パナマ地峡 (パナマ ちきょう)
延徳四年(西暦一四九二年)の三月。
現在パナマと呼ばれているところに、犬丸達が上陸する。当時この場所の人口は少なく、海岸沿いに小さな村があるばかりだ。
村人は翡翠のアイブラックを付けている。彼らが天然痘に感染する心配はない。
ちょうど同じ頃、スペインではコロンブスがカトリック両王と新世界探検の交渉をしていて、『サンタフェの降伏』ともいわれる有利な条件で取引が成立する。
犬丸達がこの海岸に上陸した目的は、カリブ海への道を開くためだった。片田の持ってきた地図では、この部分が地峡となっているが、それを確認しなければならない。
カリブ海に出る目的は、主に二つある。一つはカリブ海側に造船所を建設することだ。大西洋側に船を浮かべることが出来る。もう一つ重要な目的はゴムの木を入手することだった。ゴムは近代の文明に必須のものだ、と片田に教えられていた。
上陸して、現地の民に尋ねると、北の海(カリブ海)に出る道はある、という。二日の道のりだそうだ。向こう側の民にも翡翠の化粧品は評判で、最近はよく買いに来るから、道中の藪に苦労することは無いだろう、そう言っている。
通訳しているのはシンガだ。
食料や薬品、測量器具などを持ち、現地の案内人を雇って、内陸に進むことにしたが、草深い道の両側は、背丈の三倍程もある密林だった。
やがて、この道沿いに鉄道を施設しようと考えていた。
道を進み始めて一時間もしないところで、測量をあきらめる。代わりに歩数と方位磁石で、簡易地図を作成することにした。
測量器具を持った男が、船の所に戻り、帰ってきた。代わりに米の入った樽を担いでくる。
「向こうの海についたら、握り飯を食おうと思ってな」
二十名程の探検隊が歓声を上げる。サツマイモやトウモロコシもうまかったが、たまには米の飯が食いたい。
パナマの村の近くに太平洋に出る川がある。後にスペイン人がリオグランデという名前を付ける川だ。コロラド州のリオグランデ川とは異なる。『大きな川』、という意味で、スペイン人は、あっちこっちで名付けている。
その川に沿って緩やかに登る。
「今頃、堺は春だろうな」金太郎が歩きながらつぶやく。
「ああ、そうだな。桜、咲いているだろうな」熊五郎が答える。
「『銭湯で、戎の花の、噂かな』」金太郎が独り言を言う。
「なんだそれ」
「何でもない、俺がデタラメに作った発句だ」
戎島は埋め立てた人工島だ。埋め立てた後に、岸沿いにたくさんの桜の樹が植えられている。
「今年も戎島の花見、やってんだろうな」
「ああ、マグロの指身で、一杯。たまらんだろうなぁ」
指身とは刺身の事である。京都吉田神社の『鈴鹿家記』応永六年(一三九九年)六月十日条に「指身、鯉、煎り酒、ワサビ」とあるのが刺身の初見だそうだ。
『煎り酒』とは、削り節、梅干し、酒、水、『溜まり』を合わせて煮詰めた調味料だという。生唾が出てきそうだ。
「ところで、マグロって、なんでマグロっていう名前なんだ」熊五郎が尋ねる。
「そりゃあ、海で泳いでいる時、真っ黒だから、まっくろ。それがなまってマグロになったんだろう」と、金太郎
「だって、マグロの指身は、あかいじゃねえか」
「なにいってんでぃ、切り身で泳ぐ魚がいるものか」
「なるほどな。じゃあ、ホウボウは、なんでホウボウなんだ」
「ホウボウって、冬が旬のあれか。あの魚は落ち着きの無いやつで、方々(ほうぼう)泳ぎ回っているからホウボウだ」
「じゃあ、コチは」
「ハゼの平たいやつだな。こっちへ泳いでくるからコチだ」
「むこうに泳いでいけば、ムコウなのか」
「そういうときは、お前が向こうに回れば、コチになる」
「ほんとかよ。それじゃあ、ヒラメは」
「平たいところに目があるからヒラメだ」
後ろを歩く米十とシンガが、にやにやと笑う。
「じゃあ、ウナギは」
「ウナギは、あるとき、鵜という鳥が飲み込もうとしたら、大きいので半分しか飲み込めず、困っていた」
「それで」
「その鵜の姿を見た鵜飼が、あんな大きなのを飲んで、鵜が難儀をしている、鵜が難儀、ウナギだ」
「ずいぶん苦しい話だな。じゃあ、蒲焼は」
「蒲焼か、そうだなあ、……。ありゃあ、初め『ば〇焼き』といっていたんだ。ウナギがニョロニョロしてバ〇みたいだからな。しかし〇カは失礼な話なので、ひっくり返してカバ焼になった」
「名前をひっくり返すやつがいるのか」
「ひっくり返さないと、焦げちまう」
「落とし話かよ」さすがの熊五郎もあきれる。
現地の案内人が立ち止まって、何か言う。シンガが翻訳する。
「ここが、クレブラ。一番高い所だ。ここからは下りになる。すぐに、ご飯を食べるくらいの時間で、チャグレスの川に出る。チャグレスは、向こう側の海に注いでいる」
“ここが最高点か、これまで登った高さは三十メートルもないだろう”、辿った道を思い出して、犬丸が思う。これならば、鉄道を通すのは簡単だ。
同時期の日本では疫病が流行り始めている。そのために、この年の七月には明応に改元されることになる。この物語では麻疹が流行った、としている。
途中の、熊五郎と金太郎の掛け合いは、古典落語『やかん』の一部です。




