金(きん)の隠し場所
十市の城が義就たちに囲まれたこの年、幕府が造建仁寺勧進船を朝鮮に派遣することになっていた。そのため、干しシイタケと眼鏡の相場が上がっていた。
十市城の戦いの後、畠山義就は筒井城を確保したまま河内に帰っていた。大和は手強いと感じた彼は、次の目標を木津と石清水八幡にしている、というのが世間の噂だった。
「入札の一番は、河内屋の四郎さんだね。八升四合だ」
商人たちの、歓声や罵声が響く。
「次は堺の琉球組合だ、八升六合」
ここは片田村の干しシイタケ市場だ。片田の作った銀貨と干しシイタケの取引が行われている。当初この市場では銀貨一枚と干しシイタケ一斗を交換していた。
ところが、その方法では作った銀貨がすべて戻ってきてしまうことになってしまった。
そこで、入札にすることにした。銀貨は分割できないので、銀貨一枚と交換できる量の方を入札することにした。量が少ない程買う側には損になるが、供給できる干しシイタケに限界があることは商人達も知っていたので、この方法でも彼らは集まってきた。
加えて、銀貨が市中に流通するきっかけにもなった。あまりにシイタケ相場が高いときには、他のものに交換したほうが利益になるからだ。
片田の鋳造した銀貨は片田銀と呼ばれるようになった。
持ち込まれるのは片田銀だけではない。明の銀貨や、粒金、砂金なども持ち込まれた。琉球商人や、西国大名がよく持ってくる。
明の銀貨は、重さが不定であったので、一つ一つ計量しなければならない。硬貨ですらない金は計量が大変であった。不純物が混ざっているので、比重も量らなければならならず、銀などが混じっている場合には融かして分離する作業も必要だった。
中国大陸では、同一重量の金と銀の価格比平均は十対一程度だが、時期によってその比は大きく異なる。片田がいる時期は、金が異常な安値になっており、二対一だった。
明が発行する紙幣の信用が下がっており、大陸の市場で銀貨の需要が高まったためかもしれない。片田のいる日本では、この時期五対一程度である。
「金は保存しておこうと思う」片田が言った。彼は、戦国時代に大名が金銀山を開発した結果、金銀の価格比が十対一以上になることを知っていた。
「将来なにかあったときのために、金は蓄えておくことにする。問題はどうやって秘密に保存するかだ」
片田の前には、ふう、犬丸、石英丸、茸丸の四人が座っていた。
「甕にいれて、埋めておいたらどうだろう。じゅんの部屋の下に穴を掘って」茸丸がいった。
「そこ、攻めてきたやつらが、一番に探しそうなところだろ」石英丸が言う。
「肥溜めの底に隠したら。金隠し」犬丸が言う。彼は十一歳になっている。
「おもしろいけど、とりだすの、めんどくさそうだな」茸丸が言う。
「肥溜めの下、ならばいいかもしれないが、工事するとき人目を集めるだろうな」石英丸も言う。
「とりだしやすくって、誰もがそんなところにあると思わないところがいいってことね」ふうが言う。
「そうだ。だけどそういうところほど思いつかないものだ」片田が言う。
「そうねぇ」
「さっきの茸丸のだと、身近なところ、と土に埋める、というのが、誰でも考えそうってことよね。身から離れていて、地中でもないところがいいって、ことかしら」ふうが考え込むように言う。
「それは候補の一つだな」石英丸が言う。
「いっぱいある、ありふれている、うんざりしている、別の目的であることがあきらか、なんかも候補だな。犬丸、なんかあるか」茸丸が候補を列挙する。
「そりゃあ、あれだ。保存食の壺だな。もううんざりだ」犬丸が言った。犬丸達は保存食用の壺を大量に作っていた。
「確かにな。あれはうんざりだ」茸丸が片田の方をうらめしそうにみる。彼らはもう千以上の壺に雑穀せんべいを詰め、密封して、山城に運んでいた。この後に来る大飢饉を知らないから、うんざりするのも無理はない。
「それだ」石英丸が言った。
「なに」四人が答える。
「壺の底に、粒金や砂金を少しずつ埋めよう。ろくろで壺を作った後、乾燥する前にやるんだ。柔らかいから、簡単にできる。埋めて粘土を張るだけだから、この四人だけでも簡単にできる。秘密も守れる」
「そうか、非常食だから城の蔵に入っていてあたりまえだもんな。でもそれは食料として保存していると皆が考える」
「仮に中の食糧が必要になっても、壺の方には見向きもしないはずよ」
「砂金を入れた壺に目印をつけなきゃいけないな。口のところに刻みをいれるとか」
「蔵のなかの壺を並べ替えよう。一番奥の方にしまっておかないと」
壺の底に金を隠すことに決まった。




