静観する大和
一人の翁と、それに従う者四人が、山道を登っている。翁の歳は六十ばかりか、そうとう鍛えた体を持っているが、それでも、この歳で山道はきつい。
「播磨守のやつめ、とんでもない城をこしらえようとしている」
そう言った翁は越智家栄、播磨守とは十市遠清のことだ。
先月に二人が面会したときには、寺川沿いの、十市城で面会していた。片田がよく通っていた城で、奈良盆地にある。
『十市城の戦い』の舞台になった城だった。
ところが、今日は“築城の指図があるので、すまぬが龍王山まで来てくれ”と十市城に伝言があった。
“わしの高取城と同じか、もしかすると、それ以上の城になるかもしれん”口には出さなかったが、そう思った。
片田の恩恵にもっとも浴したのは、十市遠清だった。
最初は硫安と草木灰だった。これによって、米の収穫が二倍になった。
二倍の土地を手に入れたのと同じことだ。土地を得るには戦をしなければならないが、肥料を与えるだけで収穫が二倍になるというのだから驚く。
次は、倉橋の溜池だった。これにより、大和川沿いの田畑は、旱の害に悩まされることがなくなった。
十市の米は、飢饉のたびに高値で取引されていった。
さらに、片田村の市場では干しシイタケや肥料、紙などが大量に取引された。ここからあがる税収も大きかった。
加えて、十市の領地は大和盆地の南東にある。『応仁の乱』の影響も少なかった。
こうして手に入れた資金で、十市遠清は奈良盆地の東に聳える龍王山に山城を建設することにした。
尾根に出る。尾根の左側は、尾根を削って堀切を作っている最中らしい。十市遠清が家栄を迎えた。
「いやあ、すまなかったの。これが本当のご足労じゃ」遠清が言った。
「何言ってんだ。この程度大したことではない。わしの城も山の上じゃから、いつもの事じゃ」家栄が言う。
「で、どうだった」遠清が尋ねる。
「うむ、高屋城のお館様が起請文を出された。興福寺と御台所様にじゃ。興福寺宛ては、今わしが持っている。これじゃ」
越智家栄が、そういって、背負っていた笈から護符を取り出す。
熊野牛王符というものだ。神社や仏閣が発行する厄除けの護符である。
この護符の裏に契約などの約束事項を墨書して、神仏に誓って守るとすることを起請文という。
前月、興福寺の尋尊さんが、高屋城の畠山義豊に、もし今後一切大和国に侵攻しない、と神仏に誓うのであれば、大和国人は、このたびの将軍の河内征伐に参加しない、そう伝えた。
それに対する義豊の回答が、この起請文だった。
大和の国人の一部にとっては、高屋城の畠山義就は長年の仇敵であった。何度も侵略を繰り返されている。それを、二度とやらないというのであれば、協力してもよい、としたのだった。
大和の国人達にしてみれば、幕府に協力すれば、長年の敵が除かれるのであるから、望むところだった。
それなのに、義豊と上記の交渉した理由はなんだったのだろう。
半月ほど前。
幕府による参陣の要請と同時期に、大乗院の尋尊が大和の国人達を興福寺に集めた。この頃、大和国の状況は比較的おだやかだったので、皆尋尊の呼びかけに応じた。
そして、このたびの幕府の要請に対して、大和からは参陣しないことにしたいが、どうであろうか、と持ち掛けた。
「くわしいことは、言えぬがな」
「高屋城に味方するのは、いいのか」越智家栄が尋ねる。
「それは、かまわぬ」
「理由が聞きたい」
「いずれ、時が来ればわかる。ともかく、いまは言えぬ」
「しかし、高屋の畠山を滅ぼす、よい機会ではないか」
「たしかに、義就には再三煮え湯を飲まされてきた。そこでじゃ、この機会に、高屋城の弾正から、二度と大和に攻め入らぬ、という起請文を取り付けようではないか」
「畠山が、起請文なんぞ、守ると思うのか」
「先代だったら、そうであろうが、今の当主は、信心深いと聞く」
「戦に行かずに済み、畠山からも約束をとりつけられるのならば、それが一番良い方法にも思われるが」
「尋尊さんを信じてみるか」
「ああ、そうだな」
「おおかた話がまとまって、ありがたい。しかし、どうしても参陣したいということであれば、止めはせぬが、火傷をするかもしれぬぞ」
それだけ言い捨てて、尋尊が奥に下がった。
残された国人達が、今のはどういうことだ、と騒めいた。




