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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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アバタ面募集(アバタづら ぼしゅう)

 道端みちばたに置いた机の角に、赤トンボがとまる。夕暮れが近づいていた。

 机の向こうの椅子には犬丸いぬまるが座っている。犬丸も四十四歳になった。今では靫負少尉ゆげいのしょうじょうという官職かんしょくまでもらっている。


 犬丸の背後の板壁には『南洋開拓団なんようかいたくだん募集』と墨で書かれた紙が貼られている。例の中米の無人島に行く三十人を募集しているらしい。

 この話が持ち上がった時、犬丸が開拓団の団長に志願した。まだ見ぬ大陸というものを見てみたかったし、安宅丸あたかまる達のように新しい貿易を開拓してみたくもあった。


『じょん』は、和泉いずみ国軍の若手将校十名程と、重罪でない囚人、おかした犯罪に情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地がある者、二十名程を志願させてみたらいい、と言われていた。

 囚人でも本人が志願するのであればよいが、出来れば一般から募集したかった。


 そこで、堺の埠頭、米市場と野菜市場の境あたりに机を出して募集してみた。


・募集 十五歳以上の男子で、アバタヅラの者

・仕事 南海の無人島での開拓作業

・期間 二年半(うち約半年は航海、航海中は船内諸作業)

・報酬 日当 百文(帰国時に一括支払い)。晴雨せいう繁閑はんかん問わず、入団中日数で計算

・その他 期間中の衣食住は当方にて提供(現地での住居は材料を提供するので開拓団が建設)


募集の墨書ぼくしょの下にこのようなことが、少し小さく書いてあった。

 日当百文というのは、番匠ばんしょう大工だいくのこと)、檜皮師ひわだし鍛冶かじなど、手に職を持つ人々の収入に相当するので、かなり好待遇だった。しかも、職人は天候により、仕事が出来ないこともあるが、開拓団に入団中は休みの日であっても一日百文もらえる。


 犬丸が募集の机を出すのは日暮れ時の一刻(二時間程)だった。港や市場で働いていた男たちの帰宅時刻を狙った。

 しかし、応募はほとんど無かった。


 衣食住提供で一日百文は、かなりな好待遇だが、南洋開拓団というのが、いかにもあやしい。どのような仕事をするのか、よくわからない。

 しかも『アバタ面』などという、変な条件が付いている。


「なんでアバタ面なんだ」犬丸が片田に尋ねた。

「これは、想像なんだが、あの大陸に住む人々は天然痘てんねんとうなどの伝染病にかかったことがないと思われる。なので免疫めんえきがない。そこに、こちらから天然痘を持ち込んだら大変なことになる」


 犬丸達は片田村で伝染病の原因、病原体びょうげんたい免疫めんえきなどについて、片田が知っている限りの初歩を習っていた。

 感染症は、目に見えない病原菌びょうげんきんやウィルスが、体の中に入って、大量に増殖ぞうしょくすることで発症すること。

 人間の体には免疫というものがあって、入ってきた病原体に立ち向かうが、有効に立ち向かうには多少の時間がかかる。

 免疫獲得が病原の増殖より早ければ、感染症は治る、免疫が間に合わなければ、感染症で死んでしまう。

 従って、最初の受ける病原体がわずかであれば、ないしは弱体であれば、免疫獲得が先回りできる。

 免疫には、一度感染すると一生有効な免疫と、短期の免疫がある。


 などなど、だった。

 天然痘の免疫は、一生有効な免疫だった。

 この時代の人々も、免疫とかそういうものは知らなかったが、天然痘は一度かかってなおれば、二度と罹らない、ということぐらいは経験上知っていた。


「それでアバタ面なのか」

「そういうことだ」


 片田が、大変なことになる、と言っているが、どのようなことが起きるのだろうか。日本に大陸の伝染病、天然痘、麻疹、インフルエンザ等が初めて入ってきた時の様子を見てみよう。

 さいわい、このころ日本はすでに歴史時代に入っていて、幾つかの記録が残っている。

 アメリカ大陸の人々は、伝染病到来の記録を残すことができなかったが、日本の例が参考になるであろう。

 以下、当時の人々は天然痘、麻疹などの区別をつけることが出来なかったので、天然痘を代表としている。


 天然痘は、もともと動物の感染症だった。恐らくウシの病気だったと考えられている。人間が動物を家畜化することにより、人間と家畜が常時接近し、そのことで家畜の感染症が人間にも感染するように変化した。

