セマン
島の船着き場が近づく。丸木と板で作られた簡単な物だ。子供達らしき人々が船着き場に集まっていた。やはり安宅丸達が来ることは知られていたらしい。
舟が近づいた。子供ではなかった。皆身長一メートル程度だったが、髭を長く伸ばしている者がいる。これが『小さな人』なのか、安宅丸が思う。
バタックの漁師が舫い綱を投げると、それを拾い、船を引き寄せてくれた。
安宅丸とシンガが上陸する。皆同じような身長だったが、よく見ると、少し小さい者もいる。これが子供なのだろうか。杖を持ち、髭を長く伸ばした男が前に進み出て来た。
「よく来た。カタダの衆よ」その男は海岸地方の言葉で語りかけた。シンガにも理解できる。
安宅丸が驚く。
「『じょん』をご存じなのですか」
「会ったことはないが、知っておる。北の方角では、もっとも目立つ男だからな。今は、……東の方にいっておるようじゃが」
“セマン様は、なんでも知っておられる。遠くの事もわかるのじゃ”とバタックの長老が言っていたのは、こういうことか。安宅丸が思った。
「わしは、ヌサ・ニパ。セマンの長じゃ」
二人が船着き場の奥にある祭壇にいざなわれる。その前に立ち、ヌサ・ニパがこちらを向き、瞑想する。
「西から、白い人が攻めてくる、というのか」
「えっ、なんでわかるのですか」安宅丸が言う。
「黙っておるが良い」
「さてと、西と言えば、ムスリム達のことしか感じたことは無いが。白い人達とは、ムスリムより遠い所からやってくるのか、少し待っておれ」
ヌサ・ニパが西を向き、目を閉じる。
「荒々しい民じゃの。自らの力で羅馬を滅ぼしたはよいが、以来一千年も海賊やムスリムと闘い続けて来た者達じゃな。その男達が黒い人々が住む大地を回って来る、というのか」
「そして、火を噴く船を駆って、各地に要塞を築く」
「王を殺し、民を奴隷にする。奴隷が死ねば、黒い人を連れてくる。なるほど」
「で、それを押しとどめよう、というのだな。カタダが」
安宅丸が頷く。
「押しとどめて、どうする」ヌサ・ニパが安宅丸の方を向いて尋ねた。
「それは、わかりません」
「そうか、まあ、よかろう。で、アヌマの束を持ち帰れといわれておるのじゃな」
「その、ヨモギ湯の元になる草を持ち帰れ、と言われています」
「アヌマを煎じてヨモギ湯をつくるのじゃ。用意してあるので、持っていくが良い」
「ありがとうございます」
「アヌマの種も与える。持って帰って栽培するがよい」
「種もいただけるのですか」
この時代でも、種を与えるというのは、余程のことだと思っていい。マラッカのワディナ婆の教団も、乾燥した葉を提供されているだけだった。
「お前たちの仕事に必要であろう。これから、西の海、東の海に出ていかなければならないのだからな。これでよいのならば、帰るがよい」
安宅丸とシンガが深く頭を下げたまま、退いた。
『アヌマ』とはヨモギの一種でアジア原産の植物だ。日本にも薬草として渡来したものが野生化していて、『クソニンジン』という残念な和名がつけられている。
名前は残念だが、なかなかすごい植物である。
中国の屠呦呦という医学者が、この『クソニンジン』から抗マラリア薬であるアルテミシニンを分離・発見している。
マラリアの治療薬としては、キニーネが有名だ。キニーネは南米アンデス山脈に自生するキナノキの樹皮から採れる。当時の南米にはマラリアがなかったとされているのに、何故キナノキがマラリア原虫に対する毒性物質を持っていたのか、謎である。
キニーネは十七世紀に発見され、以後帝国主義から世界大戦、ベトナム戦争くらいまで使用された。熱帯地方で軍を運用する際に必須の薬品だった。
必須の薬品ではあったが、副作用もひどかったらしい、胃腸障害、視神経障害、血液障害、腎障害、頭痛、嘔吐、下痢、腹痛、精神症状、不安、興奮、錯乱、 譫妄、等々、キニーネを飲んだことがないから、何とも言えないが、マラリアで死ぬよりは、いくぶんかまし、というありさまだ。
それに対して、屠呦呦が発見したアルテミシニンには、これほどの副作用はない。アルテミシニンを用いた試薬、『Artemix-M60』の製品情報によると、『アルテミシニン及び誘導体の副作用は極めて軽微で毒性はビタミンC以下と報告されている。』、だそうだ。
アルテミシニンは、キニーネ等の従来の抗マラリア薬にとって代わることになり、多くの命を救う。
屠呦呦はアルテミシニン発見の功績で二〇一五年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
『ヌサ・ニパ』は『フローレス人』化石が出土した『フローレス島』の現地名からいただきました。




