王宮へ
港湾管理官から、宿舎と倉庫が割り当てられた。船荷の一部を倉庫に納めた所で、日が暮れる。
イブラヒムという男から、夕食の招待が来た。管理官によると、シャーハ・バンダルという役職の男らしい。直訳すると『港の王』という意味だそうだ。港の商人組合の長だという。
水先案内人と通訳を伴って、イブラヒムの家に行く。
バターをふんだんに使った米料理と、香辛料を使った魚料理でもてなされた。食後には果物とコーヒーが出てくる。
「ところで、安宅丸殿は、明の東にある島国から来られたと、おっしゃっているが、それはワクワクのことなのか」イブラヒムが尋ねる。
「さて、我々は『日本』と呼んでいますが」
「では、ジパンともいうのではないかな」
「ジパンですか、ニホンと似ていますね。でもジパンという言い方をしている者はいないと思います」
「そうであるか。では、建物を金で塗っているというのは、本当のことか」
「わが国では木で家を建てます。寺の一部に金箔を張ることはありますが、住居に金を用いる者はおりませぬ。金はわが国でも貴重なものです」
「そうなのか」イブラヒムは残念そうだった。
ジパンとは、マルコ・ポーロのジパングの事だろう。また、ワクワクというのは倭国から来ているのかもしれない。
「まあ、ともかく、ニホンから来た船というのは、初めてじゃ。なので、私の方から、この港での商売の仕方について、いくつか注意点を指摘しておこう」
そういって、イスラム圏の港の作法について語り始めた。安宅丸にとっては、すでに知っていることが多かったが、一つだけ驚かされたことがある。
「難破船の漂流物は、所有主に返すことになっている」イブラヒムが言う。
「所有主にですか、どうやって返すのですか」
「取りに来るまで、国庫に保管しておくのだ。長持ちしないものは、売却して、その売上金を保存する」
「取りに来ない者もたくさんいるのではないですか」
「いる。しかしそれも国庫に保存している。まあ、戦にでもなったら、古い物は使うことになるかもしれないが」
確かに積み荷を納めた木箱や樽には所有主の署名がある。なので、バラバラになっていなければ持ち主を知ることができる。
マラッカでもそうだが、漂流物は国家の所有となることが多い。ところが、カレクトの港では保存しておいて、所有主が現れれば、持ち主に返す、というのだ。
それならば、所有者も船主も、カレクトを利用したくなるだろう。他の港との間の差別化といえる。
このことは、イブン・バットゥータの『三大陸周遊記』に書かれている。
今から五百年以上前のインド洋で、そんな道義的な事が通用したのだろうか。イスラム商圏では、商売の公正さが求められた。なので、このようなことがあったのかもしれない。
もう一つ、似たような例を出しておこう。『千夜一夜物語』のなかの、シンドバッドの第一の航海のところだ。
シンドバッドが多くの商品を仕入れて航海に出る。ある日、大洋の中で島を見つけ、上陸することにした。
ところが、その島は、実は大きな魚だった。魚が身動きを始めると、シンドバッド達は海に放り出されてしまい、乗ってきた船と離れ離れになってしまった。
かろうじて生き延びたシンドバッドが、幾つかの島を転々としていると、見慣れた船が現れる。彼が乗っていた船だった。船長に尋ねると、航海途中で溺れた商人の積荷があり、バグダッドの遺族に返すつもりでいるのだというではないか。
私こそが、その溺れた商人だ、とシンドバッドが言った。船長は、初めは疑っていたが、出港から遭難までの色々な出来事をシンドバッドが話し始めると、やがて彼の言うことを信じて、商品をシンドバッドに返した。
このシンドバッドの物語でも、遭難者の残していった商品は、遭難者の遺族に渡す、という考え方が現れている。
五百年以上昔のインド洋でも、今とそれほど変わらないようである。
話の最後に、イブラヒムが、明日王が接見してもよい、といっていることを安宅丸に伝える。そして、その時には私が同行しよう、そう言ってくれた。
翌朝、身なりを整えた安宅丸、通訳、水先案内人が、イブラヒムの館を訪ねる。安宅丸の背中には、風呂敷で包んだ板のようなものが結び付けられている。
館の脇に設けられた桟橋から、イブラヒムと共に小舟に乗った。小舟は長い舟に繋がれており、そちらには十人程の漕ぎ手が乗っていた。
漕ぎ手に引かれた舟が、海岸に沿って南北に流れる細い川に入り、南に向かう。この川は運河らしかった。両側の道や川岸は見物人で埋め尽くされ、こちらの方を向いて歓声を上げている。
しきりに手を振っている。手を伸ばしてくる者もいた。
好奇心の強い民だと言われていたが、これほどだとは思わなかった。
王宮が近づいたらしい。一行は上陸し、四人が担ぐ輿に載せられる。二本の棒の上に椅子が取り付けられたような輿だ。
視点が高くなり、正面の王宮が見える。
見物人が集まって来て、輿を担ぐ男達を囲む。見物人達の頭の上を歩いて、王宮まで行けそうだった。
王宮から楽隊が出て来て、彼等の周りを囲み、護衛した。
楽隊に守られて、宮殿の門に入る。しかし、雑踏は宮殿内部でも変わらなかった。さらに門をくぐり、中庭に出ると、さすがに人がいなくなった。
ここで輿を降りる。老僧が待っており、国王の居間に案内する。中庭の隅に、王宮内寺院の見習いと思われる小さな僧侶が十人程立って、彼らを見ていた。
中に入ると、国王が寝椅子に横たわっており、こちらを向いていた。




