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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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ヨーロッパ(2)

 西ローマ帝国から胡椒をせしめた西ゴートは、その後五世紀には現在のフランス南部あたりに住み着く。彼らはイベリア半島にまで拡大した。

次の世紀に北方で勢力を伸ばしてきた同じゲルマンのフランク王国と争いになり、フランスの地を失い、西ゴートはイベリア半島の国になる。

これで落ち着くかと思われたが、二百年後の西暦七一一年に、アフリカ北岸を回ってきたイスラムのウマイヤ朝がイベリア半島に上陸する。

ヨーロッパの奥座敷で安穏あんのんとしていたものが、いきなり最前線になってしまった。

イスラムは、予言者ムハンマドがメッカからメディナに聖遷ヒジュラしてから百年余りで、アフガニスタンからジブラルタルにまで広がる大帝国を築いた。そんなイスラム軍にかなうはずもなかった。

西ゴートは七一八年に滅亡し、わずかに残った残党がイベリア半島北西部の山岳地帯にこもるだけになった。

この残党達が後のレオン王国、カスティーリャ王国、そしてスペインに繋がる。

そこから臥薪嘗胆がしんしょうたん八百年、片田達の時代にはアラゴンのフェルナンド、カスティーリャのイサベル、二人の夫婦が同盟を結び、イスラムをイベリア半島の南端、グラナダまで追い詰めることに成功している。

 アラゴンはピレネー山脈あたりを発祥はっしょうとする、カトリックの国家である。


彼らにとって、イスラムは憎んでも余りある敵であった。そんなイスラムから、高いカネを払って大好きな胡椒を買うのは納得できない。

なんとか、地球を西回りして、胡椒を買いに行けないだろうか。それがスペインの現在地である。

なお、この時までにスペインはガチガチのカトリック教国になっている。ユダヤ教徒の迫害、改宗、国外追放などがはじまっている。




 イベリア半島の北西にポルトガルという国がある。出自はスペインと同じ、西ゴートの残党だ。ポルトガルが賢かったのは、半島の北西隅を確保したあと、それ以上は領地を拡大しようとしなかったことだ。

なので、ポルトガルのイスラムに対する戦いは一二四九年に完了している。以降は、スペインにまかせっきりだった。

スペインが『再征服レコンキスタ』を完了するのは、一四九二年だから、それまでの二百四十三年間、知らん顔である。スペインがポルトガルおもしろく思わないのは当然だろう。

スペインがイスラムと戦争している間、ポルトガルは国を整備し、エンリケ航海王子などが、アフリカ西岸を探検する。

もっとも、当初のエンリケの頃ポルトガルはアジアの胡椒ではなく、アフリカ奥地の金や象牙の産地と、イスラムを経由せずに直接取引をしようと考えていたらしい。

 それでも一四九〇年までには、胡椒の呪いが復活するかのように、喜望峰を越えている。




 ゲルマン人の一派、フランクがローマ領内に入った時、彼等はローマの現地司令官であったユリアヌスと関係を築く。彼からブラバント地方(ベルギー、オランダ)を与えられ辺境守備の任務に就いたという。

ユリアヌスが皇帝になった後には、ローマの補助軍の任務を担い、除隊後はロワール川からセーヌ川にいたる地域、すなわちフランス北部に植民を許された。

彼らは西暦四五一年、西ローマ帝国最後の軍事遠征、『カタラウヌムの戦い』にも西ローマ側として従軍し、フン族を退却させている。

西ゴートよりは、うまく立ち回っているようだ。

この時のフランクのリーダーはメロヴィクという名前だったが、実在する人物かどうかは、わかっていない。彼の子といわれるキルデリク一世は、埋葬地が発見されていて、実在の人物だとされている。彼の時代に西ローマが滅びる。

キルデリクの子、クローヴィスがフランク王国の初代国王になる。クローヴィス一世である。

この男が傑物けつぶつで、東ゴート、ブルグントと同盟を結んだ上に、カトリックに改宗して基礎を固める。そうしておいて西ゴートをピレネー山脈の向こうに駆逐し、現在のフランスの基礎を作った。




 フランクはゲルマン人の中では最も成功した国だったが、まだ長子相続という習慣がなかったので、しきりに分裂しては、戦争し、条約を結ぶ。その過程を追うのは面倒だし、関心も無いだろう。

 西暦八四三年のヴェルダン条約、八七〇年のメルセン条約で、フランクがフランス(西フランク)、神聖ローマ帝国(東フランク)、イタリアに分かれた、とだけ書いておく。


 その後、フランスではカールの血統(カロリング朝)が途絶えると、カペー朝が立つ。当初弱体だったカペー朝は徐々に力を増し、十二世紀は『大開墾時代』とよばれ、人口が激増する。


