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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
347/617

人痘(じんとう)

「そんな、恐ろしい事、出来るわけないでしょう」『いと』が言った。電球に照らされた顔が青ざめている。冬なのに、部屋の窓はすべて開かれていた。


 堺の片田商店一階の会議室だった。『いと』は鉄道の駅から、まっすぐに商店にやって来ていた。

 その『いと』に対して、片田順と茜丸あかねまる人痘じんとうの話をした。


 天然痘感染者の肌にできた瘡蓋かさぶたを採り、荏胡麻油えごまあぶらで練り込んで、健常者の肌に塗りつける、乱暴に言えばそういったことを人痘という。

瘡蓋を粉末にして、鼻から吸い込ませる、という方法もある。


「そんなことしたら、健康な子供まで、みんな天然痘になってしまうでしょう」

「天然痘にならないように、極少量を与えると、人間の抵抗力の方がまさって、体に免疫めんえきができる」

「それは、頭ではそうだとわかっているわ、でも量を間違えることもあるでしょう」


『いと』たちも、子供の頃に、病気の原因、細菌、ウィルス、免疫などの基本を片田から習っていた。それでも、おいそれとは決断できなかった。


ミンの医学書には、八千から九千人に人痘を行い、救えなかったのは二十から三十人程だとあります」茜丸が言う。

「つまり、千人に種痘を行って、失敗したのは二人から四人に過ぎないということです」

「でも、本当にうまくいくかどうか、誰にもわからないわ」

「では、何もしない方がいい、と思われますか」茜丸が尋ねる。『いと』は片田村の村長だ。村長の意向を無視して、人痘を行うことは出来ない。

「そうは、いわないけれど」


「以前に片田村で天然痘が流行はやったのは、いつだった」片田が石英丸せきえいまるに尋ねる。

「十七年前だ。ちょうど『じょん』が失踪した年の冬だった」当時村長だった石英丸が答える。

「当時の記録を見てみた。片田村の人口が約四万人で、その四割、約一万六千人が十五歳未満だった」

「それで、結果は」

「十五歳未満の三分の一、五千人程がくなった、何もできず、くやしかったのを覚えている」


「今の片田村の人口は、どれほどだ」片田が『いと』に尋ねる。

「ずいぶんと増えているわ、今六万人程よ。そして、その半分が十五歳未満の元服前ね」

「ということは、十七年前と同じように流行すると、三万人の三分の一として、一万人が死亡することになる」

「今回は一万人も、子供達が死ぬというの」

「前回と同様だったら、そうなるかもしれない」


「そこで、以前片田さんから人痘の話で相談を受けた時から考えていたのです」茜丸が言った。先ほどの『いと』の叫びで中断された話をつづけた。


「この人痘と言う方法は、人間の体に備わっている免疫めんえきというものを利用しています。体に害をなす病原体が入ってきたとき、人間の体はそれをやっつける抗体こうたいを作ります。ただその抗体を作るのに時間がかかってしまうのです」

「なので、あらかじめ、病気にならない程度に、ちょっと病原体を体に入れれば、免疫が出来るということよね。それは分かっているわ」『いと』が続ける。


「そうです、ここで少し話がそれますが、タマゴの話をさせてください」

「タマゴ過敏症かびんしょうというやまいがあります。おそらく、ある人にとっては、卵の成分がなにかの病原体だと感じられるのでしょう。そして人体がタマゴに抵抗することによって発症するのだと考えられている、と片田さんが言っていました」

「アレルギーとも言うんだ」片田が補足ほそくする。

「この過敏症は生タマゴを食べても、でタマゴを食べても発症します。生タマゴは、もし有精卵ゆうせいらんだとしたら、生きています。やがてヒヨコになりますからね。それに対して茹でタマゴは明らかに死んでいます」

「どういうこと」

「体に入ってくるタマゴあるいは、病原体が死んでいても、免疫が出来る、ということです」


「わからないわ」


「患者から採取した瘡蓋をてしまうのです。煮ることによって天然痘の病原体が死ぬかどうか、それは分かっていません。しかし、煮沸しゃふつした水は比較的安全で密封しておけば、いつまでも飲めます。ビタミン・ラムネがその方法で作られています。なので、今回の南洋探検の水樽も煮沸密閉して持っていくと聞いています」

「病原体を煮て殺してしまえば、体の中で増えない、ということ」

「そう考えています」


「また、もう一つの方法も考えてみました。酒精しゅせいです。私はずいぶんと前から患者を診る前に酒精消毒をしています」

酒精とはエチルアルコールのことである。茜丸は消毒用に水一、エチルアルコール四の比率の消毒液を使っていた。

「酒精消毒を行い始めてから、患者の生存率せいぞんりつが上がりました。特に子安婆こやすばばに酒精を使わせてみたところ、母親も赤子あかご産後さんごの病に罹りにくくなりました」

 子安婆とは助産師じょさんしのことだ。


「片田村で行おうとしている人痘では、瘡蓋を煮たうえで、酒精にひたしたものを使おうと考えています。推測に過ぎませんが、何もしないよりは、安心できると思うのですが」


「何もしないと、何もしないと、三万人の子供達のうちの一万人が死ぬのよね」

「前回と同じだったら、としたらですが」

「明の人痘法だと、千人で、二人から四人死んでしまったということならば、三万人だと六十人から百二十人ね」

「明の書物にそう書いてある、ということで私が試したのではありません」

「もし、あなたの、茜丸の言っている方法を使えば、量を間違えても、死ぬことはないということかしら」

「推測にすぎませんが、うまくいけば明の方法より死者が減る可能性があります。一方で煮沸と酒精で、瘡蓋が変化して、免疫が働かなくなってしまったときには、無駄に終わってしまう場合もあります」

「その時には、改めて明の方法を使わざるを得ません。手遅れかもしれませんが」


無駄に終わってしまう場合もある、といわれた『いと』が下を向いてしまった。無駄な時には、やはり一万人の子供が死ぬ。


「わたしには、決められないわ」


「『いと』、人痘を受けるか、受けないか、それを村人に決めてもらえばいい」片田が言った。

「どういうこと」

「『片田村報かただそんぽう』は、まだ発行しているのか」

「発行しているわ」

「では、片田村報に、ここで話したことをすべて掲載するんだ。その上で子供に人痘を行いたいと考える村人には人痘を接種する。接種したくない村人には強制しない。それで、どうだろう」


 片田村の『いと』より下の年齢の村民には、『いと』が片田から受けたのと同等の教育がなされていた。『いと』自身が村の教育担当だったから、そのことはよくわかっている。


 彼らには知識と考える力がある。彼らに決めさせる。それが良い方法かもしれない。


「わかったわ、そのようにしましょう。茜丸さんに煮沸と酒精漬けした人痘を用意してもらいます」


 茜丸が溜息ためいきをついた。

「わかりました。それでは明朝片田村に参りましょう。明日からさっそく人痘を作り始めます。酒精は『いと』さんと入れ違いの列車で、すでに消毒用として大量に片田村に送っていますので、すぐにかかれるでしょう」

「片田村には、私と、私の娘、孫娘の三名でうかがいいます」

「お孫さんも連れていらっしゃるんですか」『いと』が尋ねる。

「はい、私の人痘の、最初の接種者は、孫娘にいたします。村の皆様の前でね。そうでなければ、誰も接種しようなどとは思わないでしょう」


『じょん』と茜丸、二人はそこまでの覚悟をしていたのか。『いと』が思った。


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