修験道 (しゅげんどう)
鉄丸の操る飛行艇が浜から離れる。前席では九郎さんが両手を合わせて人差指を伸ばしている。なにかの印を結んでいるようだ。
九郎さんが眼を閉じて、名号を唱え始める。
「南無、蔵王権現、愛宕権現、若一王子、九十九王子、前鬼、後鬼、一言主……」
飛行艇が浜に沿ってあっというまに離陸した。九郎の付き人らしき四人の男達がハラハラしながら、それを見送った。
「ありゃあ、いっちゃったよ」銅丸が言う。
「九郎さん、細川の九郎さんだといっていたよな」と、銀丸。
「そうだったね」
「細川っていうと、讃岐国の守護様の親戚かな」
「そうかもしれないね」
「銅丸、ちょっと行って、爺ちゃん呼んで来い」
「え、俺が。わかったよ」そういって銅丸が山の研究所に向かって走る。
南無というのは、仏教の言葉で、『おまかせいたします』という意味だそうだ。南無阿弥陀仏といえば、『阿弥陀仏様の御心のままに』と言う意味になる。
難しく言うと、信仰対象への自身の帰投、ないしは信仰の告白だという。
同じように、『南無三』は、三、すなわち仏教の三宝、『仏、法、僧』への帰身を意味している。そこで、咄嗟の危機に会った時の助命の『まじない』となっている。
飛行艇は、湾内で二回旋回して高度をとり、西に向かって去っていった。
徐々に小さくなる機影とエンジン音。見守る四人が心細そうな顔をした。
山の方から、鍛冶丸と銅丸が降りてくる。
「客人とは、おぬしたちか」鍛冶丸が言う。
四人はバツの悪そうな顔をして、答えない。
「爺ちゃん、この人たちは答えにくいと思うよ」銀丸が言う。
「ん、なんでじゃ」
「たぶん、他所から密航してきたから」
「そうなのか」鍛冶丸が四人を睨む。
誰も答えない。主人が帰ってくるまで、何も言うつもりはなさそうだ。
「いま、飛行艇に、この人たちの主人らしい人が乗っている。その人が帰ってくるのを待つしかないよ」銀丸が、さらに言った。
「そうか。では、そうするか」
鍛冶丸、銀丸、銅丸、それに九郎の付き人四人が、することもなく飛行艇の帰りを待つ。
彼ら七人の前では、若者、娘、子供達が、砂に棒で絵を描きながら議論している。
「高度は、いつだって十分とった方がいいんだ。高度が高い程、万一の時になんとかする余地が出来る」
「五郎ちゃんは、旋回するとき、操縦桿傾け過ぎよ、いつも『内滑り』してるじゃない」
「『ならべ』ねぇちゃんこそ、方向舵に頼り過ぎだ」
なんてことを、言っている。少し生意気だ。それを聞く四人には、なんのことか、さっぱりわからない。
やがて、湾口に鉄丸の飛行艇が戻ってくる。低高度進入をしている。鉄丸が、いつもより少し離れた所に着水する。慎重に操縦しているようだ。
飛行艇が浜に接岸した。
「殿ッ、御無事でしたか……」四人が駆け寄る。
鍛冶丸は聞き逃さなかった。彼ら、殿と言っていた。
「いやあ、すごいぞ。鳴門の瀬戸まで、あっというまに行って、戻ってきた。幾つもの渦潮が、上空から手に取るように見える」
そういって、九郎が前席から降りて、『かぞえ』のように高笑いした。
「ここから、鳴門まで、あっという間なのじゃ。まさに役行者も、かくありなんっ。さようなさまじゃ」九郎が興奮して言う。
役行者か、そうか、やはりな。鍛冶丸が思った。
「あの、もし」鍛冶丸が九郎に声をかける。
「お、なんじゃ」
「細川の九郎さまとおっしゃるのかな」
「いかにも、そうだ。無断で淡路に入ったのはすまない。どうしても飛行する技を見てみたかったのじゃ。他意はない」
「わしは淡路の経営をまかされている鍛冶丸というものだ。他意がない、というのであれば、密入国については、ゆるす」
「そうか、淡路の経営を、とな。それで、密航を許してくれるのか。それは助かる。な、片田衆は、話せばわかるといったであろう」九郎が付き人四人の方を向いて言った。
「ところで、九郎さまは京兆家の頭領殿ではないのかな」鍛冶丸が言う。
「なに、何故それがわかる」九郎の顔色が変わる。
京兆家というのは、細川氏の宗家、本流にあたる家柄のことだ。その頭領ということになると、細川勝元の嫡男、細川政元のことだ。
目の前の風来坊を、なぜ細川家の当主だと見抜いたのか。
「いまの京兆家の頭領様は、幕府の要職を与えられても、すぐに投げ出してしまう。そうしておいて、何をしているのかというと、あちこちの山を尋ねて修験道の修行をしているそうじゃ。ことに空を飛ぶことに執心している、と聞いておる」
「あはは、そのとおりだ」
「ならば、密航に他意がないのは頷かれる。なので、ゆるした」
「なるほどな」
「ところでこの、飛行艇というのか。これは、わしが買いたいといったら、売ってくれる物なのか」
「売りもんじゃないよ」銀丸が言った。
「なぜ、売らない」
「この飛行艇は、常に点検と整備が必要なんだ。買って持ち帰れば、いつでも乗れるというもんじゃない」
「なるほど。そういうことか」
「九郎さんが悪いことを考えていないのは分かったから、次は正面から淡路に来ることが出来るだろう」鉄丸がいった。
「では、その、点検と整備か、それを覚えればいいのだろう。どうじゃ。のう、豊前守、お前、この村でその技を覚えてまいれ」
指名された豊前守とやらが、ヒィッと小さな悲鳴を上げる。
「技を覚えただけじゃ、だめだよ。たくさんの交換部品や消耗品、燃料が必要なんだ」
鉄丸が、某高級外車のようなことを言う。
「そうか、それじゃあ、しかたないな。飛びたくなったらここに来るしかないか」
もし、また飛びたくなったら、堺の片田商店に来ればよい。そこから高速船を出しているので、それで送迎できる。鍛冶丸がそう言った。