第一回アメリカ探検計画
戎島造船所の一角。
会議室に片田順と三人の男がいた。
金口の三郎、元探検艦『阿武隈』艦長。現在はアメリカ探検艦旗艦『神通』艦長
絹屋の五郎、元第二艦隊二番艦『北上』艦長、現在は同探検艦二番艦『那珂』艦長
味噌屋の磯丸、戎島造船所技師。艦隊付き技師として、同探検に同行予定、『那珂』乗組。
金口三郎と絹屋五郎の二人は、檣、帆布、ロープなどの装備品をどれだけ搭載していくか、を話し合っていた。
アメリカ探検の概要は、
一、往路 日本から北米大陸沿岸 四十日
二、北米沿岸南行 パナマ付近まで 三十~四十日
三、中米の島で植民基地建設 二十日
四、復路 中米から日本 五十日
合計百四十~百五十日程の航海になる。
派遣する船団は、
『神通』 川内級百八十トン、三檣外輪蒸気船、旗艦。艦長、金口三郎
『那珂』 百八十トン、『神通』と同型艦、二番艦。艦長、絹屋五郎
『あめりか丸』 三百トン、三檣帆船、輸送船。艦長、村上吉元、村上義顕の甥
なお、『あめりか丸』は片道の航行で、現地で解体して住居などに転用される。
それぞれ、船員四十名、植民者十名ずつ、を予定していた。
はるかに時代を降った安政六年に咸臨丸が米国に派遣される。
その時には往路が三十七日、復路が四十五日とのことなので、悪い見積もりではなさそうだ。
咸臨丸は排水量六百トン余り、全長五十メートル弱、乗員九十六名で、蒸気スクリューを装備した三檣バーク船だった。
ただし、この航海においては、スクリュー推進は入出港時にしか用いていないと言われている。
彼らの見込みにおいては北米沿岸南行の部分が、最も日数が見込めないところであった。現地でどのような風が吹いているのかわからない、どれくらい機走しなければならないかもわからなかった。
最低でも二回、運が悪いと三回は嵐にあうだろう、金口三郎と絹屋五郎はそう想定していた。かなり悲観的な想定だ。
そのためには、出港時の三倍の檣、帆布、ロープなどが必要だと考えた。帆布やロープは船倉に保管できるが、檣は最上甲板に置かなければならない。操帆の邪魔になるだろう。
二人は荒天時用の厚い帆布も用意していたので、その分の格納場所も必要だった。
片田と味噌屋磯丸は持参する食料について検討していた。
「米については、玄米を持ち込めば、五カ月くらいはなんとかなるだろう。船上で精米すれば白米が食べられる」片田が言う。
「そうですね」磯丸が頷く。磯丸は安宅丸の船学校の第一期生で、ラテンセールという三角帆を発明した男だった。この航海にはどんな困難が待っているかわからないので、船技師を一人載せていくのがいいだろう、とのことで、彼が志願して乗り組みが決まった。
「魚や野菜についてだが」片田が言う。
「魚は、最初の数日は港で仕入れた新鮮なものを食べられるでしょうが、その後は干物と燻製ですね」
「大洋では釣もできるが、あまり期待できないだろう。向こうの島で魚が釣れるかもしれない」
「そうですね。でも、それを勘定にいれるのは、やめましょう」と、磯丸。
「復路はほとんど魚の缶詰だろうな」
「あの糧食の缶詰は助かりますね。あれ一箱で一人一日が決められますので、あとは人数と日数の掛け算で必要数が簡単に決められます。食べされられる方は堪りませんが」磯丸が笑う。
「あの糧食は一食約八百グラム、一人の一日分は二.五キログラムです。八人分が一箱になっていて二十キログラムです。船員が四十人ならば百キログラムですね」
「百日の航海ならば十トン、今回のように百五十日の航海ならば十五トンです。暗算でもできます」
「そのとおりだ」
「水は今までの経験で水夫一人が一日二リットル飲みます」
陸上生活者は平均的に液体としての水は一日一リットルとされているが、船員は重労働だ。その二倍は飲む。
「四十人いると一日八十リットルですが、水は向こうの大陸で調達できるでしょうから片道分だけでいいでしょう。すると五十日で四千リットル、四トンとなりますね」
「水と食料あわせて、十九トンが最低限ということか」片田が言った。
「はい、百五十日すべて糧食を食べた場合の最低限です」
片田達の『神通』、『那珂』は、千石船と同等の大きさで作られている。一石が百八十リットルなので、百八十トンだ。積載量は、外輪船で蒸気機関を搭載しているので、少な目で、半分の九十トン程だった。
これが、蒸気機関を搭載しない帆船であれば、排水量の三分の二程度は搭載できる。
カティーサークという紅茶輸送のティークリッパーは排水量九百トン余りで、積載量は六百トンもある。
「ですので、積載量九十トンの内、最低でも十九トンは食料と水のために必要となります。これは最低限です。これより増やすことが出来れば、食生活はそれだけ豊かになります」
「野菜の方は、漬物が中心になるだろうな」
「そうですね、あと乾燥した大豆を持っていけば船内でモヤシにすることができます。大豆はそのまま煮ても食べられますから、これは大量に持っていきましょう。新鮮な食料を積んだ分は缶詰を減らすことが出来ます」
「航海に必要な食料はこの程度ですが、最後に一番重要なのは、現地に残していく三十人にどれ程の食料を残せるか、ということです。次の派遣艦は一年後になる予定ですよね。これも糧食で計算してみましょうか」
「水は現地調達できますので、糧食だけです。一人一日二.五キログラム、三十人では七十五キロ、三十人が百日で七.五トン、三百六十日で二十七トンですね。三隻に分ければ、一隻あたり九トンになりますか」
「あわせて二十八トンか」
「そうですね」
片田が金口三郎、絹屋五郎の両艦長に尋ねる。
「食料と水で、三十トンもらえないだろうか」差の二トンは食を豊かにする分とした。
「三十かあ。厳しいな」二人が言った。
「アメリカには敵対する帆船などないので、艦砲は艦首砲だけでいい。火薬も弾丸もほとんどいらないだろう」
「それは、行ってみなければわからないだろう」
「大丈夫だ、私が保証する。向こうには大型帆船などない。万が一の場合でも、外輪があれば風上に逃げることが出来る」
両艦長が暗算する。
「『じょん』がそう言うなら、艦尾砲と舷側の砲八門を降ろしていこう。持っていく砲弾は船首の二貫玉を二十個、火薬もそれに見合うだけ。それならば三十トン渡せる」
二貫玉とは約六.五キログラムの鉄製砲弾のことだ。西洋の十二ポンド砲弾に近い重さだった。
「では、それでいこう」片田が言った。