一三二八年にカペー朝が断絶。ヴァロア朝が成立する。

 しかし、カペー朝の血を引くイングランドのエドワードがフランスの王位を主張して、『百年戦争』が始まる。一時は負けるのではないかと思うほどにやられていたのだが、『オルレアンの乙女』ジャンヌ・ダルクの出現で盛り返し、フランス本土を取り返す。

 フランスは終始イングランドの長槍兵部隊に歯がたたなかったのだが、戦争の末期には小銃や大砲を導入して、これを克服する。

 フランス人も、この時までにはガチガチのカトリックになっている。十字軍などという物騒ぶっそうなものを考え出したローマ教皇ウルバヌス二世からして、フランス人だ。

 はげ山しかないエルサレムを、『乳と蜜の流れる土地カナン』などと誇大広告して十字軍派遣を訴えている。ろくな者ではない。




 神聖ローマ帝国、というのが、また説明するのに厄介な帝国だ。十九世紀まで続くのだが、終わりのほうには『神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない』などと酷評こくひょうされる。

 この国が帝国と呼ばれるのは、そもそもフランクの王カール大帝たいていが西暦八〇〇年にローマ皇帝として、ローマ教皇から帝冠ていかんを受けたことに始まる。

 なぜ、帝国というかというと、東フランク(ドイツやオーストリア、スイスあたり)と、イタリア二つの国を統合しているから、帝国なのだそうだ。

 なまじ皇帝位こうていいがあるから、話が面倒になる。現に片田の時代になっても、この皇帝位を争って揉め事が起きることになる。

 ここでは、


 ・十九世紀まで続く帝国があって、皇帝がいたこと。

 ・片田達の時代には、スイス北部出身のハプスブルク家が皇帝位を持っていたこと。

 ・一四七七年、ハプスブルク家のマクシミリアンが、マリー・ド・ブルゴーニュと結婚する。二人の間の子、フィリップがブルゴーニュ地方を相続する。そのため同地がハプスブルク家の影響下に入る。

 ・マクシミリアンは後に神聖ローマ皇帝になる。 

 ・この時代のブルゴーニュはオランダ、ベルギーを含み、貿易で栄えていたこと。

 ・この時代のブルゴーニュはフランドル地方を含み、羊毛生産で栄えていたこと。

 ・一四九六年、フィリップがカスティーリャ女王フアナと結婚することにより、スペインもハプスブルク家の影響下に入る。スペインではフィリップはフェリペ一世と呼ばれる。


 ということを知っていればいいと思う。あと、この国はヨーロッパの東方への拡大を行っている。ドイツ騎士団などによる北方十字軍というやつだ。これで現在ヨーロッパと呼ばれる地域がほぼ完成する。

 本人達は良かれと思ってやっているのだろうが、現地の民にしてみれば、いい迷惑だった。




 イタリアはメルセン条約の後、どうなったのか。

 これが、情けない程にバラバラになっている。古代ローマ時代、イタリアのあたりは文明の中心だった。しかし西ローマの崩壊により、文明の接点になってしまった。

 まずは、東ローマとゲルマンの接点である。次いで、ゲルマンがフランスと神聖ローマになり、三重点になる。そこにイスラムが入ってくる。さらにはノルマン人が参入してシチリアを征服する。

 片田達の時代にはイベリア半島のアラゴンまで参入している。

 なので、国土はばらばらに細分化されていて、都市国家らしきものが乱立している。


 文明の接点は時に不幸になる。二十世紀のバルカン半島に不幸な事件が多発したのは、前世紀まで、この半島がヨーロッパとオスマントルコという二大文明の接点だったからだ。

 何世紀にもわたり、国境が移動し、征服したり、されたりしてきた。少数民族が利用されてきた。その後遺症がバルカン半島にあった。


 中世のイタリアでも、それが続いた。ヴェネツィア、ジェノバなどが交易で富を蓄えた。加えてイタリアにはローマ教会があった。全ヨーロッパから教会税が集まってくるところだ。やがて、ルネッサンスを起こすまでに栄えるが、統一国家を作ることは出来なかった。

片田達の時代のイタリアは、周辺の大国の草刈り場のようになっていた。




 最後に登場するのはイギリスだ。これでつまらない話は終わるので、あと少しお付き合い願いたい。

 わかっている範囲で、最も古くにブリタニアに住んでいたのはケルト系のブリトン人だった。その後古代ローマ人がやって来て、ハドリアヌスの長城ちょうじょうを築く。

 古代ローマが滅んだあとは、ゲルマン人のアングロ・サクソンが入ってくる。このとき、スコットランドとアイルランドはゲルマンに征服されなかったので、二つの地域はケルト的なものが残る。

