戎島(えびすじま)
「おう、ここかい。片田商店」そういって、村上氏が入ってくる。
「いらっしゃいませ。でも、まだ準備中で商いはしていませんよ」片田に雇われた商人の一人、若狭屋五郎が言った。
「いいんだ。片田はいるか」
「村上さん、いらっしゃい」片田が答える。
「おう。国に帰るので、その前に場所を確かめておこうと思って寄ってみた。船着き場の前の、いいところじゃないか」
「ありがとうございます。帰られるんですか。そうですか。ここから能島までだと、どれくらいかかりますか」片田がいう。
「そうだなぁ。風によってさまざまだ。三日で着くこともあれば、七日以上かかることもある」
「途中で港に寄りますか」
「たいがい一か所か二か所は寄る。『室』や『鞆』あたりだな」
「もし、よろしければ、港の相場を調べて教えていただきたいのですが。お礼は出します」
「いいよ。手下にしらべさせよう。この船が能島についたあと、入れ替わりに塩魚を積んだ船が堺に来る予定だから、そいつに持たせよう」
「助かります」
「商人が相場を知りたいのはあたりまえだが。どうするつもりだ」
「以前、飯屋で食事をしていたとき、まわりの船乗りたちが、相場の話をよくしていました」
「そうだ。俺だって帰りがてら、どこかの港で高く売れそうであれば、帰り荷の一部を売るつもりだ」
「相場を多くの船から教えてもらい。この商店の壁に掲示します」
「そりゃあ、便利だろうな。俺も『室』で高く売れたと思ったら、そのあと『鞆』でもっと高く取引しているのを見てくやしい思いをしたことがある」
「そういう場所があれば、兵庫や尼崎よりも、堺に持ち込みたくなりませんか」
「たしかにそうだ。しかし、片田は金を払うばかりだろう、なにか得になるのか」
「船乗りたちに、彼らの船の名前を書いた紙を一枚渡します」
「紙」
「はい、それを持って、商店に仕入れに行ってもらいます。相手の商店にその紙を出して、絹何疋をいくらで売ったと書いてもらい、うちの商店に持ち帰ってもらいます。私は後日その商店に行き、売上の一厘(千分の一)をいただきます」
「船主は利があるから、やるだろうが、商店の方は書いてくれるかな」
「わかりません。いちおう堺の商店組合を通じ、各商店には話をとおしてもらっています。参加するかどうかは商店にまかせます」
「うまくいくかどうか、俺にはわからん。商人は利で動くものだ」
「いいのです。少なくとも、信用できる相手かどうか見分けることができるでしょう」
「それは、そうかもしれんな。それも重要なことだ。しかし高くつくな」
片田はとびの村での無担保融資で、良心を前提にした取引がうまくいくこともあるということを知っていた。取引は利益だけではない。
「調査費用は、銀貨一枚としようと思っていますが、今日はこれを調査のお礼として前払いで差し上げましょう」
そういって、片田は干しシイタケの入った一斗樽を村上に渡した。
「おお、これはいい。途中で売れるし、国の者が食べてみたいとも言っていたからな。遠慮なくもらうぞ」そういって村上義顕は樽を抱えて帰っていった。
自分の商店から出て、目の前の船着き場を眺める。接岸している船以外にも堺の沖に荷揚げ待ちの船がたくさん錨を降ろしている。しかし、よく見ると船が止まっていないところがある。片田の商店の岸から五十間(九十メートル)ほど先、百間四方ほどのところは、船が止まっていない。
「教えていただけますか、あのあたり、なぜ船が泊まっていないのでしょうか」
片田は通りすがりの船乗りに尋ねる。
「ああ、あそこか、あのあたりは浅瀬になっているんだ。大きな船は置けない」
潮が大きく引くときなどは、たしかにところどころ干上がっているようだった。
「おあつらえむきのところが、あるもんだな」片田は思った。
後に戎島となるところである。




