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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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明礬(みょうばん)

「これまでの国王は貧しかったために、臣下のしもべであった。ポルトガルのように、王の権力をばすには、どうしたらいい」ヘンリーが尋ねる。

 彼は昨年の『ボズワースの戦い』でリチャード三世に勝利して、国王ヘンリー七世になっていた。


一四八五年八月二十二日の戦いに勝利したヘンリーは、直後に八月二十一日に遡っての即位を宣言した。これにより、この戦いに参加した敵方はすべて王に対する反逆者になった。

 しかし、例えばリチャードによって、次の王位継承権者に指定されていたリンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポールは助命した。

 このことから、ヘンリー七世の性格が垣間見える。

 枠組みとしては強固なものを設けるが、むやみに権力を乱用することはなかった、と思われる。


 翌年の一月十八日には、ヨーク家のエリザベス・オブ・ヨークと結婚し、ランカスター家とヨーク家の融和を図る。

 

かねですな」ヘンリーの財務長官、ジョン・ダイナムが答えて、銀のカップから牛乳を飲んだ。

 この時代、水を直接飲むと病になると考えられていた。そのため男達は朝からエール(ホップが入っていないビール)を飲んでいた。

 一日に一英ガロン(四.五リットル)のエールを消費したという。ほとんど一日中酔っぱらっていることになる。


 しかしヘンリーとジョン・ダイナムは朝から酔うことを、よしとしていないらしい。二人はゆで卵とパンの朝食を牛乳で流し込んでいた。


「金か、金をどのように手に入れたらいい」ヘンリーがゆで卵を口に入れ、牛乳を飲む。

 ヘンリーはウェストミンスターに入城した直後に王室の財務状況を調べていた。惨憺さんたんたるありさまだった。

 ランカスターのメディチ銀行に対する借金については、これは私がした借金ではない、として踏み倒す。

同銀行ロンドン支店は、すでに一四七八年に閉店していて、借金はオランダのブルッヘ支店に移転されていた。


「貴族や教会の力を弱めるか、あるいは貿易でしょうな」とジョン・ダイナム。


「貴族か、二番目のリチャードのようには、なりたくないな」ヘンリーが丸く焼いたパンを手に取る。このパンは底の部分が切り取られていた。

 この時代にパンを焼くのは、以下のような方法がとられた。

 まず、石製のかまどのなかに木材などの燃料をいれて燃やす。

 竈が熱くなったところで、灰を取り出し、丸く整形したパン生地を入れる。この時代でもイーストは使っている。エールやビールを作るときに大量のイーストが出来るからだ。

 生地を入れたら、竈と扉の隙間にパン生地を詰める。この詰めた生地が乾いて下に落ちればパンの出来上がりだ。

 このようにして作るので、パンの底には燃料が燃えた灰が付いている。普通の民はこれを払って食べるが、貴族はその部分を切り落として食べる。

 なので、現代英語でも上流階級の人々を upper crust (パンの上皮)という。


 二番目のリチャードとはプランタジネット朝最後の王リチャード二世のことだ。貴族を弾圧する専制政治を行って廃位はいいされている。


「貴族の力を弱めるのは、時間がかかります。まず、貴族同士の婚姻に王の同意が必要だということにしましょう。婚姻と相続による大貴族化を防ぎます」ジョン・ダイナムが言う。

「わかった」

「それと、やっかいなのは彼らが持つ従者団リテイナです。彼らがいるため、貴族たちは不法なことでも実力で行うことが出来ます。しかし、これは後回しにしましょう」

 従者団とは、貴族が金銭で雇う傭兵のようなものである。貴族の定めた、そろいの制服を着て練り歩き、周囲を威嚇する

 二人が『揃い服禁止法』を出して従者団の保持を禁止するのは一五〇四年になる。


「それよりも前に、地方の裁判権を手に入れる方が先でしょう。治安判事(justice of the peace)を使うのがよいでしょう。彼らを育成し、その地位を上げるのです。そうすればやがて、従者団が無法なことをするのを押さえていくことが出来るでしょう」

 治安判事は王によって任命される。任命される者はジェントリー階級だった。つまり貴族より下の地主階級だった。彼らは地方で中央が定める法が守られていることを監視し、施行を促し、必要ならば罰することができた。無給であったが名誉職でもあった。

