カレクト港
西暦一四九〇年の十二月、インド洋の冬。片田がアメリカへの二回目の航海を準備しているころ、安宅丸はインド南西の沿岸にいた。
インド洋や東南アジアの貿易風は、太平洋や大西洋とは少し異なる。恐らく大きなユーラシア大陸が北半球に横たわっているためだと思う。私は気象の専門家ではないので、以下の話が気象学的に正しいかどうかわからないが、インド洋の貿易風の方向を簡単に覚える方法がある。
陸地は熱せられやすく、冷めやすい。それに対して海洋は熱くなりにくく、冷めにくい。なので、夏場はユーラシア大陸が高温になり、上昇気流が発生する。そのため、周囲の海では、ユーラシア大陸をめぐるように左回りの風が吹く。中心に低気圧があるかのように。
冬場は反対に大陸が低温になる。下降気流が発生し、大陸の周りに右回りの風が吹く。ちょうど高気圧の周りの風の流れに似ている。
安宅丸は、その東風に乗って、マラッカからインドに航海している。
「あれが、カレクトの港です」機帆船『川内』の艦尾楼で、水先案内人のマラッカ人マレモ・カナが安宅丸に向かって言った。
カレクトとは、インド南西部の都市である。現在はコジコード、ないしはコーリコードと呼ぶ。少し前までは英語名でカリカットと言っていた。
南西部の海に面した地帯をマラバール海岸と呼ぶが、その海岸に幾つかある貿易港の一つで、胡椒と米の産地だった。
胡椒の積出港であり、またアラビア海商圏とベンガル湾商圏の中継貿易港としても栄えていた。
商船が出入りすれば、港の使用料を支払っていく。これはイスラム商圏の法によるものだ。なので、多数の商船を引き寄せることが出来る港は栄えることになる。関税を設定していれば、それも収入になる。
港を有する王達も、商船の誘致に積極的だった。
「ここの港の『きまり』も、マラッカとほぼ同様です。港の外に停泊してはいけません。そのようなことをすると、海賊か軍隊ではないのか、と疑われます。船を港の桟橋に近づけて、役人が乗船してくるのを待ってください」マレモ・カナが言う。
「わかった」安宅丸が答え、これもマラッカ人の通訳のナヤルが仲立ちする。
「この船は珍しい形をしていますから、上陸したら大騒ぎになると思いますよ。ここの民は好奇心が強いですから、多数の群衆が集まって、我々を見物することになるでしょう」そう言って笑った。
確かに、ここに来るまでに見た船は中国や東南アジアのジャンク船か、アラビア海のダウ船ばかりだった。それに対して安宅丸の機帆船は、船の両側に水車のような外輪が付いている。
行き交う船の船員達が、幾度も『川内』を指さして、あれは何だというそぶりを見せてきた。
言われた通り、海岸線に幾つもある桟橋の手前で止まる。小舟が寄せて来て、四人の港湾管理官が乗船してきた。
最初に聞かれたのは、船がどこの国から来たのか、船名、船長の名前、寄港の目的と期間だった。安宅丸が目的は貿易だと答える。
安宅丸が、この後アフリカ沿岸まで行ってみたいので、商品を全て陸揚げするが、半分程売れた所で出航したいのだが、いいか、と尋ねる。管理官は、それで入港期間が短いのだな、と納得する。
次に聞かれたのは、積み荷の内訳だった。何を持ってきて売るのか、ということだ。安宅丸が積み荷一覧を書いた紙を渡し、管理官を連れて船倉を回る。
「なんだ、シイタケって」
「これが、シイタケだ」安宅丸がそういって、一つの桐箱を開けて、干しシイタケを見せる。
「これが、食べ物なのか」管理官がそう言って、椎茸のにおいを嗅いだ。
「ああ、そうだ。この港で好まれるかどうかわからないが」
「次の、ニョーソとかいうのは、なんだ」
「これが尿素だ」安宅丸が樽の栓を抜いて、中の白い粒を見せる。
「これは、何だ。食べ物か、それとも香料か何かか」
「いや、これは肥料というものだ。これを畑に撒くと、作物が良く育つ。米も野菜もたくさん採れるようになる」
「そういうものか」
「ああ、試してみて欲しい」
「次は、メガネか、何だ。メガネって」
「これだ」安宅丸が眼鏡を取り出して見せた。
「これは、ピアン・チヤンだな。売るのか、いくらで売るつもりなのか」管理官が言った。ピァンチァンとは、明人が眼鏡のことを呼ぶ名前だった。眼鏡箱の焼き印である『片田』を現地の呼び方で呼んでいた。インドでは、ちょっと発音が異なるようだ。
安宅丸が国内の売価を言う。
「そんなに安く売るのか。明の商人はその何十倍もの値段で売ってくるが。そうか、それでは、この土地の年寄りが、ずいぶんと喜ぶことだろう。よかろう、商品はこんなところか」
管理官は最後に中甲板と上甲板を回り、病人がいないことを確認して、入港と上陸、商売の許可を出した。
ペストや麻疹などの患者がいた場合には、港の沖で発病者がいなくなるまで停泊を続けなければならなかった。この時代でも伝染病が、人から人へと感染していることは知られていたらしい。
安宅丸の船には、ペストはおろか、マラリアの患者もいなかった。茸丸の抗マラリア薬のおかげだった。この薬は効果てきめんだった。
彼らは、薬をさずけてくれた民の名前を、その薬に名付けた。セマンと。
「それと、もし出来るのであれば、この地の国王に面会したいのだが。当商店の店主からの書状を預かってきている」安宅丸が申し出る。
「国王は貿易が栄えることを望んでいる。新たな土地から来た者が面会を望むのであれば、よろこんで会うであろう。なにか、王に対する贈り物を持ってきたか」
「ああ、金だ」そういって安宅丸が金の延べ板を、十枚程見せた。
「これは、王はさぞや、お喜びになることであろう」管理官が言った。四人の管理官が何か相談する。後で通訳に聞いたところ、我々が直接王に面会を奏上すれば、王の覚えがめでたくなるんじゃないか、と話し合っていたらしい。
片田商店が、シイタケや尿素を外国に輸出するとき、金銀との交換を条件にしていたので、国内には金銀が蓄積されていた。その大量の金の一部を片田から預かり、安宅丸が持参してきたのだった。




