九郎 (くろう)
二十代半ばくらいの男が、福良の港を見下ろす山に立つ。
「おぅお、あれを見ろ、本当に空を飛んでるぞ」彼が、付き従う四人の武者に言った。
眼下では三、四機の飛行艇が福良湾を旋回していた。
「もっと近くにいってみよう」
「殿ッ、見つかったら大変なことになりますぞ」
「大丈夫だ、片田衆はむやみなことはしない、と聞いておるぞ」
「しかし」
「大丈夫だ、大丈夫だ、話せばわかる」
淡路島の出入りは厳重に警戒されていた。特に南部は福良や由良の港、周辺の工業地帯があったので特に厳しかった。
火薬や酸などを持ち出されたら大変なことになるからだ。
彼らは西の讃岐国、鳴門から小舟で淡路島に渡ってきている。
浜で飛行の指導をしていた鉄丸達のところに、山の方から例の男が降りてくる。
「あいつぁ、誰だ。見たことの無いやつだな」銀丸が言う。
「お武家らしいけれど、先頭のやつ、烏帽子を被っていないな、変な奴だ」これは、銅丸。
「おい、その空を飛ぶ物をよくみせてくれないか」若者が言った。
「いいけど、お兄さんは何者だ」
「何者か、言わないと、見せてくれないのか」
「そんなこともないけど、でもお兄さんのことは、なんて呼べばいいんだ」
「そうか、そうだな。俺は九郎という。細川の九郎だ」
「やっぱり、お武家さんか」
「そうだ。武家には見せられないか」
「そんなことはない」そう言って鉄丸が浜に止めている飛行艇に案内する。
「ここに乗るのか」
「そうだ」
「この丸い玻璃は何だ」操縦席の前に計器を指して尋ねる。
「飛行機の高さや、速さ、上下の動きなどを示してくれる。計器というものだ」
「この羽根があるから、飛ぶのか」主翼を軽く叩く。
「そうだ」
「しかし、何で飛ぶことが出来るんだ」
「空気の上に乗るからだ」
「空気ってなんだ。石に乗るのなら分かるが、目にも見えない物に乗るのか」
「鳥は飛べるだろ」
「ああ、飛べる」
「なんで飛べるんだと思う」
「鳥だからだ」
「そうじゃなくって、そう、ニワトリは鳥だけど空を飛べないよね。ウズラも」
「そうだな。飛べない鳥もいる」
実際にはウズラは飛ぶことができるそうだが、地面にじっとしていることが多いので、鉄丸が勘違いしているようだ。
余談だが、ウズラは昔から日本にいる。平安時代から食用にされている記録がある。
古くから家畜化、ないしはペットとして飼育されていたようである。
戦国時代には、その鳴き声が「御吉兆」と聞こえるということで、籠に入れて戦場に連れて行ったそうだ。ウズラに「御吉兆」と言ってもらって、兵士の士気を高めるのだそうだ。
ウズラにしてみればいい迷惑だ。戦に敗れて潰走してしまったら、籠のなかのウズラの事などかまっていられなかっただろう。
「鳥は、速く移動できるから、空気に乗って飛べるんだよ」
「そうなのか」
「そうだなぁ、なんて説明すればいいのか。九郎さんは息を吸うと胸に空気が入ってくるのは感じるかい」
「もちろん、感じる。しかし、ほんのわずかだ。重さは感じない」
「じゃあ、嵐の日に外に出ると風に飛ばされそうになるよね」
「それは、わかる。確かに時によっては前に進めないことも、倒されそうになることもある」
「それだよ。目には見えないけど。俺たちの周りには空気がある。飛行艇がすごく速く走ると、羽根に空気を受けて、空気の上に乗れるようになる」
「そういうことか、それでこの羽根、少し傾いているのか」
「まあ、そんなところだ」
「ところで、これ、座るところが二つある、ということは二人乗りなのか」
「そうだ」
「わしを乗せてくれないか。空を飛んでみたい」
鉄丸達が相談する。中には子供も娘もいた。彼らが乗れるのなら、自分にも乗れるのだと思ったらしい。
「それは、いいけど。でも、めったにないけど、落ちることもあるよ。ケガするかもしれない」
「めったにないんだろ」
鉄丸が、若者の後ろに従っている四人の男たちの方を見る。彼らは迷っているようだった。
「後ろにいる人たち、九郎さんの付き人だろ。あの人たちが、『いい』っていってくれたら、乗せてもいい」
九郎が後ろを振り向く。
「その方たち、よいな」すごい目で睨む。ほとんど脅迫だ。
四人が声も無く頷く。九郎が向き直り言った。
「よーし、これでいいだろう。わしをあれに乗せてくれ」