 つまり、貴族より下の階級を味方につけて、貴族の無法を押さえようとしているのだ。

 やがて、彼らは治安判事を地方統治の中軸にすえることになる。治安判事は『チューダー朝の創造物』と言われている。


「教会の方は、兵を持たないので、やろうと思えばできますが、かなりの覚悟が必要ですな」

「覚悟とは」

「教会に手をつければ、ローマ教皇が黙っていないでしょう」

破門はもんか」

「そうです。ポルトガルの王は、何度も破門されました。それでも持ちこたえるためには国民の支持と財力が必要です」

「ポルトガルはどうやって支持と財力を得たのだろう」

「彼らの場合には植民と開拓でした。イスラムの土地を奪って出来た国でしたから、容易にこれをできました」

「わが国では、それは出来ないな」

「そのとおりです。わが国では土地はすべて所有者が定まっています。貴族の没落や修道院の廃止でもないかぎり、空き地は出来ないでしょう」

 修道院の廃止とは物騒な話だが、やがて彼らはこれをやることになる。


「では、どうする」

「さしあたって、貿易により財を蓄えるのが早道ではないかと考えます」

「なにを貿易するんだ」

「アルムです」

「アルムとは、羊毛を染色するときに混ぜる、あれか」

「そうです」


 アルムとは明礬みょうばんの事だ。ヨーロッパ人は十字軍遠征で明礬を知った。日本人は、ナスの漬物の発色を良くするために使っている。

 ヨーロッパ人は羊毛を着色するときに、染料と一緒に加えると、染料の定着がよくなることから、媒染材として使用した。

 当初はエジプトやモロッコから明礬を輸入していた。現在のアフリカ中部、チャドのあたりが主要生産地だったらしい。消費地は羊毛生産が盛んなフランドル地方だ。ところが十四世紀にオスマン・トルコが成立すると、明礬輸出に高い関税を課したので、価格が高騰した。


 一四六一年、ローマのすぐ近くのトルファというところで、ジョバンニ・ド・カストロという名前の男が明礬鉱山を発見する。場所は当時の教皇領内部である。彼は名付け親である教皇ピウス二世に手紙を送る。余談だがピウス二世は小説や恋愛劇を二十四本も書いた、当時の人気作家でもあった。『なろう』教皇である。


 ジョバンニはピウス二世に、このような手紙を送った。

「今日、私はトルコ人に対する勝利をあなたにもたらします。彼らは毎年、羊毛を染める明礬の為にキリスト教徒から三十万ドゥカート以上をしぼり取っています。~しかし私は明礬が豊富にある七つの山を発見しました~」

 ドゥカートはベネチアの金貨で、金三.五グラムだというから、金1グラムを仮に一万円だとすると現在価格で三十万ドゥカートは百億円になる。


 ピウス二世は、すぐさまキリスト教徒のイスラム圏からの明礬輸入を禁止し、キリスト教圏内では高価格で彼の明礬を販売した。

 トルコ人の代わりに教皇が、毎年三十万ドゥカート以上をキリスト教徒から搾り取ることになっただけだった。


「ジェローム・フレスコバルディというフィレンツェ人商人がおります」

「フレスコバルディというと、あのタペストリーを贈ってきた者か」そういってヘンリーが壁に掛けたタペストリーを指さす。そこには彼の紋章が大きく描かれていた。

「そうです、そのジェロームがトルコの明礬を売ってもいい、と言って来ております」

「密輸になるではないか。教皇が禁じておる。誰に売るんだ」

「売るのではありません。国産の羊毛を、国内で染色し、ブルゴーニュに売るのです。官営かんえいの染色場を作ればいいでしょう」

 当時、ブリテン島でも大量の原羊毛を産出し、ブルゴーニュに販売していた。


「なるほど、ただ羊毛を売るのではなく、染色済みの羊毛を高く売る、ということだな」

「そうです。トルコは教皇より安くすると言っているそうです」

 現代の言葉で言えば、付加価値を付けてより多くの利益を得るということになるのだろうか。

 他人に明礬を売れば容易に足がつくが、官営の染色場で明礬を使用して、染色済み羊毛として売れば、密輸品を売却したことにはならない。


「それはいい、やろうではないか」ヘンリーがナプキンで手をぬぐった。


 なお、彼らが『アルム』と呼んだ明礬は『硫酸カリウムアルミニウム十二水和物』というものだそうだが、なんのことかよくわからない。ともかくアルムがアルミニウムの語源になったのだそうだ。


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