 ケルト人がサクソンの侵攻を撃退するのが『アーサー王物語』である。


 次いで十一世紀にはヴァイキングがやってくる。最初はデンマークのクヌートが、ついで、ノルマンディーのギヨームが上陸する。

 ノルマンディーとはヴァイキングに悩まされた西フランク王国が、ノルマン人のロロに土地を与えて、防波堤にしようとしたものだ。現在のフランス北部、ドーバー海峡に面したあたりの一部だ。ヴァイキングの侵入ルートであるセーヌ河口を挟んで、東はディエップ、西はモン・サン・ミッシェルまでの海岸地帯がそれにあたる。

 ギヨームは七代目ノルマンディー公だ。ギヨームの征服は成功し、一〇六六年、彼はイングランド王、ウィリアム一世になる。

 フランス王の家臣がイングランド王になってしまった。

 加えてやっかいなことには、ノルマン朝に男子がいなくなり、フランスのアンジュー伯を迎えてプランタジネット朝が出来た。

 アンジュー伯はフランスの有力な貴族で、フランス王よりも多くの領地をフランス内に持っていた。


 フランスのところで簡単に話をしたが、フランスのカペー朝の血統が一三二八年に、シャルル四世の死によって途絶えてしまう。そこでフランスはシャルル四世の従兄弟いとこだったヴァロワ伯フィリップに継承された。ヴァロワ朝の始まりである。

 ところが、これにイングランドのエドワード三世が、待ったをかける。なぜならば、彼女の母イサベルがシャルル四世の妹だったからだ。

 二人の父はカペー朝十一代の王、フィリップ四世だった。エドワードはその孫だから、フランス王位継承権があるんだ、と主張した。


 そして、一三三七年に『百年戦争』がはじまる。これは一四五三年まで続いてフランスが勝利する。

 もちろん、百年戦争といっても、百年連続して戦闘を行っていたわけではないが、さぞや疲弊したことであろう。フランスはジェノバから、イギリスはヴェネツィアから借金したというが、返済できたとは思えない。


 イングランド王のフランス内領土は無くなった。


 先祖伝来の領土を減らしたのは誰の責任だ、ということになった。イングランド内で責任の押し付け合いが始まる。一四五五年にヨーク公リチャードが、ランカスター朝の王ヘンリー六世に反旗をひるがえして『薔薇戦争ばらせんそう』が始まる。

 『百年戦争』終戦の二年後である。まことにりない人たちである。


 ランカスターの紋章が赤薔薇、ヨークの紋章が白薔薇だったので、『薔薇戦争』と呼ばれることになった。名前は優雅だが、かなりひどい戦争だったらしい。

 戦争は三十年続き、一四八五年にランカスター派のヘンリー・チューダーがボズワースの戦いでリチャード三世を破り、ヘンリー七世として即位したことで、終戦となる。

 そのあたりのことは、プロローグで書いた。


 この時期のイギリスは、百三十年も戦争が続き、国庫は払底ふっていしていた。貿易に出るにしても船も、船を守る軍船もない。元手もとですらない。

 フィレンツェに本店があるメディチ銀行の、ロンドン支店がランカスター家にも、ヨーク家にも融資していた。ヨーク家に貸した金は、おそらく全額返ってこなかっただろう。ランカスターも怪しいものだ。

そしてメディチ銀行が傾き、没落してしまう。

自身が素寒貧すかんぴんになっただけではなく、支援者も丸裸にしてしまった。

 ヨーロッパの最貧国になったといってもいい。どうして、ここまでやり続けたのか。


 薔薇戦争の後、ヘンリー七世は国の再建を図る。財政を立て直し、内政を整備し、外交に努力する。外交の一環として、スペインとの婚姻を試みる。彼の息子、皇太子アーサーとスペインのカタリーナ(キャサリン)の縁組を申し出る。

 カタリーナはアラゴンのフェルナンド二世とカスティーリャのイサベルの娘である。

 後に、イングランドでは『アラゴンのキャサリン』と呼ばれる。

 アーサーは早世してしまうので、その弟のヘンリーが、キャサリンと結婚する。このヘンリーがヘンリー八世であり、その娘がエリザベス一世である。

 この女王の元、イギリスは当時の先進国の一つになる。


物語の本筋でもないところに、予想以上の労力がかかってしまいました。

乱筆乱文、誤字脱字、ひどいことになっているかもしれません、申し訳ない。

何で、延々とこんなことを書いているかというと、これから物語にはイギリス、スペイン、フランス、イタリアという国々が登場します。

 当時のそれら国々は、現在私たちが知っている、同名の現代の国とは似ても似つかぬ国です。考え方も異なります。なので、それらを手っ取り早く紹介しようと思ったのでした。


来週からは本筋に戻ります。


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