翡翠の粉(ひすい の こな)
片田が淡路から帰って来て、二か月がたった。
戎島の埠頭には二隻の新造艦が並んで浮かんでいた。北米大陸探検に使われる予定だった。
片田は当初、金口の三郎が艦長を務める『阿武隈』で北米に行こうとしたが、石英丸をはじめとした片田商店幹部の猛反対にあってしまった。
彼らが言うには、行くのは止めないが、せめてそれなりの準備をしてほしい、とのことだった。
そこで、建造中だった『川内』の同型艦二隻を、遠洋航海用に補強することになった。
主な補強点は、喫水線下の船体の二重化だった。
通常の船体は、進行方向と同じ向きの長い板を張り合わせて作る。その内側に、直角方向の板を張り合わせて、補強しようというものだった。
こうしておけば、外洋の荒波にあっても、船が持ちこたえるだろう。
二艦は先日乾ドックから進水し、『神通』、『那珂』と命名された。現在は隣接した埠頭に繋がれ、艤装の最中である。
梅雨明け十日の日差しが片田商店前の道を焼く。陽が西に傾いたので、店員が道に水を撒いた。
「よう、片田はいるかい」
「あっ、鉛屋さんですね。おりまっす、中にお入りになってください」店員が手桶と柄杓を持ったまま、なかに導き入れた。
「片田さーんっ、鉛屋さんがいらっしゃいました」
奥から片田が出てくる。
「応接は空いているか」店員が、はいっ、という。
「では、こっちだ」そういって鉛屋を連れて応接間に入った。
応接間は和室だった。
「翡翠が見つかったぞ。『じょん』の言った通りのところにだ。石炭の時もビタリと当てたが、良く知っているな。なにかあるのか。元々は山師だったのか」
「いや、そんなことはない。で、どんなものが見つかった」
鉛屋が懐から巾着を出し、その中身を出して見せた。
白い石、緑の石、紫色の石、三つが出て来た。翡翠だった。
「たしかに翡翠だな」片田が言う。
「ヌナカワという名前の川を河口から三里程遡ったところに、右手から合流する支流がある。その支流をすこし行くと、両岸の岩や河原に翡翠があったそうだ」
「それはよかった。まだたくさんありそうか」
「たくさんある。今日もってきたのは現地の山師が送ってきたほんの一部だ。そのあたりには幾つもの翡翠の露頭があったという」
「翡翠は明に持っていくと高く売れるらしい。いままでこの国で翡翠は採れないと思っていたので、売った者はないがな。遣明船であっちに渡った男が言っていた。明人は翡翠を珍重する、特に白い翡翠が好まれるそうだ」
「私が欲しいのは、緑色の翡翠だ。白いのと紫色の物は鉛屋が自由にしていい」
「いいのか、もしかしたらすごい儲け話になるのかもしれないのだぞ」
「ああ、緑色の物は私が全て買う。それ以外は明にでも琉球にでも売ればいい」
「ほんとうか」鉛屋が笑いだす。
「次に会った時には、俺はお大尽様になっているかもしれんぞ。よし、翡翠を輸出するときには、片田商店の船を使ってやる。それでいいか」
片田が頷いた。
「で、この緑色の翡翠を粉にしたいのだか」
「なんだと、磨り潰したいだと。頭がおかしくなったのか」
「本気だ」
「本気なのか。さて、翡翠はかなり硬いぞ。これを磨り潰すとなると、そうだな、石英の石臼が必要になる」
「作れるのか」
「ああ、作れるが、翡翠と石英は同じくらいの硬さだから、磨った粉に石英が混じるかもしれん」
「多少石英が混じってもかまわない」
「よし、じゃあ俺の所で石英の石臼を作ってやろう。他の翡翠をくれるというのであれば、タダで磨ってやる」
「蒸気機関が必要であれば、私の所の物を使っていい」
「それは助かるな」
「で、その粉を何に使うんだ」
「それは、まだ言えない」




