接種(せっしゅ)
片田順の二度目のアメリカ行きだった。
サン・ホセ島の犬丸達は順調だった。片田の翡翠色の化粧品は現地の人々に大人気だった。サン・ホセ島の短波無線機から、大量の催促が来た。
今回の航海も『神通』『那珂』の二艦が担当し、新造の『ぱなま丸』が輸送船になった。パナマという言葉は現地の『魚が豊富』という言葉が語源らしいが、『ぱなま丸』のパナマは、片田が持ち込んだ地図に書かれていた地名から来ている。
三隻は無事サン・ホセ島に到着した。入り江に入ると幾つもの丸太作りの小屋が建っている。この一年で犬丸達が建設した物だろう。
サン・ホセで数日過ごしたのちに、西のパリタ湾に向けて『神通』が出航する。同湾のコクレで交易を行うためだ。
犬丸達は、現地の人達がわかりやすいように、満月の夜の次の日以降の、天候の良い日に交易をすることにしていた。
コクレというのは、犬丸達が現地の人々から聞いた村の名前だった。
この数日間、片田は満足に眠ることが出来なかった。いよいよ、アメリカ大陸の人々に種痘を行うのだ。万が一失敗した場合、その責任は片田にある。
片田が持ち込むのは天然痘ウィルスを加熱してエチルアルコールに漬けている。天然痘ウィルスは熱にもアルコールにも非常に弱いので、死滅している。化粧品には、その蛋白質だけが残っている。なので、片田が持ち込む翡翠色化粧品には天然痘を発症させる力はない。
不活化ワクチンというものだ。
しかし、片田は医師でも医学者でもなかった。“万が一”という不安と恐怖に苛まれる。バリタ湾までの航海では、睡眠不足のせいだろうか、ひどい船酔いになった。
「『じょん』、顔が蒼いよ。そんな顔で行ったら、向こうの人々が気味悪がるんじゃないか」犬丸が言った。
「いや、それでも、これは私がやらなければならないんだ。自分の責任だからな」そういったが、声に力が無い。
「そうか、そんならいいけど。そういえば、向こうに着くと驚くかもしれない」犬丸が謎のようなことを言う。
「驚くとは、どういうことだ」
「行けば、わかるよ」そういって笑う。
バリタの海岸が近づく。海岸に何かが立っていた。さらに近づくと、祭壇のようなものだった。高さが三メートル程ある棒を数本砂浜に突き立てている。
『神通』が連絡艇を降ろすと、砂浜に続く熱帯樹の茂みから人々が出てくる。それぞれ手に何かを持っているようだ。
人々は、波打ち際まで来ると、祭壇を囲み、踊り始める。太鼓のようなもの叩く、弓の弦を弾いて鳴らす。金属音がするな、と思ったら木の棒にいくつもの金属を取り付けて、ガチャガチャ鳴らしている。片田がよく見ると、彼の翡翠色の化粧品を入れた缶だった。
空き缶を楽器にしたのだろう。
彼らの後から、幾つもの袋を抱えた男達が続いてくる。交易品を持参してきたのだろう。連絡艇が接岸すると、彼等は祭壇を遠巻きにした。犬丸達から接触するな、と言われている。
片田が上陸すると、音楽が鳴りやむ。皆片田の方を見つめ、何人かが眼の下を横に撫でるそぶりをする。
よく見ると翡翠色が薄くなっていた。化粧品が足りないから、欲しいと言っているようだった。片田が頷く。そして連絡艇から化粧品を取り出し、祭壇に運ぶ。缶の一つを開けて、中の翡翠を自分の目の下に塗り付けた。
片田の両眼の下が、輝く翡翠色になる。それを見た浜辺の人々が歓声を上げる。再度音楽が始まった。もっとくれ、と言っているのだろう。
片田が次々と化粧品の缶を連絡艇から祭壇に移動する。祭壇の上の缶が増えていくたびに、彼らは熱狂し、音楽が大きくなる。
「手伝おうか」連絡艇に同行してきた犬丸が言う。
「いや、これは私がやる。手伝ってくれるのならば、化粧品以外のものを運んでくれ」犬丸達が釣針やナイフを祭壇に運んだが、これらは現地の人の興奮を呼ばないようだ。
“彼らは、これほど喜んでいるが、私の贈り物のなかに仕込んであるものを知ったら、どう思うだろう”そう思いながら、最後の化粧品を運び上げた。積みあがった品の前で、片田が大声で叫ぶ。
「今回の贈り物は、これですべてだ。受け取って欲しい」
そう言って、連絡艇に戻り、艇を岸から離す。それが合図だった。人々が祭壇に殺到し、それぞれ缶をあけて、自分の頬に翡翠を塗り込んだ。熱狂の踊りが始まる。
一時間程も踊り狂っていただろうか。
祭壇が片付けられ、彼らが持参した物が並べられ、下がっていく。
連絡艇が再接岸し、犬丸達が彼らの交易品を受け取る。乾燥したトウモロコシや豆、何かの種や燻製にした魚などだった。
犬丸はそれらをすべて艇に載せ、浜の方に向かって丁寧にお辞儀をして、岸から離れた。
片田は、彼らが乱舞している間に気絶していた。




