ダイナマイト
『前掛け』の一部が消失してから、四か月程。片田がアメリカ大陸への二度目の航海から帰って来る。
石英丸と風丸が、片田に起きたことを話した。“濃硫酸と濃硝酸を混ぜた物を木綿の『前掛け』で拭った。それを囲炉裏の傍で乾かしていたら、前掛けの一部が消失するように爆発した”ということだな。
“つまり、『綿火薬』を偶然発見した、ということだな”片田が思った。
片田は、綿火薬を知っていた。その作り方もだ。綿火薬は黒色火薬より発煙が少ないので、戦闘に有利だったが、そこまですることはあるまい、と思っていた。なので綿火薬を石英丸達に教えていない。
「で、見つけた後、どうした」
「いや、危険だと思ったので、そこから先は調べていない。『じょん』の意見を聞こうと思ったんだ」石英丸が言った。
「それは、良かった。綿火薬はちゃんと作らないと危険なんだ」
「そうだったのか」
「ああ、例えば、綿火薬を作った後に酸が残ったり、繊維がダマになったりしていると劣化するし、金属粉末が混ざっていると、危険だ」
“さて、どうしたものか”、片田が考える。これ以上の研究を禁止することは出来る。危険すぎる物だ、といえば、この二人はそれ以上調べようとしないだろう。
しかし、一度知られてしまえば、いずれ誰かが試し始めるだろう。それより、安全な利用法を教える方がよいかもしれない。
パナマ湾では、人痘の種痘が成功した。この後、犬丸達はパナマ地峡を横断する鉄道を建設する予定だった。大西洋岸に出るためだ。
鉄道路線を開くには、困難な地形を開かなければならない。その時に爆薬が必要になるだろう。将来見つける予定の鉱山でも使える。
それと、戦争にも。
綿火薬やニトログリセリンを使用した戦争を、片田は自分の身で経験していた。しかし、科学も技術も、いずれ放っておいても進歩する。
「土木工事や、鉱山での採鉱に便利な爆発薬の作り方を教える。ダイナマイトというものだ」片田が言った。
三人が石英丸の研究室に行く。改装は済んでいた。
「グリセリンを持ってきてくれ」片田が言った。グリセリンはすでに油から作れるようになっている。大豆油から石鹸を作る時の副産物だった。
片田が、ほんのわずかの濃硫酸と濃硝酸を一定の割合で混ぜ、さらにグリセリンを加える。
出来た液体を研究室の隅にある金床にスポイトで一滴たらす。その液を片田が金槌で叩く。
ものすごい音がして、金槌が跳ね返り、金床の上に白い煙が拡がる。
「これをニトログリセリンという。見たとおり、衝撃や振動で、簡単に爆発する。このままでは危険すぎて、作業の現場などで使うことが出来ない」
「しかし、綿火薬にニトログリセリンを浸み込ませると、多少のことでは爆発しなくなり、安定する。一定期間保存することもできる。これをダイナマイトという」
「爆発するもの同士を合わせると、安定するのか」風丸が言った。
「そうだ、不思議に思うかもしれないが安定する。もちろん、火を点けたりすれば爆発するがな」
『火薬類』という言葉がある。法律用語、あるいは軍事や産業の用語だ。『火薬類取締法』という法律もある。『火薬類』は、さらに三種類に分かれる。
『火薬』、『爆薬』、『火工品』の三種類だ。
火薬も爆薬も爆発するが、その爆発が音速を越えない物が火薬で、黒色火薬や綿火薬は、火薬である。
一方爆薬は爆発が音速を越える。音速を越えてしまうと、周囲に衝撃波というものを作り、離れた所に強い力を及ぼすことになる。なので、音速を基準に火薬と爆薬が分けて考えられている。
航空機が音速を越えた時に、衝撃波が作られ、地表にある家の窓ガラスを割ることがある。
ニトログリセリンやTNTは爆薬だ。
最後の火工品は、火薬を使った様々な道具や機械のことだ。小さなものは雷管から、砲弾や爆弾、魚雷なども火工品と呼ばれる。身近なものでは、自動車のエアバッグを拡げる装置も火工品に含まれる。
淡路島の東に浮かぶ友ヶ島の西岸に、ダイナマイト工場が建設されることになる。
念のために書いておく。
綿火薬やニトログリセリン、ダイナマイトを作ってみようなどと思ってはならない。私の文章に従って、それらを作ったとしたら、まちがいなく火傷をすることになるだろう。あるいは命を失うかもしれない。
なぜならば、そのようなことを想定して、肝心なところを省略した書き方をしているからだ。混酸の比率を書いていない。綿火薬から酸を抜く方法も省いた。作ったダイナマイトには、安定した爆発をするための仕組みがあるのだが、それも書いていない。安全なダイナマイトの保管法も、有効期限も書かなかった。
実際には長年の経験で安全な製造法、保管法、使用法が定められていて、厳格に守られている。
なので、決して自作してはならない。




