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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順
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十市城の戦い 1

 年が明けてひと月ほど過ぎたころ、河内の畠山義就が、室町将軍の命を受けたとして、再び大和に進軍した。今回の相手は十市であった。義就の軍は騎馬二百騎に兵二千、越智、古市などの大和国人が兵千五百の規模であった。対する十市は兵五百程度に過ぎず、籠城戦になると考えられた。


 片田の時代と、この時代とでは、兵の運用が異なる。片田の時代には散兵さんぺいといって、兵士は、分散して進出ないし戦闘を行う。それに対してこの時代の兵は密集した陣を作り、戦闘時にも集団で運動する。

 この差は銃砲の発達によるものだ。精密な射撃が行える銃砲が普及したことにより、集団戦法では、短時間で大きな被害を受ける可能性がでてきた。そのため兵を戦場に分散することになった

 十市播磨守は、片田の提案で、一部散兵戦を仕掛けることにした。


 十市の散兵線は、まず曽我川、高取川の線に置かれた。川の向こう側には単騎の斥候が何名か送られた。

 斥候は、乾いた田の間の街道を走り、義就たちの軍を発見すると、その方向に向けて火箭かせんを放った。この火箭は大型のロケット花火であり、多くの白い煙を吐き出して空を飛ぶ。十市の散兵からみると、火箭の落ちていく方向に敵軍がいる、という合図になる。義就たちの兵から見ると、見慣れないものが向かってくるのは、いつもの合戦とは勝手が異なり不安になる。


挿絵(By みてみん)


「義就の軍は、伊勢街道を東に進み、曽我川を渡るつもりらしい」火箭の飛ぶ方角を見た十市の武将が言った。

 その橋の向こうには高田の城がある。高田氏は籠城している。付近にいた十市の散兵たちが、橋のたもとに集まる。

 義就軍が橋を渡り始めると、十市の兵が弓やスリングで攻撃を開始する。義就軍は行軍を停止し、橋の手前で構える。十市の兵は木の裏や、枯れた草むらのなかに潜んでいるので、相手には兵力がわからない。

 何度か、橋を渡ろうとするが、そのたびに矢や石、破裂弾が飛んできて、退いた。大きな軍とは鈍重なもので、これだけで一刻程が費やされた。

 破裂弾とは、竹筒のなかに小石と黒色火薬を詰め、導火線に火を点けてスリングで飛ばすものだ。

「もういいだろう、次の飛鳥川の線に撤退しよう」

 そういって、十市の兵は、次の散兵線に向かって撤退した。


 十市城の櫓から見ると、一面平坦な大和盆地の向こうに急角度で屹立する金剛山地が見える。その手前、高田のあたりで時折火箭の白い弧があがる。

「まだ曽我川のあたりにいるようですね」石英丸せきえいまるが片田に言う。

「そのようだな」

「望遠鏡を使うと、畠山の兵が見えます」そういって片田に望遠鏡を渡す。石英丸が、長焦点と短焦点の凸レンズを組み合わせた望遠鏡を片田に渡す。

「兵は二千程度かな。思ったより少ない数だ。騎兵も、二百騎程度連れてきたか」

片田は視線を南の方に変える。越智の兵はまだ見えない。


 十市の城の防衛線は三方を川に囲まれている、ほぼ正方形の土地だ。南と西は寺川という川が流れる。北側は、名前の付いていない川だ。東側は開いており、とびの村あたりまで田が続く。川に面した三方は、土塁を築いている。東側は、土と板で即席の胸壁を築き、その外側に二重の柵を設けた。

 目を下に移す。四方に向けて多数の臼砲が置かれている。土塁で囲まれ、屋根に覆われたところは火薬庫だ。片手で持てる程度の大きさの麻袋の中に、アンモニアから作った硝石、硫黄、木炭を混ぜた黒色火薬を入れてある。外に積まれている大きい袋は大小の石を詰めた袋だった。臼砲の脇には、それぞれ、いくつかの水桶と、竹ササラが置かれている。


 片田達がいる櫓は、北面から西を回って南面まで七つばかり立っている。臼砲射撃の着弾観測に使われる。


 飛鳥川の散兵線。ここの東側は矢木の市中になるため、十市の兵にとって有利であった。市の建物が遮蔽物として使えた。伊勢街道が飛鳥川をまたぐ橋のたもとでの戦闘は激しいものになった。義就軍からは多数の矢が、十市側からは、矢、石、破裂弾が飛んでいた。騎馬の斥候兵が、義就軍の後方から長いスリングで破裂弾を放り込んでは、離脱した。

 義就軍は矢木の橋から渡河することをあきらめ、北方に移動した。これで、義就軍は十市城の西面に布陣することになるであろう。


 越智軍は、南方の貝吹山城から出発した千の兵であった。騎馬はつれていない。矢木の市の正面まできたところで、義就軍が十市の散兵に苦しんでいるのを見て、これを迂回することにした。斥候など展開していた者達をまとめ、右に折れ、一丸となって矢木の市の東側をすばやく迂回し、耳成山みみなしやまの西側を抜け、十市城の南面に布陣した。


 十市城の北面には古市の兵五百が布陣した。これで十市城は三面が囲まれたことになる。明朝から戦闘が始まることになるだろう。


挿絵(By みてみん)


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