越智家栄(おちいえひで)・開戦前夜
「越智様の使いの方が、片田さんに会いたい、といっておりますが」精米所の者がいってきた。
あれから、ずっと越智は白米を買い続けてくれていた。毎月使いの者が二俵、馬の背に乗せていく。片田村の一番下、『とび』の村との境にある精米所に行く。二人の陣笠を被った男が立っていた。
「ひさしぶりだ。片田」男は越智家栄だった。
「越智さまでしたか。このようなところに来て大丈夫なのですか」片田が言った。
「大丈夫さ、このあたりでわしの顔を知っているような奴はいない」
「わざわざご自分で白米を買いにいらっしゃったんですか」
「ああ、いや、片田、お前の村を一度見ておきたかったんだ」
「そうですか。あまりお見せできるような場所はないのですが」
「見せられるところだけでいい」
片田は精米しているところを見せることにした。
「この、蒸気機関というのが、水車の役割をするのじゃな」
「そうです。川がなくとも、燃料があれば、いくらでも回転します」
「で、どこで白米を作っているのだ」
「こちらのはじで、やっています」そういって、片田は作業中の男に、やって見せてやれ、と指示した。男は壺のなかに玄米をいれ、それを精米器にあてる。
「あの、茶筅のばけものが米を白くするのか」
三十秒ほどで、玄米が白米と糠になった。
「なんだ、あっというまにできてしまうではないか。これでいままで二割も手間賃を取ってきたのか。ひどいやつだな」そういって家栄が笑った。
「この仕組みをつくるまでが大変なのです」
「まあ、そうだな」
二人は外にでて、村を上って行った。
「このあたりは、村人の住まいか。ずいぶんあるな」
「いま、三千人程も住んでいます」
「ほう、一枚の田もなく、それだけの人間を養っているのか」
「この村には田も畑もありません。食料はすべて外から買ってきます」
「あれはなんだ」
「さまざまな、鉄でできた道具を作っています」
「あっちの山の中腹にあるのは」
「あれは、鉛石から鉛を作っています。毒の瘴気が出るので、すこし離れたところに置いています」
「お、シイタケを干しておるな。すごい量じゃ。これが一斗一貫で売れるのならば、確かに何千人を養うのもたやすい」
「最近は、ここだけでは足らないので、宇陀郡、名張、伊賀のあたりまで、シイタケづくりが広がっています。田の少ない土地ですので副業としてちょうど良いようです」
「たいしたもんじゃ」
村の一番高いところにある眼鏡工場に入った。
家栄は、蒸気タービンで回転するロクロに目をとめた。
「やってごらんになりますか」片田がいった。家栄がうなずく。
「鉄の型から出てきたレンズがこれです。真ん中に、空気抜きの突起があります」
越智がふたたびうなずく。
「それをこのようにして、研磨します」
そういってレンズを家栄に渡した。
「おお、あっというまにヘソがとれたな。これ、売り物になるのか」
「さあ、どうでしょうか」そういって片田が笑う。
レンズ工場からでた越智が言った。
「あの、左手の堤のようなものはなんだ」そういって倉橋砦の方を指さした。
「堤です。あの向こうは大きな溜池になっています」
「いってみてもいいか」
「いきましょうか」
二人が堤の天端に登った。
「おお、谷二つがまるまる溜池になっているではないか。壮大だな」家栄はため息をついた。
この時代、水は命そのものだった。その水を蓄えるため、大和盆地には無数の溜池があった。それら溜池すべてを合わせるより多い量の水が家栄の目の前にあった。
「十市は、日照りの心配をする必要がなくなったということだな。これはわしもやらなければならないことだ」
しばらく水面をながめていた家栄は、振り向いて片田村の方を見た。
「いい村だ」
「時期は言えないのだが」そういって家栄が、次の言葉をさがした。
「いずれ、畠山とわしは、十市を攻めることになる」
「おおよそは予想していました。播磨守様(十市遠清)もそう思っています」
「そうだろうな」
「十市に加勢するのか」
「そうなりましょう。年貢を払って保護していただいている身としては、十市様になにかがあったときには加勢せねばなりませぬ」
「おまえはまじめそうだから、そのようにするだろうな。十市もそうだ。戦を好まぬが、義理には篤い。こちらの味方になれといっても断るだろう」
「畠山の言っていることにも理があるのじゃ。やつは座をなくしてしまえと言っている。寺社に行く利を武士と民で分けようとしている。いまは興福寺の利権を奪おうとしているが、いずれ石清水八幡も比叡山も攻めるつもりでいる。わしはそれに賛同している」
「私も、悪いこととは思いません。いずれそのような世になるでしょう」
「そう思うか。わしらのやっていることが間違っているとは思わないのか」
「思いません」
「万が一のことを考えて、わしに村のなかを見せたのか」
「それもありましょう。見れば、焼くにはもったいないと思うはずです」
「まったくだ。もしそのようなことになったら、絶対わしが守る」
「ならないことを願います」
「そうだな、片田よ、死ぬな」
「越智様も、特に、騎馬隊の先頭などにはたたないようにしてください」
「何か策がある、ということだな。わかった」




