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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
359/611

前檣(フォア・マスト)

 操帆長そうはんちょうと犬丸が船首楼せんしゅろうにたどり着く。天井の穴から前檣ぜんしょうが見える。

 二人が様子をうかがう。艦が波の底を過ぎた直後に、天井の穴から海水が降り注ぐ、波の斜面を登って、頂上に至り、また底に向かう間は、海水が落ちてこない。

「やれそうですね」操帆長が言った。

「次の波底を過ぎたら、私が動滑車の所まで登ります。私が鉤縄かぎなわを固定したら、犬丸様も来てください」

「わかった」

 操帆長が定滑車に足を掛け、船首楼上に顔を出す。そして動滑車に鉤を掛ける。

「いいですよ」

 犬丸も定滑車の上にあがる。

「じゃあ、私が舷側に行きます」鉤縄の反対側を十字帯に繋げながら、操帆長が言い、犬丸がうなずく。


 操帆長が両腕で体を持ち上げ、甲板の上に体を移動させた。立ち上がり、右舷の舷側に駆け寄る。

 肩から最後の鉤縄を解き、舷側格子の間に伸ばす。

 冷たい風で指が麻痺したようになり、格子の向こう側に回した縄をうまくつかめなかったが、なんとか鉤をつかみ、手繰たぐり寄せる。

 格子を背にして尻をつき、鉤縄を腹のところに回して二重に縛った。操帆長が左手、艦尾の方を見る。艦が波の底を打っていた。艦が風に対して傾いているので波は右舷艦尾より押し寄せてくる。


 来るぞ、そう思った時には海中にいた。体が沈むような感じがした後に、再び大気中に出る。

“恐ろしく冷たい”そう思いながら鉤縄を解いて立ち上がる。


 帯から手斧ておのを抜いて、左手に持ち、一本目のシュラウドにたたきつけた。二度、三度、それでロープが切れた。ロープが舷側の板に触れているところを狙ったので、少し木片が飛んだ。

 二本目にかかる、そして三本目。

「操帆長、波が来るぞ」犬丸が叫んだ。


 ふたたび甲板に尻をつき、鉤縄を巻く。それを繰り返した。全部で八本あるシュラウドの六本目まで切った。三度みたび立ち上がる。

 その時、切断された部分のシュラウドが風にあおられて、操帆長をなぎ倒した。まだ甲板が傾いていたので、操帆長が船首楼前部に向かって倒れる。

「あっ、大丈夫か」犬丸が叫ぶ。


 操帆長は横たわったままだった。転倒したときに気絶したらしい。犬丸が船首楼に登った。

 操帆長の両足首を掴み、頭を甲板の穴の所に持っていく。そのまま胴体を押して、意識のない操帆長を下の階に落とした。

 彼は頭から階下に落ちただろうが、いましてやれることは、それが精一杯だった。次の波が来る。下に降りている暇はなさそうだ。

 右舷に残された鉤縄に飛びつき、それを胴に回そうとしたが、体が前に進まない。なぜだ、と思って振り返ると、操帆長との間に結ばれた鉤縄がピンと張っていた。


 犬丸が大量の海水を浴びる。氷なのではないかと思う冷たさだった。


 操帆長との鉤縄のおかげで、船首楼から振り落とされることはなかった。海水が引いた後で、操帆長との間を繋いでいる鉤縄を外す。

 帯にさしていた手斧を抜いて、風上の艦尾側からシュラウドに近づく。一本、二本、それでシュラウドが空にはじけ飛んでいった。

 頭上で木が引き裂かれるような音がする。檣が倒れるな、そう思った。右舷舷側の鉤縄に飛びつき、それを胴に回した。犬丸の前方、左舷側に檣が逆さまに倒れる。


 再度、波が船首楼を洗う。その海水が去った後には、左舷の檣は無かった。流されていったのだろう。

犬丸が階下に降りる。

 操帆長が横たわっていた。呼吸を確かめる。大丈夫だった、息をしている。




 艦尾楼に立つ金口かなぐち三郎艦長の見る前で、前檣フォア・マストが左に倒れるのが見えた。艦がゆっくりと右回転を始める。

 また、繰り返しだ。艦が波に腹を見せている間、なんとか転覆しないことを願う。この回り具合だと、四回か、五回、『神通じんつう』は横波に耐えなければならないだろう。

舵手だしゅ、艦内に伝言だ。横波にそなえよ」艦長が階下で操舵する舵手に叫ぶ。


 右舷から、大きな波が艦に覆いかぶさり、甲板を洗う。左舷が急速に下がり、三郎には甲板が、ほぼ垂直になったような気がした。

 波の頂点を過ぎると、今度は右舷側が奈落ならくの底に落ちる。自分が正気でいるのか、どうなのか、不安になってくる。そして波の底で、また海水にぶち当たる。



 艦首が、波の線を越して、風上側に向き始めた。横揺れがだんだん少なくなり、ついに縦揺れになった。


 嵐に入った時には東風だったが、いつの間にか南の風に変わっていた。低気圧中心のまわりを半分以上回り、寒冷前線の南側に出たのだろう。


 気づかぬうちに、時刻は正午を越えていた。雲間から太陽が見え始める。

 波も目立って弱くなってきた。



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