三方一両得(さんぽう いちりょうどく)
犬丸が米十に尋ねる。
「お前の母親は二十七人も子供を儲けたのか」
「いや、違うよ、お父には八人の女房がいるんだ」
「一つ屋根の下で、八人の妻とくらしているのか」
「そうだよ、おれのお母は七番目だ」
“恐れ入ったな“、犬丸が思った。”それで、うまくやっていけるのか、それはそれで、才能だと言える“
あの光源氏ですら、広大な自宅の六条院で、妻は三人しか住まわせていなかった。
春町の紫上、夏町の花散里、冬町の明石の三名だ。
南洋開拓団員が、なんとか二十名集まった。囚人も数名含まれる。あとの十人は軍人を予定していた。軍人たちは士官に相当する。
出航まで遊ばせているわけにもいかないので、将来役に立ちそうなことを教える。
犬丸が艤装中の船の中を連れて回り、色々な道具や設備の名前を教える。数日後試験をする。
試験では、同じように船内を連れて回り、各部の名称を尋ねる。指名されたものが正しく答えられれば、よし。皆の試験が終わるまで、埠頭で待機できる。答えられない場合には、荷役を手伝う。一樽船内に積み込んだあと、犬丸の行列に戻る。
そんなことをくりかえした。
米十は若いだけに物覚えがよかった。なので、大半の時間を埠頭の待機場所で過ごしていた。
その待機場所で喧嘩が始まる。喧嘩しているのは熊五郎と金太郎だった。
そこに米十が仲裁にはいったようだった。
「なんで喧嘩になったんだ」米十が二人に尋ねる。
「それは、俺がこいつの落とした財布を拾って返そうとしたのに、難癖を付けて来たからだ」金太郎が言う。
「難癖だと、ふざけるな。その銭は俺の事を嫌って、俺の懐から逃げていった銭だ。そんな薄情な銭なぞ、いるものか。財布は返してもらうが、中の銭三百文はお前が持っていけ。人の落とした銭をわざわざ返しに来るお人よし野郎にくれてやる」熊五郎が反論する
「そんなこと言って、銭が惜しくないのか」米十が尋ねる。
「銭が惜しいだとぅ、見損なうな。これでも俺様はチャキチャキの堺っ子だ。天神様で産湯を使い、名は熊五郎だ。一度俺の手元を離れた銭を受け取るような、しみったれたことが出来るかぃ」
江戸っ子ならば聞いたことがあるが、『堺っ子』という言葉があるのかどうかは知らない。天神様とは堺の中心部にある菅原天神の事だろう。
「こちとらだって、せっかく持ち主に返そうって持ってきたものを、お前がいらねぇと言ったからって、はいそうですか、と三百文もの銭を受け取れるかい。この『すっとこどっこい』野郎」金太郎が返す。
「まあまあ、どっちも三百文はいらないっていうのかい、困ったね」米十が言った。
「じゃあ、こうしたらどうだろう」米十が続ける。
「なんだ」
「どうするんだ」
「まず、この三百文は、どっちもいらないんだね。ならば一度俺が預かるよ」
「それで」
「それに、俺の百文を足すと、四百文だ」
「なぜ、そんなことをする」
「この四百文を、改めて二人にあげるよ」
「なんだと」
「熊五郎さんは、自分の懐から逃げた銭はいらないって、言ったよね」
「おう、そうだとも」
「これはもう、俺のお金だ、だから二百文あげる、ただし、落とした三百文よりは百文足りないから、百文の損だ」
「そうだな」
「金太郎さんは、三百文拾って、そのまま熊五郎さんに返そうとしたけど、いらないといわれた、それを受け取れば三百文がもらえたのに、二百文しかあげられないから、やっぱり百文の損だ」
「そういわれれば、そうだが、なにか狐にたぶらかされたようだな」
「俺も百文出したから、百文の損だ」
「ここにいる、三人とも百文損したんだから、これで丸く収めよう、これを三方一両損というんだ」と、米十が提案した。
「なにがおきているか、よくわからんが、みんなが同じように損するならば、それでいいような気がするが」と、熊五郎。
「そうだな。いや、違うぞ」金太郎が言った。
「米十、お前が損をする理由がわからん。これは熊五郎と俺との争いだ。なぜお前が百文出す。団長の犬丸様が出すっていうんならわかるが、お前はただの団員だろう」
「そういわれれば、そうだ。お前が百文損する理由が無い」熊五郎も同意した。
「そうかぁ」米十が再び考え込む。
「じゃあ、こういうのはどうだろう」米十が言う。
「俺がいったん預かった三百文から百文をもらう」
「それで」
「残りの百文を熊五郎さんと金太郎さんに百文ずつあげる」
「うむ」
「熊五郎さんは、無くしたと諦めていた三百文だけど、百文戻ってきたので、百文の得だ」
「そう考えることも出来る」
「金太郎さんは、三百文を熊五郎さんのところに返そうとしたので、そのご褒美に百文をもらえた」
「褒美か、それならば受け取れる」」この場合、褒美は、美しい行いを褒め称える、と受け取ることが出来る。金太郎が正直に熊五郎の財布を彼に返そうとしたことに対する褒美だということだ。
「そう言ってくれるとありがたい」米十が言った。
「俺も百文手に入った。これで三人とも百文ずつ得をした。これを三方一両得という」
「そういうことか」
「それならば納得できる。お前も百文得するわけだからな。仲裁料といったところだな
二人が納得したようだった。
彼らの様子を船上から見ていた犬丸が思った。
“若いのに、たいしたもんだ。最初から三方一両得を出していたら、熊五郎と金太郎は、なんで米十が百文もらえるんだ、と言い出すだろう。持ち掛け方しだい、ということだな”
そして、“あいつの父親ならば一つ屋根の下に八人もの妻を同居させられるかもしれん。たいしたものだ”




