宴(うたげ)
片田は目が覚めた。
サン・ホセ島の宿営地だった。何故だ、『神通』は一カ月はバリタ湾に停泊して、住民の様子を観察するはずではなかったのか。
床から起き上がろうとする。大丈夫だ。扉を開けると、子供がいた。シンガだった。
シンガが片田の方を向いて、叫んだ。
「『じょん』が起きたよ」
アメリカに来る航海では、片田さん、と呼んでいたシンガが、『じょん』と呼んだ。きっと犬丸のせいだ。
丸太小屋から数人の男達が出てくる。犬丸もいた。
「気が付いたのか、よかった」犬丸が言う。
「ああ、ありがとう。もう大丈夫のようだ。しかし、なんで島にいるんだ。バリタ湾で様子を見るのではなかったのか」
「『じょん』が意識を失ったので、帰ってくるしかなかった。三日も寝ていたんだぞ」
「三日もか」
「ああ、いま『那珂』がバリタ湾にいる、コクレの村の様子は毎日無線で報告してきているので、ここにいても把握できる」
「そうか、で、どうなのだ」
「まだ三日目だから、わからないが、村の様子に異変はないようだ」
「そうか、まだ三日だからな」
「ああ」
「私を向こうに……」
「いや、それはだめだな。しばらく様子を見た方がいい。ここには医者がいない、大事を取ったほうがいい。俺たちは一年間、ずっとそうしてきたんだ」
「だが」
「いくら『じょん』の言うことでも、駄目だ」
ここでは、犬丸が親分だ。片田は引き下がることにした。
五日が経ち、十日が経った。もし天然痘ウィルスが生きていたら、そろそろ村の様子に変化がみられるはずだ。しかし、『那珂』からの報告に変化はなかった。
片田は体力が戻ると、宿営地の建設に参加した。丸太小屋を作り、水源までの道を開く。なにかの作業をしている時は村のことを考えずにすむ。それに、労働できるほど回復していることを犬丸にアピールもできる。
数日後、犬丸が片田のところに来て言った。
「明日、『神通』が、『那珂』と交代するためにバリタ湾に行くのだが、『じょん』も乗って行かないか」
『神通』がバリタ湾に入る。村のあたりには、炊事の煙が立ち上っていた。『那珂』からの報告どおりだ。『神通』が『那珂』の隣に錨を降ろし、連絡艇が行き来した後に、『那珂』がサン・ホセ島に向かって去っていった。
毎朝、起きると船尾楼甲板に上がり、バリタ湾の奥に朝餉の煙を探す。その数が減ってないことに感謝する。片田は宗教らしい宗教を持っていなかったので、とりあえず八百萬の神々に感謝した。
二十日が過ぎ、二十五日が過ぎた。煙の数は減っていなかった。もう、潜伏期間をとうに過ぎただろう。
昨夜は満月だった。
『神通』から連絡艇を降ろす。艇にはいつもの交易品が載っている。現地の人々が艇に気付き、やはりいつものように浜にやって来て音楽と舞踏を始める。
連絡艇が砂浜に乗り上げ、交易品を祭壇に捧げると、音楽が激しくなる。全ての交易品が祭壇に供えられた。
海から来た人たちが舟に戻るだろう、みなそう思った。いままではそうだったからだ。
ところが今回、『海の人』は舟に戻らなかった。年長の男が祭壇から彼らの方に歩んでくる。一番たくさんの鳥の羽を身に着けた老人、これが長老なのか、の前にやって来て、右の手を差し出した。片田だった。
音楽が止む。
背の低い長老らしき男が片田の方を見る。すこしためらったのち、老人が片田の手を握った。
周囲の男達がヒューッという甲高い叫び声をあげた。そして音楽が再開する。
犬丸と二人の男達が連絡艇から上陸してくる。手に何か持っている。
三人が祭壇の所に持参した物を拡げる。握り飯だった。犬丸が一つ持ち、自分で食べて見せる。表面に塗った味噌の味がした。他の二人、熊五郎と金太郎も自分で食べて見せ、人々を呼び寄せるようなまねをする。
恐る恐る寄ってきた者達のなかで、もっとも勇敢な男が握り飯を受け取り、食べてみる。不思議な味だったが、旨い。
おそらく米も味噌も初めて食べたのだろうが、彼らが普段食べている物より、クセはないはずなので、大丈夫だろう。犬丸はそう思っていた。梅干しを入れるのは、止めておいた。
最初の男が旨そうなそぶりをするので、他の男達も手を出す。持ってきた握り飯が、あっというまに無くなってしまった。
片田が声を上げて、太陽の方を指さす。そして自分の指で丸印を作る。これが太陽だ、と言いたいらしい、そして反対側の腕を、自分の胸の前で水平にする。
指で作った丸印を西の方に降ろし、水平に伸ばした腕の下に落とす、少しして、反対の東の方から丸印を上げ、上を回って、同様に西のところ、腕の少し上で止めた。
『明日の夕方』という意味なのだろう。
自分の胸を親指で指し、人々の方を人差指で指して、そのまま下を指さす。そして、両腕を使って食べるそぶりをした。
『明日の夕方、また両者集まって、食べようではないか』
そう言いたいらしい。人々が頷いた。同意を表すしぐさが、これほど離れた地でも同じなのはおもしろい。
次の日、午前中から、連絡艇が砂浜と『神通』を行き来する。上陸を許されたのは、最初の年にサン・ホセ島に上陸した、犬丸の所の三十人だった。念のためだ。
それ以外に上陸したのは片田と、シンガの二人だけだ。
握り飯は『神通』の中で作った。浜には大鍋が持ち出され、味噌汁らしきものが作られた。汁の具には大量の干しシイタケが入れられた。『モヤシの浅漬け』や干し魚なんかも出してきた。暇そうな現地の人々が幾人か見物している。
陽が傾くと、人が集まってきた。それぞれに、トウモロコシと野菜を煮た物や、果物など、色々なものを持ってくる。片田達に食べさせようと思っているのだろう。男は酒が入ってると思われる甕を持ってくる。どこの国も同じである。
宴が始まり、両者ともに酒が入る。音楽が奏でられ、舞い踊る。犬丸の部下たちが、見様見真似で、珍妙な踊りを披露して、笑いを誘う。
「おい、熊五郎、米十を見てみろ、あいつ、こんなところでも、持てはやされてるみたいだぞ」金太郎が言った。そういわれた熊五郎が米十を探す。
「本当だ、あいつ、娘っ子に囲まれていやがる」
焚火から少し離れて、シンガが小さい男の子と話していた。
「これは、なんて言う」シンガが自分の目を指して言う。
「いくちょる」
「では、これは何だ」鼻を指さす。
「やかつぉる」
「これは」口を指す。
「かまく」
「じゃあ、これ」耳を指す。
「なかす」
「それじゃあ、次はね」シンガが片手を拡げて指を握り、指を一本ずつ立てながら、いち、に、さん、し、ご、と言った。
「これは」そういって指を一本立てた。
「せ」
二本指。
「おめ」
三本指。
「えい」
……