 現代であれば鳥インフルエンザが、しだいに人間にも感染するようになってきているようなものだ。


 天然痘が人間に感染する病気となったのは、地中海地域のあたりだと考えられているそうだ。

 紀元前十二世紀に生きたエジプトのラムセス五世のミイラには天然痘に感染した痕跡こんせきがあったという。

 その後、紀元前五世紀のギリシア、紀元二世紀の古代ローマ帝国で大流行した。

 さらに、シルクロードと海上貿易ルートを伝って、天然痘が東に伝えられ、紀元五~六世紀には中国、朝鮮半島でも流行した。


 当時の日本はすでに朝鮮半島と交流していた。日本書紀にほんしょきによれば、西暦五一三年に百済くだらから五経博士ごきょうはかせが来日して、儒教を伝えた。

 同五五二年には、やはり百済から仏教が伝来した(西暦五三八年とも)。

 その後、六六三年には『白村江はくそんこうの戦い』があり、日本と百済の連合軍が、とう、新羅軍に大敗をきっす。

 

 これらの交流や戦争を通じて、いつかわからないが天然痘をはじめとした大陸由来の感染症が日本に上陸する。

 古くは欽明きんめい天皇の十三年(西暦五五二年)十月。仏教採用をめぐり、採用支持の蘇我稲目そがのいなめと、排斥派の物部もののべ氏、中臣なかおみ氏が対立した。

 同時期に疫病が蔓延まんえんした。排斥派は仏教を持ち込んだせいで疫病が流行したとして、これを排斥した。

 この時の病が天然痘であるかどうか、それは日本書紀の記述だけではわからないが、平安時代に日本書紀などを抄録しょうろくした『日本紀略にほんきりゃく』という記録がある。その長徳ちょうとく四年七月には、疱瘡ほうそうのできる病が流行したとあり、その病を『稲目瘡いなめそう』と呼んでいるので、欽明期の病も疱瘡のできる伝染病だったのではないかと考えられている。


 日本において、もっとも確実と思われる天然痘の流行は天平てんぴょう七年(七三五年)だそうだ。『豌豆瘡えんどうそう』と呼ばれていた。

 この年の春、遣唐使けんとうしが帰国している。この天然痘はこの遣唐使一行が持ち帰ったものかもしれない。

 五月に疫病えきびょうが流行しはじめる。最初は大宰府だざいふからだった。八月には大宰府の民が、ことごとく病にかかって倒れたという。

 十一月になると、奈良みやこの下級官人にまで感染が広がる。

 この時の疫病は十一月までで一時おさまり、翌年も平穏であった。


 しかし、天平九年の春、筑紫つくしで疫病が再燃した。

 老いも、若きも、乳幼児もまったく免疫を持っていないのであるから、感染は急速で激烈だった。


 時の天皇は正倉院しょうそういんや東大寺の大仏で有名な、聖武しょうむ天皇だった。

 『六国史りっこくし』の一つ、『続日本紀しょくにほんぎ』によって、当時の様子を追ってみる。

「四月十七日、参議さんぎ民部卿みんぶきょう正三位しょうさんみ藤原朝臣あそん房前ふささきこうしぬ」

 藤原不比等ふひとの四兄弟、次男の房前がまず病によって薨した。

 以降、不比等の四兄弟は全員天然痘に罹患りかんして、没することになる。

「四月十九日、大宰府の艦内の諸国、疫瘡流行りて百姓ひゃくせい多く死ぬ。

「六月一日、ちょうむ。百官の官人、やまいに患えるをもちてなり」

『朝を廃む』とは、月初に行うべき告朔こくさくという天皇への報告業務を中止したということだ。


「六月十日、従四位下大宅おほやけ大国おほくにしゅつしぬ」

「六月十八日、長田王ながたのおほきみしゅつしぬ」

「六月二十三日、中納言多治比たじひ真人まひと薨しぬ」

 高位の貴族に対しても、病は容赦ようしゃなく襲い掛かった。


 七月には、大和やまと、伊豆、若狭、伊賀、駿河するが長門ながとなどの飢え病める民に賑給しんごうした、とある。賑給とは律令制りつりょうせいにおいて、高齢者、病人、困窮者などに国家が米や塩などを支給することを言う。

 現代ならば、定額給付金ていがくきゅうふきんのようなものだ。


『続日本紀』の疫病の記録は、このあとも続く。

 推定ではあるが、当時の日本の総人口の三割が天然痘によって死亡したとされている。


 免疫を持たない集団に天然痘が襲い掛かると、このようになる。これを片田は『大変なことになる』と表現した。


 数回の大流行の後、生き残った日本人に天然痘に対する集団免疫が備わった。それ以降は三十年に一度程度の周期的流行になる。患者の中心は免疫を持たない子供達だった。




 犬丸がぼんやりと赤トンボを眺めていると、そのトンボがひょい、と机から離れた。

「犬丸、俺の事をやとってくれないか」やっと元服するかしないか、という若者が犬丸に声をかけて来た。

「またお前か、だめだ、お前はまだ十四だろう」


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