がいった。
「おお、ひさしぶりじゃの、順」好胤さんが言った。
「ごぶさたしてます」片田が、慈観寺の土間で挨拶した。この土間は懐かしい場所だった。
「お尋ねしたいことがあって来ました」
「なんじゃ、今年は康正二年じゃぞ」
「いや、そのことではなく」
「冗談じゃ」
「大和川をすこし下ったところに金屋というところがありますよね」
「うむ。昔、高麗のタタラ師や鍛冶が住んでおった、という言い伝えがある。はるか昔のことじゃぞ」
「鍛冶が住んでいた、ということは、あのあたりで砂鉄がとれたということですね」
「さあのぉ、あまりに昔のことだから、確かなことはわからぬ。ただ、覚慶が言うには、あのあたりには鉄滓が転がっているから、製鉄をしていたのは間違いないそうだ」
覚慶とは、好胤の友人で、片田の眼鏡を興福寺で見せびらかしてくれた僧侶だ。
「そうですか」片田が言った。
慈観寺から金屋のあたりは、山から出てきた大和川の傾斜が急に弱く緩くなるところだ。そこに上流から流れてきた砂鉄が堆積したのだろう。ということは上流に砂鉄の鉱床があるはずだ。
「このあたりに高麗人の言い伝えとか、ありますか」
「言い伝えのう、あまり聞かんが。高麗、高麗、と。そうじゃのお。高麗神社というのなら、あちこちにあるが」
「高麗神社ですか、どこですか」
「大和川は、とびから東に延びておる。初瀬のところでそれが北に曲がる。ずっと川沿いに北にいくと、和田という里がある。そこの中腹にひとつある」
「他にもあるんですか」
「初瀬で北に曲がらず、そのまま真っすぐ行くと榛原だが、その途中にも高麗神社があったな。それと、行ったことはないが、和田と榛原の間の鳥見山の中、萱森というところには、昔のタタラ師の村跡がいくつもあって、そのあたりにも小さな高麗神社があるそうだ」
「そうですか。ありがとうございます」
好胤さんの話から考えると、鳥見山には砂鉄鉱脈があるということになりそうだ。中腹の萱森のあたりの露天鉱床を掘りつくして、タタラ師は去っていったのだろう。そこは期待できない。川沿いで、侵食で水位が低下して、鉄鉱床を通り過ぎてしまったところがあれば、期待できるかもしれない。
翌朝、片田は、片手用の小さなツルハシを持って片田村を出た。鍛冶丸がついてきた。
まず大和川に沿って、金屋のあたりまで歩いてみた。川底を見ると、うっすらと黒い縞が見える。意識して見ないと気づかない程度だ。川に入りそれをすくってみる。背嚢から取り出してきた方位磁石を近づけると、針が動いた。たしかに砂鉄だ。
「よし、鍛冶丸、行こう」
二人は大和川の上流に向かった。初瀬をすぎて、榛原に入る。角柄というところに高麗神社があった。あるにはあったが、肝心の川がない。すこし道を戻り吉隠という里のあたりの小川を調べる。期待できそうもなかった。吉隠から北に延びる道を選ぶ、新緑の棚田の間を登り、鳥見山をめざす。
「鍛冶丸は、どうしてついてきたんだ」
「鉄がどんなところで採れるのか知りたかったんだ」
「鉄が好きなのか」
「そうだな。鉄からいろんな道具を作れる。道具の元のようなものだからな」
「そうか、足元を見てみろ。半分透明な砂だろ。これは花崗岩が崩れたものだ。花崗岩の中に砂鉄が混ざっているところがある。鉄と花崗岩とでは、鉄の方が重い。だから、川の水に流すと、花崗岩の砂が流れて、砂鉄が残る。金屋のあたりに砂鉄が溜まるのはそういう仕掛けだ」
「なるほどなぁ」
鳥見山の中腹の、小さな高原のようなところに出る。不思議な景色だった。どうみても自然に侵食された地形ではない。いたるところに人の手が入っている。棚田のようなところ、おおきな窪み、深い穴など、でたらめに、人が地を削った跡が広くのこされていた。
放棄された村があった。壊れたタタラや鉄滓が散らばっている。村のはずれに高麗神社があった。おおきなタタラ師の村だったのだろう。長期にわたって鉄を採取していたのは間違いない。この山は砂鉄を多く含んだ花崗岩のかたまりだった。
和田の里に出るために、西に向かう。沢をくだりきったところに大和川があった。対岸の道のところまで川を渡る。道をすこし登ったところに和田の里があり、高麗神社があった。
神社の境内から、大和川を見る。正面に見える所で大和川は鳥見山の尾根を大きく削っている。
「あのあたりに行ってみるか」片田が鍛冶丸に行った。
「鍛冶丸は、川岸に待っていろ」そう指示して、片田は大和川を渡り、対岸の崖に向かう。向こう岸側は川に削り取られている部分なので、深い淵がある。淵に足をとられるが、立て直す。
手にしたツルハシで、目と同じくらいの高さの崖を削る。風化して簡単に削れる。花崗岩だ。一掴みほど削り、川の水で洗う。花崗岩砂と砂鉄が混ざっていた。
やっぱりそうだった。古代の金屋の高麗人は砂鉄がこの崖から来ることを知っていたんだ。だから、崖の向かいの斜面に神社を建て、永遠に砂鉄が出ることを願ったのだろう。
次に低い膝のあたりを一掴み採り、洗う。花崗岩砂だけだった。
片田は鍛冶丸を呼び寄せて、同じようにやって見せた。
「この崖の上の方がずっとそうなのか」
「どこまであるかは、わからんが、この崖を削れば、金屋のあたりに砂鉄が堆積するだろう」
片田は和田の乙名達を訪ね、崖を削る許可を取った。水害にならない程度に少しずつやるならば、いいだろうということになった。和田郷には、ふんだんにシイタケの菌床を提供することを約束した。




